7. あたたかさ
ーー暖かい。心地の良い暖かさだ。
すごく小さい頃、ありえない記憶だけれど母に抱かれて眠った時のような安心する暖かさ。
あの時母は私になんと言っていただろうか。謝っていたような気もするし、愛情を言葉にしてくれた気もする。いや、母は私を生んですぐに死んでしまったのだから私はそんな温もりなんて知らない。
だからこれは、本で読み、私が想像しただけのくだらない妄想だ。
ああでも、こんなに心地の良い温もりならば母というのはなんて良いものなんだろう。
市井で見かけた子供たちが擦り寄る母という存在は私の生活とはかけ離れたもので遠い世界のように見えていたけれど、うん、これはいい。
すごく、好きだ。
微睡む意識に身を預け、温もりを確かめるように手を伸ばす。少ない命の最後の最後にこんないい夢を見られて、私は幸せ者だと思った。
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「ん……」
耳障りの良い低く、掠れた声で意識が呼び戻された。
少しずつ目を開けると部屋に差し込む光からかなり早い時間だとわかる。
昨日は……あれ?いつ寝たんだっけ。狐と話してそれから……ああ、倒れたのか。
「はぁ……」
今日は暖かい日だな、この時期朝方はかなり冷えるはずなのに。また精霊たちがイタズラでもし……
「!?!? きゃあああ!!」
「うっせぇなぁ……」
「な、ななななな!?!?」
「チッ。黙って寝かせろ」
そう言うと、男は起き上がった私の腕を引き、また初めのように私を抱きかかえて目を閉じた。そう、私を抱きかかえて。
「だ、だれ!? 私これでも第2皇女なんだが!? お、男と同衾したなんて陛下に知られたら次こそ終身禁固刑になるぞ!?」
慌てふためく私をよそに、男は眉間に皺を寄せて一言、「うるせぇ」と言っただけ。
異様に鳴っている心臓に私はそれどころじゃない。というか、この男、本当に誰だ!?!?
すこし冷静になって自分の服を確認すると、一応寝巻きも下着も身につけていて一安心。
ぞ、俗世のくだらないと言われる本を読んでいて良かったと心から思った……。よく言われる腰の痛みも股の違和感もないしおかしなことになっていないのは断言できそうだ。
が、目の前の男。よく見れば服を身につけていないじゃないか!
私から見える限り上はとりあえず裸だ。下は……み、見れるわけがない。というか抱きしめられて見えないし、むしろ見えなくてよかった。
私は確かにこの王宮の奥で引きこもっているがそれなりの一般常識くらいは持っているし、羞恥心だってしっかり持っている。
目の前に、推定裸の男がいたら混乱するのは普通の反応だ!
とはいえ、何もしてこないでただ私を抱きしめてスヤスヤ眠る男にすこしずつ警戒心が解けてきた。なにより温もりが心地よく感じられて、なんだかいい夢を見た気がしなくもない。
よく見れば、男は至極美しい容姿をしていて眠っている顔だけを見れば長い髪も相まって女のように見えなくもない。顔だけ見れば、の話だ。
か、体はお、男そのものというか、硬くて筋肉質で……っては、恥ずかしい!
他人の女の裸ですら見たことがないのに見たこともない男の裸なんて私にはハードルが高すぎる!
「……フッ」
ふと、小さな笑い声が鼓膜を揺らし私の体がカチン、と固まった。
「喋らなくてもうるせぇたぁ、生意気な女だ」
「な、ななななにを」
「炎神の前ではどーせ裸だろ。何を今更恥ずかしがることがある?」
「そ、それは神の御前でそんな邪なことなんて考えないし、というか裸なのは私であって、炎神様は服を着ているっ!」
「神ねぇ。神とはいえあいつも大きなくくりじゃ男に違いねぇだろ」
「そ、そんな風に神を見たことはない!」
「つまり俺はただの男に見えると?」
「あ、当たり前だろ! って、え……?」
私を見下ろす瞳は愉快そうに薄められているが、その目の色は月を模したような金。さらに長いサラサラの髪は透けるような金の輝きを持ち、その色に負けないほど美しい顔立ちをしている。
私、この配色何処かで見たことがある…? この、人を見下した無礼な眼を知っている気がする。
「無礼な眼とはなんだ。お前の方が無礼だ小娘」
「ちょっ、小突かないでください! ってああ!」
急に大きな声を出した私に、男はまた眉間に皺を寄せて「うるせぇ」と言ったがそんなことどうでもいい。小娘、と私を呼ぶこの声にピンときた。よく視れば、霊力の気配もそのものだ。
「き、きつね……なのか」
「様をつけろ、様を」
狐らしい。月の瞳と淡い黄檗のモフモフ、偉そうな態度とこの声。それに、狐なら化けられるのにも納得だし、狐……なのか。
「きつ……お狐様なのは分かりましたが、どうしてこんなことになっているのでしょう。変態ですか?」
「チッ、誰が変態だ。お前俺が人外の類だと認識した瞬間に態度が変わるな。さっきまでの方がまだ人間らしくて良かった」
「聖獣相手に羞恥心など持ちません。そしてさっきまでのことは忘れてください。で、なぜです?」
かわいくねぇ。と言いながら私を離して起き上がったお狐様は大きなベッドから出るとぐっと伸びをする。
で、でかい。あ、身長の話だ。下は履いていた。 良かった……。
「命の恩神に対してもうすこし下手に出るとかいう頭がお前にはないのか」
ーーいのちの、おんじん?
そういえば、体がすこし楽だ。
「何をして……くださったのですか?」
余計なことをするなという顔を隠しもせず、しかし一応敬語で言ってみた。
狐はそんな私に目ざとく気づいたようだけど、特に言及する気は無いらしい。というか心読んでる時点で治ったわけではなさそうだし、ちょっとした延命をしてくれただけだろう。
「お前の考えている通り、終わりを先延ばしにしただけだ。あいにく、俺は治すというのが苦手だからな。中を多少ましにしたくらいでまたあの子屋に行けば今度こそ死ぬだろうよ」
「……ふぅん。まぁ、いいです。多少術が使えれば困りませんし。どうもありがとうございました、とでも言っておきます」
「口の減らねえ小娘だ。術を使えるならそのうるさい心を閉じとけ」
「なっ」
別に聖獣に見られたところで、という気持ちとは裏腹になぜかめちゃくちゃ恥ずかしさを感じた。あの男が……じゃない、あの狐が無駄に人間臭いからだ。そうに違いない。
狐は瞬きの間に姿を消し、部屋の中からは気配が消えた。
ただ、あの狐の匂いなのか温かく華やかな、少なくとも私とは違う残り香がある。
布団はまだ少し暖かく、自然ともう一度体を倒していた。
「ーーあったかい」
そうだ、あの狐、妖のくせに無駄に体温なんてものがあるから人間臭いのだ。とにかくこういう心臓に悪いことはもうやめてほしい。
まぁ、狐の姿でなら歓迎してやらなくも、ない。モフモフに罪はないし、ああそういえば人型の髪も触り心地が良さそうだった。妖のくせに無駄に綺麗な容姿をしていて、それから……
狐の男のことを考えながら、珍しくそのまま二度寝というものをしてしまう。
こうして静かに眠ったのはいつぶりのことだろう。
そんな思考もままならないほどすぐに暗闇に身を落としていた。




