第八話
「しばらく、ここで待っていろ」
連れてこられたランズマン家は、アルヴァレス家と同じくらい、大きく立派な屋敷だった。
掃除は隅まで行き届き、廊下に飾られる花だって、一輪たりとも枯れていない。
所々に兵士が立ち、街の中もそうだったが、警備に気合が入っている。
――これは、普通に暗殺に来ていたら、絶対忍び込めなかったな。
フェリシアならまだしも、レオはただの素人だ。監視の目が光るこの屋敷だと、庭に入れるかだって怪しい。
廊下にフェリシアと立たされて、監視の兵士と待たされて、数分。
大きな扉が開かれて、中に入るよう促される。
入った先は、ノルベールの書斎のようだった。
――の、ノルベール。
入った部屋の正面に置かれた、木製の机。
その机の前に立ちながら、こちらを見ている男が一人。整えられた白い髪は、後ろで一つに縛られて、服装は流石といったところか、きっちりと正装に包まれていた。
「よく来たね」
温厚そうな声だった。
レオも過去に聞いたことがある、ノルベールの声だ。
「兵士がいては怖いだろう。少し数を減らそうか」
二、三人だけを残し、他の兵士が去っていく。
ノルベールの今の対応はあくまで、無罪だった場合を視野に入れての行動だろう。
市民からの支持率は、今の彼にとって重要な鍵だ。
――でも、ここまで来れれば、問題はない。
レオは一歩前に出て、フードを外す。
「――ほう」
「お久しぶりです、ノルベールさん」
「まさか、本当に生きていたとはな」
「ええ。あんな事件があって、僕も生きるのに必死でした。顔を出せなくてすみません」
後ろに立っているフェリシアの、視線をひしひしと感じていた。
――何を企んでいるか。そう聞きたいんだろう。
レオはさらに前に出て、困ったように頬をかく。
「ノルベールさんが事件の調査をしてくれているのは、街の噂で聞きました。父と友人だったあなたなら、動いてくれると信じていましたよ」
「――! ああ、そうだ。アルヴァレス家が暗殺なんて、とても痛ましい事件だからな。さぞ大変だったことだろう」
「ええ、本当に。なんで暗殺なんてされたのか、疑問が付きない日々でした」
ノルベールは笑って、人当たりのいい笑みを向ける。
――この様子、フェリシアの正体には気付いてないのか?
フェリシアは暗殺者として働くとき、仮面をつけて行動する。もしかしたらノルベールは、フェリシアの素顔を知らないのかもしれない。
――なら、今の上辺の笑顔も納得、かな。
ノルベールはにこにこと笑顔を取り繕う。まさに社交界スマイル。
今になって考えてみれば、以前父が連れて来た時も、ノルベールはこんな笑顔だった。
「ところで、ノルベールさん。事件調査をしていたあなたに、聞きたいことがあるんです」
「ほう、なんだね。なんでも聞いてみなさい。君は唯一の生き残りだ、聞きたいことはたくさんあるだろう」
「そうですね。では、まず、犯人の動機はなんでしょう?」
ノルベールの動きが、一瞬だけとまった。
「すまない。犯人はまだ、捕まえられていないのだ。だから、動機を聞こうにも向こうの真意は――」
「自分に問いかけてはどうですか? ノルベールさん」
ピタリ。
今度こそ、ノルベールの動きが止まった。
するとノルベール表情から、笑顔が瞬時に消え去る。
「お前、なにもかも知ったうえでここに応じたというのか?」
「ええ、もちろん。僕はあなたに、聞きたいことがありましたから」
ノルベールがにやりと口角をあげ、声を上げて笑い倒す。
「滑稽だな、なんて馬鹿なガキだ! こんな所までやってきて、生きて帰れると思ったのか? お前はこの後、私に一時的に保護されるが、衰弱により死亡する」
「なるほど、長男をかくまいはしたものの、技術及ばず無念の死、といったシナリオでしたか。確かに、長男本人か確認した後、騒がれず、一番無難に、処理ができる方法ですね」
「ふん、生意気な。お前が生きて訪れたなら、もうこれ以上に用はない。さっさと地下にでも閉じ込めろ」
「いいや、僕はお前に、聞きたいことが残ってる」
レオが口にした途端、指示を受け、動き出そうとした兵士に、ノルベールが制止の合図を出す。
その表情は歪んでいて、これから死んでいくレオを、あざ笑うかのようだった。
「まぁ、人生最後の頼みだ。質問くらいは聞いてやろう」
「……先ほどの問いと同じです。どうして、アルヴァレス家を殺したんですか? あなたと僕の父は、友人だったはずなのに」
声が段々と大きくなり、感情的になるレオを、ノルベールは鼻で笑った。
「友人、ねぇ」
その声は、酷く冷たいものだった。
ノルベールは宙を見上げたまま、面倒くさそうに口を開く。
「君の父は、常に私の上にいた。ずっとずっと昔から、今の今まで変わらず、勉学も、恋も、業績もなにもかも。私はアルヴァレス家に負けていた。友人なんかと謳われても、私は一切満たされない。ずっとずっと惨めだった。悔しさで日々が埋まっていた、憂鬱に塗れた日々だった」
「……だから、殺したって言うんですか?」
震えるレオの声に、ノルベールが振り向く。
「当然だ。殺されて当然の奴なのさ。私に惨めな思いを味合わせ、自分だけが上を行くアルヴァレス家は、目障りでうざくて仕方ない。アルヴァレス家がいなくなれば、注目を浴びるのは私なのだ。アルヴァレス家さえいなくなれば、私は日の目が見れるんだ!」
――……。
頭を、強く殴られたような思いだった。
「……父は」
よろり、レオが一歩前に出た。
「父は、あなたのことを、心から友人と呼んでいた。家族に話す時だって、幸せそうに話していた。……なのに」
「私は、君の父親のことを、友人と思ったことは一度だってない」
「――ッ!」
ノルベールが言い放った途端、プツリと、糸が切れる感覚があった。
レオは背中から短剣を出して、感情のままにそれを構える。
「貴様ッ――ぐっ!?」
周囲に構えていた兵士たちが、一斉に動き出した時だった。
フェリシアがロープを断ち切って、兵士たちを一掃する。
「き、貴様ら一体――ッ!?」
「父は、あなたのことを、信じていたのに――!」
ナイフを構え、走り出す。
後ずさろうとしたノルベールが、書斎机にぶつかった。
刹那、懐に手を入れ、取り出す。
――拳銃が、レオの方に向けられた。
「レオ!!」
――パァンッ!
と、銃声が響いた。
パタタと血液が流れ落ちて、レオの両足は震えていた。
「ふ――フェリシア……?」
目の前には、金髪がさらりと揺れていた。
ノルベールの腕を左手で締め上げて、レオの間に入ったフェリシアの右手には、深々とナイフが刺さっている。
ノルベールはすっかり震えあがり、フェリシアが腕を離した途端、腰を抜かして座り込む。
「フェリシア……なんで……」
ナイフを滴る血液が、レオの手を汚していく。
フェリシアはそのまま銃を奪い、ノルベールに向かって構えた。
「ひっ! ま、待ってくれ、金ならいくらでも――ッ!」
パンッパンッ、と銃声が二回響いて、ノルベールの声はしなくなった。
荒いレオの息遣いと、フェリシアの呼吸だけが聞こえてくる。
「ど、うして……」
レオはナイフから手を離し、ペタリと地面に座り込む。
フェリシアは振り返ったと同時、手に刺さったナイフを抜いた。
「フェリシア」
レオの手が震える。
「僕の依頼は、僕の、復讐の……」
「ああ、わかっている」
「なら、どうして……どうして庇ったりしたんだ……!」
ナイフを捨て、おろされたフェリシアの左手から、鮮血がぽたぽたと垂れていた。
こちらに向き直るフェリシアの肩に、弾丸による痛々しい傷ができていた。
「……私は」
フェリシアが、レオの前に膝をつく。
右手をそっと差し出して、そこから流れる血液に、レオの意識が遠くなる。
――自分はどこも怪我してないのに、胸が痛くて仕方がない。
黙り込んだレオに、フェリシアがふっと、小さく笑う。
「やはり、お前は少し、優しすぎるな」
「え――……?」
暖かい熱に満ちている、フェリシアの右手が頬に触れた。
赤い瞳は穏やかで、優しく細められている。
「誰かを殺してしまったら、二度と普通には戻れない。一度その手が血に染まれば、それはぬぐえない罪になる。それは目には見えなくても、どんなに血を洗い流しても、心に沁みた赤だけは、決して消えないものになる。……私は、そんな罪を、お前に背負って欲しくない」
フェリシアの目は、赤い。だが、温かい光を宿していた。
そこに刻まれる微笑みも、レオの頬に触れる手も、温かい優しさに溢れている。
レオはぎゅっと唇を噛んで、熱くなった目頭を、我慢するように目を瞑る。
「依頼は失敗だ。私はお前の言いつけを、守らずに奴を殺したからな。――だから、報酬はいらない」
そういって、そっと手が離れた。
「……ううん。まだ、終わってないよ、フェリシア」
「――……なに?」
立ち上がったフェリシアの手を、レオがそっと優しくとる。
レオはフェリシアを見上げながら、精一杯に微笑んだ。
「君の手についた赤い血は、僕が依頼したものだ。君が犯したその罪は、僕が背負うはずの罪だった。……だから、僕も、君と一緒に罪を背負う」
フェリシアの瞳が見開かれて、赤い唇がきゅっと結ばれる。
「僕も一緒に、連れてってよ。フェリシア」
少しだけの沈黙が、レオとフェリシアを包み込む。
やがて、フェリシアは困ったように息を吐き、
「生易しい世界ではないぞ?」
と、小さな笑みを浮かべていった。
「それは追々、慣れていきます……」
聞こえてくる兵士の足音を背景に、レオも小さく笑った。
――ああ、まずは。
「ここからちゃんと、生き残ってから話ましょう」
「……ああ、そうだな」
フェリシアはレオを肩に抱き、またいつものように、駆けだした。




