1-1 案内人と。
初めまして。
拙い文ではありますが、呼んでいただければ嬉しいです。
それではどうぞ、ごゆるりとお楽しみくださいませ。
どうして、どうしてこんな事になったんだろう。
俺はただ、平和に暮らしたかっただけなのに。
今や殺人は当たり前となったこの世界で平和に生きていくにはただひとつ、何も抱えず目立たず、空気のような存在でいるしか方法はない。それを心に留めて、いつ殺人犯になるか分からないクラスメイトとも深く関わらずに生きていた。
なのに、どうして_____?
____どこまでも真っ暗な水の中。
とくん、とくんと確かに鳴っている鼓動がひどく耳につく。可笑しいな、自分の心臓の音というのはこんなにも煩かっただろうか。
ただ胴体についているだけの肢体を空に浮かせ、抵抗することも無く沈んで行く。このまま眠ってしまいそうな心地良さだ。どうせこのまま行っても真っ暗な空間が続いているだけだろうし、このまま眠ってしまおうか。
重い瞼を重力に逆らうことなく閉じる。
「_____ねえ、こんな往来で寝ないでよォ」
「イッデエエエエエエエエエ!!!!」
ごちん、と随分とレトロな打撃音。しかしその威力は全くもってレトロじゃない。友達に殴られた時もこんなに痛くなかった。一言文句を言ってやろう、と涙目で後ろを振り向いて。
__ふと、違和感に気がついた。
先程までの柔らかな綿にくるまれていたような心地良さは何処へ行ってしまったのか。そこにあるのはじんじんと訴えてくる痛みだけ。肢体も力が入ってしっかり動かせるし、ましてや眠さなど皆無だ。先程までの自分の状態とはほぼ正反対と言っていいほどの好調に、先程殴られたこめかみを抑え 少年は改めて間延びした声と向き合う。
「おはよォ。ねェねェ、なんであんな広ォいとこで寝てたのォ?僕の仕事増えちゃうから辞めてよォ」
気だるげに細められた紫水晶と、その下に埋まる真っ黒な隈。かろうじて見える右目の下の黒子が清涼さを醸し出していなくもない。随分と大人びたその容貌とは裏腹に、彼が身につけているのは 幼稚園児が着るような膝丈のショートパンツ、それに1枚のワイシャツだけ。左側の瞳は 顎までの真っ白なさらさらとした髪に隠されており、その表情を詳しく読み取ることは不可能だ。
「まァいいや。ねェねェ、お名前はァ?」
「え、は…俺、の?」
「それ以外に誰が居るのさァ」
信じられなあい、と小馬鹿にしたように口を大きく開けて両手を口元に持ってくる仕草に酷く苛立つ。落ち着け、相手はまだ10にも満たない子供だ。高校生の自分が大人びていなくてどうする。
「加賀だ」
「カガくん?下はァ?」
「陽輝。加賀陽輝」
「へえ、カガくん!」
せっかく下も教えたというのに。この少年、何故だろう。酷く話していてイライラする。キャッキャッとアンニュイな顔とは裏腹に、コロコロと変わる表情に少しだけ溜飲が下がる。
「カガくん、その頭地毛なの?」
「地毛だよ。黄色だよ悪いか。染めてねえよ。いっつもいっつもあのクソ教師ども人の頭ジロジロみやがって気分悪ぃ、だいたいこんな根元まで染まってたら秒でプリンになるっつーの。何で分かんねーんだよバーカバーカ。1年の頃の入学式で2時間くらい言われたことまだ覚えてんぞ。大体なんだよ、『親から頂いた体になんてことするんだ』って。だったらお前は親に貰った髪どこやったんだよ薄らハゲとっとともげろ」
「うんごめん、地雷踏んじゃったみたいだねェ」
うわ…と少しだけ哀れみの籠った視線を向けられる。ずっと言われてきたコンプレックスを刺激され、加賀はあー…と気まずそうに視線を泳がせた。
「カガさん、なんでここにいるのォ?」
「ここ…って。ここ、どこだ?」
ぱちくり、と目の前の少年が瞬く。先程の小馬鹿にしたような顔ではなく、呆気に取られたような。それからきゅっと眉を寄せ、ググッと顔を近づけてきた。
「…ん"ん?お兄さん、ここに来る直前何してたのォ?」
「ここに来る、前…?」
あからさまにひとつの瞳に困惑をうかべ、少年はじっと加賀を見つめる。何かを見出そうとするその視線は実に居心地が悪い。彼の視線を意識しないようにし、加賀は記憶を思い出すことにフォーカスを当てる。
「…いつも通り、高校行って」
「高校行ってェ」
「授業受けて、昼飯食って」
「ウン」
「で、帰って寝て…」
「…寝てェ?」
「回想終わり」
「うそォ!?」
ここが漫画の世界ならば吹き出しが耳に刺さっていたところだ。少年は焦ったように顎に手を当て、何かをブツブツと呟き始める。独り言の内容は自分に関することではあるのだろうが、それでも彼の意識は外れている。手持ち無沙汰になってしまった加賀はそこで初めてその空間に目を向けた。
「…何だ、ここ…」
いくら夢の中の世界であったとしてもこんなにハッキリと物事を認識できるだろうか。あんなに容姿の目立つ少年など、美術成績最高3の加賀が創造することなど出来るだろうか。答えは否だ。
「夢じゃねえ、ってことか…?」
左頬をつねる。夢か現実か分からない時はよくそうする人が多いとは知っていたが、実際このような立場に立たされた時はやはりこれが一番手っ取り早い。じん、とした痛みが走り 再度ここが現実であることを理解する。
「カガくん」
「うわ、びっくりした…。何だ?」
「うん、だいたい理解したよォ。今からぜーんぶ説明してあげるからそこに座ってェ」
「ぜんぶ?」
「ぜんぶゥ」
少年がひょい、と懐から取り出したトランプを1枚投げる。するとそのトランプが柔らかなクッションに変わった。
「…なに、した?」
ここは夢じゃない。
現実でこのような不思議な現象が起こったことなんて見たことも聞いたこともない。もしここが夢でないなら異世界転生でもしたのだろうか。だからといって受けいられる訳では無いが。酷く動揺している心とは逆に、加賀の思考は段々とこの滅茶苦茶な世界を受け入れようとし始めていた。
「まあまあ、それも含めて言うからさァ。今は早く座ってよォ」
「…分かった」
再度1枚のトランプを後ろに放り投げると、それが学校でよく見なれた緑の板に変わった。カンカン、といつの間に手にしていたのか 小学校の先生がよく使っているような指示棒を黒板にぶつけ、少年は気だるげに白い髪を揺らす。
「じゃあまず最初ねェ。ここは現実世界じゃありませんン」
「…夢、ってことか?」
でも、と先程の実験結果を報告しようとすれば トランプが口元にぺた、と張り付く。思わず閉口する加賀ににこりと微笑んで、少年は説明を続けた。
「でも、夢って訳でも無いんだァ。ここはね、牢獄だよォ」
「…牢獄?」
ようやく剥がれたトランプをつまむ。ちなみに柄はハートのクイーンだ。何とも言えない微妙な数字である。
「そォ、牢獄。とは言っても、肉体のじゃないのォ。魂を閉じこめるための牢獄だよォ」
カッカッ、と白い粉が飛ぶ。人間のようなイラストと炎__魂を表しているのだろうか?が並び、その炎が四角く囲まれた。
「はい、問題。今は何年?」
「は?2340年だけど」
「法律はァ?」
「…ないようなもんだよな。毎日殺人事件起こっちまってるし」
「それなァー。物騒な世の中だよねェ、ヤダヤダァ」
随分とジジ臭い事を言う子どもだ。
「そう、今この時代。あまりにも殺人事件が多すぎて、警察すら機能することが出来なくなった。だから、政治家達は…殺人者同士で殺し合いをさせ始めた。ここまではオッケェー?」
「ああ、問題ねえよ。一般常識だからな、舐めてんのか」
「そうだねェ。じゃあ、ここからは関係者だけの話だよォ」
にい、と少年が嗤った。
先程までのいかにも子供らしい、愛嬌のある笑顔とは全く異なる、厭らしい笑み。思わず加賀は立ち上がろうとするも、少年に制止される。
「さっきも言ったよねェ、ここは牢獄。魂だけを閉じ込める施設、僕たちの間では"夢牢"って呼んでるかなァ。ここに入る条件はたった一つだけだよォ」
ぴん、と指を立てて 少年が寂しげに言葉を紡ぐ。その表情が、一体何を哀れんでいるのかはわからなかったけれど。それでも、加賀の胸はきゅっと痛んだ。
痛ましげに一瞬視線を床に落とした後、少年は真剣な顔でじっと加賀を見据えた。
「____殺人者に殺された殺人者。それが、ここにいる人達の正体さァ」
どくん、と心臓が鳴った。
「…カガくんは、一体何人殺したのォ?法律の話をした時、そんな匂いは一切しなかったァ。よっぽど嘘をつくのに慣れているんだねェ」
ズキズキと頭が痛む。脳と脳の間に手を差し込まれて無理やり裂こうとしているかのような、そんな痛み。
「…待って、くれ…俺が、殺人者?」
鈍い痛みを訴えてくる頭に手を当てて、見上げるように頭上の少年を見つめる。ひどく気持ちが悪い。
「うん。そうでないとォ、ここにいる条件が達成されないからねェ」
ただ、淡々と。教科書に書かれていることを読み上げるような何でもなさで、少年はただ事実のみを告げていく。それが、どれだけ目の前の加賀を傷つけるのかを正しく理解しながら。
「…俺が、誰かを…ッ、殺したって言いてぇのか!?」
痛みをかき消すように叫ぶ。真っ暗な闇で、琥珀色の両目が光った。どうか否定して欲しい、とそう願いながら。
「ああ、そうさァ。君は誰かを殺してェ、誰かに殺されたんだよェ。そして今は、被害者としてここにいる」
しかし、高い声は彼の希望をいとも簡単に打ち砕いた。
だが、それと同時に。塔を建て直したのも、またその瞬間のことであった。
「____っていうのはァ、まだわかんないんだァ」
「……は?」
へらり、と少年が笑う。明朗快活に、とても優しげに。
「ごめんねェ。でも、言ったでしょォ?ここは"牢獄"。キミ、そもそも牢に入れられて無いじゃなァい」
「は、え…?ちょ、待って、」
「だから僕、ビックリしたんだよねェ。何で牢でもなんでもない所でェ、こんな子が転がってんだろォ、ってェ」
「待って、頼む、待ってくれ」
「だからさァ、キミは…一体、なんなのォ?誰も殺してないのにィ、なんでここにいるのォ?なんで牢屋の中に居ないのォ?なんで、」
「待て、って…言ってんだろ!?」
はあはあと肩を揺らし、加賀はひくりと喉を震わせる。
「なんなんだよ、高校から帰って寝てただけで…なんでこんな目に遭わなきゃならねぇ!?いい加減にしてくれよ、とっとと1から説明しろ!俺はなんだ、ここは何だよ、お前は何なんだ!!」
立ち上がって少年の胸ぐらを掴む。その手はカタカタと軽く震えており、少年は軽く目を見開いた。
「…すまない。まだ、キミは…18にもなっていなかったねェ」
ぽつり、と呟かれた言葉に、どんな意味があったのかは分からない。けれど、それが明らかに彼の見た目と釣り合っていないことは容易に理解出来た。
「…それ、どういう事だ?お前は、何者だ」
詳しいことを何一つ告げていない、横暴な加賀の質問。しかしそれだけで意図を正しく読み取ったようで、少年は聞き返すことも無く淡々と答える。
「僕はァ……、…サク。ごめんねェ、ここで本名を言うことは出来ないんだァ。現実世界で僕を見つけてからならァ、教えることは出来るけどォ…多分、無理だろうねェ」
茶化すように笑ったサクに相槌を打つこともせず、加賀はただ自分の欲求だけを満たそうと質問を重ねる。少しだけ寂しそうな顔をしていたのはあえて無視しながら。
「サク、」
言葉を続けようとした先に 口の中に甘ったるさが広がる。思わず飲み込むと、柔らかなベタつきが口の中に残った。
「言ったでしょォ?ここは魂だけを閉じ込める世界。基本的にはなんだって可能だよォ」
白く細い指でマシュマロを口元に運ぶその顔には、イタズラが成功した子供のようなあどけなさが乗っている。
僕のトランプも黒板も、全部それ。となんでもないように言われ、摩訶不思議な現象の謎がようやく解けた。
「…キラー、って…何だ?ビクティマー、ってのは…?」
「殺人者はその通り、人を殺めたことのある殺人犯のことさァ。被害者はァ、キラーに殺されたキラーのこと。弱肉強食のサバンナと同じだよォ、殺されたならここに囚われるって訳ェ。何回も言うようにィ、ここは"牢獄"なんだよォ」
気づけば手の震えは治まっており、軽くサクに手を撫でられたことで我に返った。悪ぃ、と一言謝り 再び腰を下ろす。
「ビクティマー…って奴らは、牢獄に居るんだな?」
「そうそうゥ。でも、ここはァ…どちらかと言うと刑務官側の立場なんだよォ。こんなことォ、今まで無かったんだけどなァ」
おかしいなァ、と心底不思議そうに首をかしげるサク。その瞳に映る感情がありありと描かれた紫がきらきらと光った。
「…あ?」
不意に、変な感覚がした。
「ああ…時間切れだァ。カガくん、次に来た時はもっと話そう。ごめんねェ、またねェ」
するする、とサクが背中から何かを取り出す。おおきな柄の先に つるりとした素材の銀色。あれって、所謂『鎌』じゃないだろうか。
「…ごめんねェ、カガくん」
小さな腕で振りかぶって、目の前にぎゅっと眉根を寄せたサクの顔が見える。
あ、と言葉を発する間もなく 加賀の意識はぷつんと切れた。