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贄姫  作者: Emanon
1. 暁炎国の贄姫
14/18

14. たった一つの願いだった

 

「ま……さま…ひ……めさま…姫様」

「ん……?」

「姫様、到着いたしました」


 眠っていたらしい。


 下女に手を取られ馬車から降り立つと、空は夕焼けの紅に染まっていた。

 どこまでも広がる空を染め上げる紅はどこか不気味で、まるでここがあの暁の空間のような錯覚を覚える。


 寝起きのせいなのか頭は覚醒仕切らず、体にうまく力が入らない。ずっと夢の中にいるような気味の悪い感覚だ。


 ーーーその感覚すら、なんだかよくわからなくなる。本当に、気持ちの悪い……。


 なけなしの理性で目を覚まさせようと試みるも、歩くのが精一杯だ。まだ、聞けてないことがあるというのに。


 だが、その時、


 ーーーリィン


 澄んだ音が聞こえた気がして、バッと後ろを振り向いた。


「姫様?」


 わたしを支えていた下女は驚いてわたしの見た方向を振り返り、首をかしげる。


「今、何か聞こえなかったか?」

「? いえ、何も」

「そうか……」


 気づけば意識は明瞭となり、身体もさっきより楽になっていた。


「……。 一人で歩くよ。 案内してくれ」

「畏まりました」


 まるで背中を押されたような気がした。気がしただけ。けれど、わたしはわたしの最期の目的を果たすために前を向くことにした。


 眼前に聳えるのは木々の少ない寂しい山。 石でできた鳥居が連なり、その一本道の先にはポッカリと口が開いたように真っ黒な穴がある。それが入り口だ。


 ここにくるのは二度目だし、忘れもしない一度目は8歳の時、初めて神の御前に出た日だ。

 わたしの中で贄姫が生まれた日であり、真名を神に捧げ、契約を結んだ日。


 一見黒い穴のように見える入り口だが、中に入ると深い森が広がりさらに先に進むと大瀑布があるという異空間だ。


「ーーー暁槻」


 滅多に呼ばれることのないもう一つの名前に反応し、声の方向を見ると翹煉殿下が立っていた。

 軽く頭を下げ彼を見るとその向こうに陛下の姿もあることに気づいた。


 久しぶりに見た姿に特に変わりはないが、こちらに背を向けていても見ると胸を打つものがある。今日は特になのかもしれないが。


 形容し難い、複雑な気持ちだけれどわたしはこの日のために今日まで生きてきた。少しだけ、希望を持っても許してくれるだろう。


「陛下に話は通してある。 そう長くはないが、行くといい」

「ありがとうございます。 翹煉殿下。 このご恩は、死んでも忘れません」

「クハハッ。 それは面白い限りだ。 精々……いや……。 早く行け。 時間は少ない」

「はい。 失礼いたします」


 少しだけ、いつもより早い鼓動とともに殿下に頭を下げ、陛下のいる方へ足を向けた。


 あと少し、あと少し。


 ねえ神様、本当にあなたが神なのであればこれくらいのわがまま許してくださるだろう?

 だってわたしは何も持たなかった、何も持てなかった。 きっと全てをあなたに捧げるのだから。 これくらい、きっとだれでも許してくれる。



 ーーー欲がない



 そう言われて返す言葉はなかった。 だってそれはわたしだって、分かっていることだ。 伊達に本を読んでいるわけじゃない。知っていることだけは沢山ある。

 沢山の人の考えを読んで、沢山の人を視て、知って、わたしが少しずれてるいることくらいわかっていた。

 それでもわたしが唯一望んだソレだけが手に入るなら、と耐えた。今日までずっと耐え続けた。


 あの狐ならわたしの望みをくだらないと一蹴するだろう。

 でも、本当にそれだけで良かったのだわたしは。ただ、本当に、ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()


 嘘でもいいからわたしをあの方の娘だと認めて、真名を呼んでくださればそれだけでいい。


 それだけで、わたしはこの国のために全てを投げ捨てられる。


 そのためだけにわたしは贄姫としての宿命を受け入れた。


 わたし、今代の贄姫、暁槻はそれだけの女だ。


「ーーー陛下、ご機嫌麗しゅう」

「早く済ませよ。 翹煉の進言でこの場を設けたが……何用だ」


 浅く息を吐いて、顔を上げて陛下の顔を見た。わたしとは似ていないけど、たしかに血の繋がった父親の顔を。


「陛下、わたくしの真名をご存知でしょうか?」

「貴様の真名……? ……ああ。 それが?」


 あと少し、あと少しだ。


「その名前を、呼んでいただけないでしょうか?」

「……」

「一度だけで良いのです。 どうか、一度だけ」


 緊張のあまり、手足は震え陛下の顔を見るのが耐えられなくなり頭を下げるふりをして顔を背けた。期待は動悸となり、次第に視界もふやけていく。


 陛下の口が開く気配がして、前に組んだ手をぎゅっと力強く握りしめた。


「貴様はーー」


 ああ、これで私はやっと、


「ーーーふざけているのか」


 ーーー。


「なぜ我が貴様の名など呼ばねばならん。 王家の血筋にありながら色を持たず忌子として生まれた貴様の名を。 そして我が妃を殺した罪に目をつぶって、我が寛大にも贄姫という誉れ高い身分を与えてやったというのに……貴様といえば身勝手で横暴な振る舞いばかり、どれだけ名誉ある身かも知らず恥知らずも甚だしい。 そんな貴様の名を我が呼ぶとでも? こうして話すことでさえ汚らわしいというのに、我の口を汚すつもりか」


 ーーー。


「大人しく役目を果たせ。 その身に余る栄誉に感謝して、な」


 ーーー。


 そうして陛下は籠に乗り、鳥居の方へ行ってしまわれた。わたしはその間、微塵も動けず呆然と立ち尽くしていた。


 何が起きたのか、何を言われたのか理解できなかった。


 もう、涙も出なかった。


 ただ少しずつ、少しずつ言われたことを咀嚼して、否定して、噛み砕いて、掻き消して、反芻して、撒き散らして、それでも、何度やっても変わらなくて。


 ーーー陛下は、私の名前など呼んでくれなかった。


 それどころか私に憎悪を抱いて蔑んだ。 嘘でも良かったのに、嘘でいいからただ呼んでくれれば良かったのに。

 心の底から嫌悪して怨憎を抱いてわたしのことなど露ほども家族などと思ってはくださらなかった。


 忌子だと。 生まれた瞬間から忌子? 贄姫だから、などとただわたしが目を逸らしていただけだったのだ。


 生まれた瞬間から、わたしは誰かに愛されたことなど当の一度もなかったということだ。


「ふ、ふふ、あはははははは」


 ああ、おかしい、可笑しい、オカシイ。哀れだ。なんて惨めったらしい。 可哀想。結局、わたしなんてなんの価値もない人間だった。忌子だからと体良く生贄にされ、捨てられた。


 だれもわたしを見てくれなかった。


 これが絶望というのだろうか。もうどうでもいい、と今すぐ身を投げ出したい気分だ。全てが無意味で無価値に見えて、こんな世界なくなって仕舞えばいいのに、と。


 きっとわたしなんてもの初めからいなかったんだ。


 贄姫として役目を果たせば少しは陛下もわたしを認識してくれるだろうか? ーーー否。


 でもわたしの少しの希望なんてもう本当にそれだけになってしまった。


 どんな手を使ってでも認めてもらうなら、本当にそれだけしか。ーーー本当に?


 ーーー本当に、それで良かっただろうか。




 わたしの気が狂ったかと、戦々恐々とする下女に連れられわたしは既に鳥居をくぐり、黒い穴、神の御前の入り口も通り抜けていた。

 深緑に包まれたその空間は異空間というよりは、別の場所に転移したように感じる。ふらつきながら、前に進み視線は虚ろに地を彷徨う。


 そして、ふと、木の根元に淡い桃色の花が咲くのを見て、思い出した。思い出して、しまった。


「……」


 気づけば左手が口元に行き、その花を見つめてしまった。


 すぐに急かされ、ほんの少しだったけれど、思い出すには十分すぎる時間だっただろう。


 森の入り口からその場所へはすぐに着いた。見慣れた大瀑布は深く、高く、果てしなく、そこだけ切り取られたようにそっくりあの場所がある。

 神はおらず、少しの祝詞の後、わたしが身を投げ儀式は完成する。わたしはいつものように肌着1枚で、大瀑布の端に立った。


 そして、祝詞が始まる。


 祝詞と同時にポツポツと空が泣き出し、それは次第に強くなった。

 雨音に負けじと祝詞は大きくなり、雨音と祝詞、粛然としていた森に2つの音が鳴り響く。だから私が少しくらい言葉を発してもそれは誰にも気づかれないし、少しくらい指や腕を動かしても、だれにもーーー。


「…………… 薩婆訶」


 小さく呟いた言葉だった。しかしそれはしっかりと意味を持ち、わたしの霊力を刺激した。


「ゴフッ……」


 この程度でもわたしの身体は悲鳴をあげて口を拭った袖は赤く染まった。

 幸い、雨はひどく視界も悪いからまさかわたしが吐血したなどだれも気づかない。


 お願い、少しだけでいいからもって……。


「ごめんなさい。ーーー父上」


 最後に呼んだのは、結局本人に言えないままだったけれど、ずっと呼んでみたかった言葉だった。


 そうしてわたしは、逃げ出した。


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