1.姫の務め
その国の長い歴史の中に、贄姫という存在は欠かせないものであった。
その名の通り、国の贄として国に尽くし、民を守り、有事の際には…その身をもって国を守る姫だ。
贄姫の条件は2つ。
1つ、その国で二番目以降に生まれた姫であること。
2つ、神に好かれること。
神に好かれるというのは、とある儀式を成功させることにある。その国で2番目に生まれた姫は生まれた瞬間から贄姫として育てられ9つの誕生日まで、儀式を成功させるために育てられる。
稀に、贄姫が王宮で生まれない場合には城下町から一番強い霊力を持って生まれた少女を王宮へ招くのだ。
その年も、贄姫は王宮で運命を全うするはずだった。
ーーーーーー
今日も、朝日が綺麗だ。
「あと少し、読んでしまおう」
昨晩読んでいた書物はなかなか面白かったが、途中で眠ってしまったようだ。残り数ページなのだから読んでしまおう。
私にしては珍しく、魔術書や歴史書ではなく物語という類のものにハマってしまった。
「ふむ。やはり、面白い。私がここにいる間に完結するだろうか。まぁ、しなかったらしなかった、か」
そろそろ世話係の女達が来る頃だろう。散らかした本の片付けでもするとしようか。
私が唯一自由に過ごせる範囲は、この部屋の中だけ。
ここから外、たとえ王宮だとしても足にはいつも鎖をつけられる。けれど、私はそれを苦に思ったことはない。周りから見れば私は憐れに映るようだけど、贄姫である私は幼い頃からそれが当たり前なのだ。
贄姫。
この国が崇める神に仕わされる姫のことを指す言葉。
第二王女として生まれた私は極めて高い霊力を持ち、生まれたその瞬間から贄姫と呼ばれていた。
私の場合、特に意識を持ち始めたのは初染ノ儀式を受けた時だろうか。
儀式というのは贄姫が9歳になった時に行う神様との対面式のことだ。それと最初で最後の民に姿を見られる機会でもある。
民の前に立つ建前は神の代行者。代行者として、神の言葉を伝える役目を仰せつかったことを宣言し、それから神様が住んでいる山奥の儀式の間に挨拶をしに行く。
私はその時確かに神様に会った。周りの人は見えていなかったようだけど、神様のようなのは私を見て至極楽しそうに笑っていたーーように見えた。
その儀式を終えた後、私の背中の腰あたりには蓮の紋様が現れ、歳を追うごとにそれは少しずつ濃くなり、花を開こうとしている。
まさに、文献通りというわけだ。
「姫様。御御足、失礼いたします」
「ああ」
ガチャンッ
足枷を付けられ、今日も重たい足を前に進める。
静かな廊下をゆっくり、ゆっくり、金属音を響かせながら歩いて着いた先にあるのは、漆黒の、人1人入れるのがやっとという大きさの扉。
「行ってらっしゃいませ」
控えた侍女達にさっき着替えたばかりだというのに肌着以外の全てを預け、中に入る。
中に入ると肌着も脱ぎ捨て全裸となる。深部に近づけば近づくほど、蓮の紋様が疼き気持ちとは反対に体が導かれるように前へ、前へと進んで行く。
水面を歩いているような感覚で、暁の空を思わせるこの空間は私が足を進めるたびに丸く広がる波紋を重ねて行く。
すごく、綺麗なところだと思う。まぁでもそれは当然というものだ。ここは、神の御前なのだから。
真っ赤な鳥居を一つ抜けると、大きく口を開く大瀑布のような場所に到着する。大瀑布とは言っても、静かだし何より水が落ちているのかあがってきているのからそもそもこれが水なのかすら不明だ。けれど下は真っ暗な闇、落ちたらタダでは済まないだろう。
その真っ暗闇の上、ふよふよと浮かぶよくわからない獣の敷物の上に神は優雅に座っている。
「炎神様、今日もご機嫌麗しゅう」
名の通り、彼は深紅の瞳と髪色を持つ、炎の化身だ。そして、私が身を捧げる神。
「まだ馴染まんのか。全く人間の身体というのは使い勝手が悪い。そんな壊れやすい器、早くに捨てれば良いものを」
そう言いながら神は私に近づき、私の蓮に触れる。
途端、微かな痛みと倦怠感に襲われる。それが少しずつ重くなるのに比例して、その紋様もさぞ濃くなっていることだろう。
これが、私が贄となる日から毎朝欠かさず行われる禊だ。私の務めは基本これを行い最後には…この国のため命を捧げること。
「その醜い身体を捨てれぬ身のお前に興味はない疾く失せよ」
「……失礼いたします」
神の気配が消えるまでこうべを垂れ、消えればまたきた道を戻る簡単なお仕事だ。これに何か感情を抱くなんてことももうなくなってしまった。
いつの間にか目の前にはまたあの黒い扉があって、そこには冷たくなった肌着が落ちている。それをもう一度開き、ただ扉に手を伸ばした。
それだけだ、私にできることなんて。
「姫様。この後は国王陛下への謁見が」
帰ろうとした私にかかったのはそんな声。
ーー陛下が、私に、話?
「……わかった」
さっきとは違い忙しげに人々が往来する場所で、やはりこの私がいるのは異質なのか、通りすがる人々は嫌な顔をしながら私に跪いて道を譲る。
これでもこの国の第二王女だから、な。