9. 鈴の音の加護
十六の誕生日、つまり生贄となる日まで2ヶ月を切った。狐が始めて私に人型を見せてからは1ヶ月が経っていた。
先日庭で倒れてから狐は前よりも多い時間わたしの部屋にいるようになった。
朝起きると狐が獣の姿で枕元にいたり、足元にいたり、私の腹の上に頭を乗せていたり、時には人型で私を抱きしめていたり、というふうに側にいることが増えた。
眼が覚めると体の調子がいいことから体の中を微調整してくれているのだと思う。ただ、人型は心臓に悪いのでやめてほしい。
朝の禊をして昼間に部屋に戻るといたりいなかったり、いたらいたで話しをするわけでもなく寝ていたり、じっとこちらを見ていたり。いなかったら夕刻に戻ってきて市井のものをくれたり、くれなかったり。
とにかく狐が生活の中にいすぎる。
今日も今日とて眼が覚めると身を包む暖かさから男が……いや、狐がいる朝。そろそろ侍女に何か言われそうも気がするのだけど彼女たちは全くもって何かを言うことなどなく、陛下から呼び出しもないから今のところバレてはいないのだと思う。
どういうわけか様々な結界を抜けてここまできている狐にとっては、姿を隠すことなど朝飯前というわけなのだろう。
眼を開けたのに、男の顔を見ているとまた眠くなり、そのまま抵抗することもせず身を委ねそうになってハッと気づく。慣れとは怖いものだ。
「起きてください。隣で眠るならせめて狐でいてください暑苦しい」
「……」
「……」
「……」
「おーきーろー!! 侍女に見られる!私が節操のない女だと思われるだろ! 起きろ狐!」
「……チッ」
やっと眼を開けた狐は私を見て頭を小突いてくる。これもいつもの流れだ。地味に痛い。
「というかなぜいつも上を着ないんだ。もう銀月だぞ? 見ていて寒い服を着ろ」
「面倒くせぇ」
「は? おい……」
消えた。いつも思うがどういう原理で消えているのだろう。本当に、まるでそこには何もなかったかのように姿を消すからすごく不思議だ。
男が消えた直後、部屋の扉がノックされ侍女たちが入ってきた。
匂いや何かでバレないかソワソワするがそれはおくびにも出さない。そういうのは得意だ。
促されるまま身支度を整えられ、そこに私の意思など入ることはなく淡々と進めていく侍女たち。
そのいつもの光景ももうすぐに終わるのかと思うと、少しだけ寂しいような気もしたが、生憎彼女たちと個人的な会話もしたことがない。
寂しさはいつもの光景がなくなることに対してだろう。7年近くも死に行く準備をしていればすんなり受け入れられてしまうのが少し憎い。
王族として、私1人が犠牲になれば民に安寧がもたらされるというならそうするのが正しい。
贄姫として身を捧げることで国に、民に、そしてーー。
受け入れてもらえるのならそれでいいと思ってしまった。
そこに意味がないなんてことはない。私の意義はそこにあるのだから。
気づけば神の御前であるあの大きな鳥居の前に立っていた。
相変わらず暁の空が果てしなく続くような美しく幻想的な空間は人世離れしているがただただ美しい。
この空間に入れるのは贄姫だけで、この美しさを知るのも贄姫だけだ。 でも、私は市井の色々なものが溢れて纏まりのない光景の方が好きだ。
ここには何もない。あるのはこの大きな鳥居と炎神様だけ。
いつものように不機嫌な炎神様に礼をして儀式が行われる。
真紅の瞳は私を捉えることなく淡々と腰の花に触れ、刹那私の身体を痺れと倦怠感が襲う。
気持ち悪くはないけれど気持ち良くもない、ジワジワと何かを蝕まれるような痺れだ。
「フッ……近いな。そろそろ、か」
珍しく笑みをこぼした炎神様に愛想笑いをしてみたが、私を見るとやっぱり顔は険しく戻った。
そういえば、狐を見て思ったのだが神とかそれに近い存在は皆見た目が華美だ。まぁ、まだ2人しか見たことはないけど。精霊は人型が多いけど、あれは美しいというか可愛らしい感じだしな。
そろそろ儀式も終わるかなと思っていた時、突如炎神様が私の腰を掴み右手で首を鷲掴みにして来た。
「!?」
「貴様、何を側に置いている?」
とっさに思い浮かんだのは狐だ。 そして、心を読まれたらまずいのでは、と思ったが、
「いや、気のせいか?チッ」
予想に反して視られた感じではない。これも、狐の施しというわけなのか。
だが、神様の突然の行為は容赦なく、手が離されるとその場で咳き込み膝が崩れていた。
「悪あがきのつもりか……? いや、まぁいい。貴様が贄とならないのであれば犠牲になるのは国だということを肝に命じておくんだな」
燃えるような紅の炎を宿した瞳が妖しく揺らめくと炎神様の体を猛火が纏い、一瞬にして消えて行った。
残ったのは呆然と膝をつく私だけ。静かな空間はなにも変わらず茜色の空を写し美しく佇んでいる。
ばれたのか、バレていないのかよくわからないな。 けれど、知られたところでどうということがないのも事実だ。 神が姿を消したというのなら、問題はないということなのだろう。
「……贄」
瞳を閉じればここにはなにもない。最近の温もりにこの感覚を忘れていたのかもしれない。
「わたしは、贄姫、か」
のそり、立ち上がって扉まで歩き肌着を着て手をかける。
ーーーリィン
と、微かな鈴の音が聞こえた気がした。
なにもないはずの空間だから、驚いて振り向くが景色は変わらず壮観とした展望が広がっているだけだ。
ーーついに、幻聴まで聞こえるようになったか、やめよう。どうせもう、終わることだ。
今度こそ扉を開き、外へ出た。