11. 名
「ーーおい、起きろ」
「ん……もう、朝…?」
「違う、寝ぼけているのか?」
「またお前か、人型はやめろと……あ」
違う、わたし、狐に抱えられてどこかへ連れてかれてたんだ。
「起きたか。 着いたぞ」
「……どれくらい寝ていた?」
「さてな」
「……。 で、どこに着いたと……!」
ひらり、ひらりと桃色の雪が降った。否、正確にはそれは雪ではないけれど、この時期に降るものを見て雪かと思ってしまった。
一度気がつけば辺り一面桃色の雪がゆらゆらと降り落ちる、その景色に目を奪われそれが雪ではなく桜であると気づいたときには不思議と視界がぼやけてしまっていた。
「さ、くら……」
「なんだ、泣くほど良かったのか。 感謝しろ」
「……」
狐の腹立たしい言動すら気にならないほどにその狂い咲きの桜は私の胸を打っていた。
辺りは暗闇で、草木も息をひそめる銀月。その中で悠々と一本だけ咲き誇る桜の大木。ほのかに発光しているように見えるのはこの木が霊脈の真上に立っているからだろう。恐らく、狂い咲く原因もそれだ。
ひらひらと時を忘れるほど、ずっと、永遠に見ていたいと思わせるその光景に私の涙は止まることを知らない。だって、だってもう見れないと思っていたから。
「まだこの国にこんなところがあったのか……」
「国内ではない」
「……は?」
「いや?俺は国境など気にしたことなどないからな。 もしかすれば国内かもしれないが……まあ、結界は抜けたから恐らく違うだろう」
「結界を抜けた……。く、国の周りに張ってあるアレを抜けたと!?」
「ああ」
驚きすぎて涙が引っ込んだ。とどまることを知らないとはなんだったのか。
そして国の周りに貼ってある結界は炎神様が国を守るために張ってくださっている強い結界だ。そのおかげでこの国は色々な悪いものを寄せ付けない。それを抜けられるこの狐、何者……? 薄々思っていたが聖獣にしては規格外すぎる。
「て、それよりも。 贄姫が外に出るなどバレたら大変なことになる! それも、炎神様に……。 国が無くなったらどうするつもりだ! 今すぐ戻れ!今すぐに!」
「あー。 うるせぇ。 アイツ如きにバレるかよ。 女一人いなくなったくらいで国を潰したらまずアイツが消されるから安心しろ」
「は、はぁ? い、意味がわからない……なぜバレないのだ。 お前は本当に、はぁ」
疲れた……。 この狐といると、変に疲れることばかりだ。
「変にとは失礼な小娘だな、相変わらず」
「む。 心を読むな」
「ふんっ。で? 心境は変わったか小娘」
心境……? こいつ、まさか、
「何度聞かれようがわたしの答えは変わらない。 わたしは、私は贄としての役目を果たすだけだ。 ……まあ、もう見れないと思ったものを見せてくれたのだからその点あなたに感謝しないこともないです。 ……ありがとうございます」
「……つまらん。 お前も馬鹿ではないのだから気づいているだろうに」
何に、とは言われずともわかる。 贄姫の役割についてだ。
私が本当に知りたいと思って調べればわかるだろう。本に載っておらずとも、精霊に聞くなど方法はいくらでもある。いや、あった。けれど、私はしなかった。 もう満足に術は使えないし、今更、もう遅いのだ。
それでも私が贄姫という役目を果たそうとするのはーー。
「あなたは、自分の名前を呼ばれたことがあるか」
「名前? 俺に名前などない」
「え、名前、無いのか? 誰かに呼ばれたりとかしないのか」
「さて、眷属には月魄と呼ばれるが。 それは名前ではないしな。 俺には必要のないものだ」
「月魄……。 ふふ、月の精霊か。 なるほど見た目だけは確かに」
「見た目だけ? 口の減らない……。 で、なぜそんなことを俺に聞いた」
「わたしにも名前が無いから」
「無くても困ることはないだろう」
「ああ。でも、わたしは自分の名前を知りたかった。 あの人達と同じように呼ばれてみたかった。 一度でいいから」
「それになんの意味がある?」
「……家族として、認められるような気がした。 贄姫ではない、わたしを呼んでくれたら、それだけで」
「人間は面倒だな」
「わたしにとっては大事なことです。 あなたも大切な人に名前を呼ばれたらわかると思いますが。 まあ、名前が無いのなら仕方ないか」
「お前に言われたくないわ」
「わたしはあなたとは違う。 正確に言うと、私の名前は無いのではなく無くなった。 本当は、ある……はず」
「……聞かせろ」
「え、わたしの名前を?」
問いかけに応えは無く、月色の瞳で真っ直ぐに見つめられる。無言の肯定というやつだろう。
妖の類に名前を教えるというのは、気が進まないが、この狐がわたしの名前をきいてわたしに何かするかといえば、しないだろう。
それに、わたしの名前は……。