3. 神殺しの神
人間の悲鳴、醜い鳴声、口汚い罵倒、諦めの悪い笑い声、この薄暗い世界はとても五月蠅い。
『おきよ!狐!!おきぬか!この愚神が!!!』
「あぁー?」
しかし、その何よりも腹立たしい頭に響く声と、急な雷撃で目覚ましたぁ、最悪な上に最悪、極悪な目覚めだ。
「……こりゃぁ天国の神さんが、何の用だぁ?」
『お主も仮には神!! そのだらしない態度と口調は何度いえば直るのだ!! 第1お前のような卑しい獣が神になること自体…ッッ!!!』
ただでさえ起こされて機嫌が悪いというのにそう無駄口ばかり叩く奴の話を、俺が聞く道理などないだろう。そう思い、容赦なく薙刀を一振りすればその神の気配は消え、また愚かな人間どもの喚き声が耳に反響しだした。
「チッ、うるせぇなぁ」
あの神はなんだったんだ。地獄なんて天国に住む神はなかなか降りてくる場所ではない。それをわざわざ降りてきてまで嫌味とは暇なのか。
閻魔のところにでも行けばちったぁ静かになるかねぇ。
何百年ぶりかに動かした体は少し重たさを感じるも支障をきたすほどではない。辺り一面赤茶色の焼け野原という有様で閻魔殿など見えはしないし、そもそもここはどこかもよくわかっていないが、まあ飛んで行けばそのうちつくだろう。ということで飛ぼうとした時、また天からの雷撃が来た。
しかし、さっきとは明らかに質量の違うそれは俺にぶつかることなく地面を貫いき、裂いた。
「チッ、おいばばぁが、力加減を忘れたか!」
「んーー?なんじゃ、妾に向かってその言い草は。相変わらず躾のなっておらん狐じゃなぁ。しかもお主のせいで末端とはいえ神が一柱消えてしまったのだぞ」
「それはあいつが悪い」
「まぁそれも一理ある。そんなことは今は良いのじゃ。お主にお願いがあってわざわざ妾がきたのじゃ。話くらいは、聞いてくれるな?」
「テメェのお願いは命令と同義なんだよ。さっさと言え」
楽しげに笑ったのは天国でも位の高けりゃ年齢も高い女神。俺はこの女に罰として1000年ほど天国へ行くことを禁じられている。それを簡単に逆らえないのはこの女神が強いからだ。
「理解の早い男は良いなぁ。その意気込みに免じてさっきの神を消したことは不問にしてやる」
「……」
「さて、本題と行こう。お前に神殺しをして欲しい」
「あ?」
「そう威嚇するでない。これは本当に神達全員の決議じゃ」
俺がなんで罰を受けることになったかといえばこの女に神殺しを頼まれそれを実行したからだ。あの時も似たような理由で頼まれ今こうなっている。
「大国を任せていた神が怠惰に仕事を滞納してこまっているのでな、再三通達はしたのだがどうにも態度に変化がない。ここはもう手っ取り早く神を消そうということになったから、任せられるな?」
「炎神か」
「ははは、お主ごときに心を読まれるとは。やはり妾にこの場所は合わぬな。母上に挨拶でもして行こうかと思ったが帰ることにしよう」
そう言うと、俺の返事も聞かず消えていった。後に残ったのは二つに割れた地面と太陽の残り香。久しぶりの寝起きがこれとは最悪だ。さっさと神殺しを終わらせてまた眠ろう。
「チッ……行くか」
まずはこの地獄から出なければな。
地獄から出るのは案外簡単なものだ。ああ、勿論神に限っての話で人はそんなことなどできないが。
久しぶりの人界は地獄よりはマシなもののどこか淀んだ霊力を感じさせる所ではある。
霊力の質だけを見れば地獄の方が綺麗なものだが、あそこは阿鼻叫喚なためそれが半減される。それに比べて、なのでつまりあまりいい場所とはいえなかった。
炎神が治める国がどこなのかはよく知らないが、炎神の気配は辿ることができる。降り立った地は運良く炎神の場所に近いのか奴の気配により本能で尻尾が少し逆立っている。
「……ん?」
風に乗るように空を飛んで気配を辿れば、たしかに炎神の気配はするもののそれとはまた別に美味そうな霊力の匂いがしてきた。
この国にはこんなに旨そうな霊力を持つ者がいるのか。少し興奮しつつ気配との距離を詰めていると、人集り、ならぬ妖集りを発見した。
「お前たち、なにをしている」
俺が近づいても気づかず見えない壁に体当たりするようにしてそいつらは中に入ろうとしている。
街全体、アーチのように結界が張られ小物どもは入れないようになっているようだった。
「贄…」
「たべたぁい」
「に、ぇひめ」
「はらへった」
「贄姫ワケロォ」
贄姫。神に捧げる女か。炎神は無類の女神好きらしいしな、そういう女がいてもおかしくはないが……ここまで霊力で妖を魅了するのも珍しい。まぁ俺には関係ないがな。
小物どものは入れない結界だが、残念なことに炎神の神格は俺より低いのか、それともこの結界が小物だけを通さないものなかすんなりその国……暁炎国に入ることができた。
久しぶりに人の街に来ればかなかなか発展していて面白いものだ。だが早く終わらせて帰りたい俺が街など見回ることはなく、仕事を終わらせ戻るつもりだった。
とある、式を見つけるまでは。
それは雀の形を模していたが、普通の雀とは違い右目が赤く、霊力の波動も動物にしては嫌に人工的なものだ。そこらの人間にしたら雀にしか見えないだろうがな。
どうせこんなところまできたのだ。 無防備な術者がどんなやつか気になって、その雀を追うように同じ鳥の式を作り出した。
それが全ての始まりだった。
雀は街の様子を見て回るかのように商店の屋根に止まったり、果物をつついたり、と何かの偵察でもしているのかと思えばそうは見えない。まるで、人間が楽しむようなことをするのだからますます興味が湧いた。
「一興一興、神の時間など無限なんだから寄り道くらい大日女も怒りはしねぇだろ」
人界に降りてきて俺の眷属たちが持ってきた絨毯に横になり、酒を煽っていればもう日も落ちる時間となっていた。
大きな太陽が沈み、東の空にはうっすらと二つの月が浮かび始めている。いつまで飽きもせず街を見回るのかと思った雀は、ようやくきりあげることにしたのか街とは反対の、王宮のある方向へと飛んでいった。
それを追うように式に命じ、いったいどんな奴なのかがやっとわかる、と口角を上げ、俺もゆっくり同じ方向へ進んだ。
基本が赤で塗られた王の住まいはこの時間ともなれば火がともり血のように美しい、王にふさわしい高貴さを醸し出している。
夜ともなれば人も少なく、大きな神殿の回廊にも人の姿は見えない。ただでさえ人気を感じさせなくなったこの場所の奥、の奥、さらに奥。
もはや火も灯らない薄暗い竹林に囲まれた物置小屋とも見違える牢屋。そこに、術者はいた。
「ありがとう。君のおかげでとても楽しめた」
中に入っていった式に話しかけているのか、中からは女の声がする。顔こそ見えないがこの甘く蕩けそうなほど美味い匂いは小物達が言っていた贄姫とかいうやつでは無いか。
仮にも神への贄を牢屋に閉じ込めるとは、そんなにもこの娘が醜いのかそれともーー。
残念ながら顔は見えない。
小さな小屋には小さな窓があるがそこには小動物くらいしか通れないような格子が科せられており、竹林の中に身を隠す俺には肉眼では見えない。
しかも動物など通りたくもなくなるような戒めの結界付きだ。とはいえ見えないのは結界の効果なため、力を使うと壁の向こうにいる娘がよく視えた。
ーー醜いわけではない、か。
「絢爛たる月魄の君」
「月魄様」
「我らが美しいお人」
「人間の小娘をご所望か」
「召し上がりになるか」
「我らが取ってこようか」
「贄姫はこの国一美しく甘美な霊力を持つもの」
「貴方様が召し上がりになるにふさわしい小娘」
「いや、下がれ」
俺がそう言えば、3ついた眷属達は音もなく消え去り、俺は小狐の姿に変化した。
これは一興。タダで炎神を殺すのもつまらない故の遊び心というものだ。
つまらない娘ならあいつらのいった通り俺が食ってやるか。炎神を消す前の暇つぶしには丁度いいだろう。
そんなことを考えながら、鉄格子をするりと抜け、その薄暗い部屋の中へと踏み入れたのだった。