火事と喧嘩は江戸の華
火事と喧嘩は江戸の華。映えと逃げこそ令和の華となりし今日この頃。我々は弱い日本人に戻った。詰まる所、歴史を繰り返している事に気づかねばならない。例えばスマホを和紙に変えてみれば、インスタ映えと俳句を認める行為は類似している。のらりくらりとした平安時代と何も変わらない。それが令和である。昭和の戦魂は、まるで江戸の華である。私が鐘を鳴らす理由はこれに尽きる。我々は弱い。さすれば、あの時のように強国が押し寄せてくる。つまり、第三次世界大戦が勃発するわけだ。
これは悲観主義による盲目の主観ではない。檄だ。これは予言でもない。予測だ。恐らく大抵の日本人は気づいているだろうが、どのような対策を取ればいいのかもわからない。それが現状である。
ここで私は第三次に至るまでの過程を暴くことに挑む次第だ。ナチスドイツを知る事が、日本を戦争に導かない唯一の施策であると私は唱える。
二十二歳にして私は喧嘩を久しぶりにした。中学以来の鼻血事件だ。当然に相手は剣道を十年以上もしていたこともあり、私は手を出すことに英断した。先に本気で喧嘩を売ってきたのは向こうなのだが・・・・圧倒的に私の方が腕力もなく、身長も三センチは負けていた。だが、勝ってしまったのだ。これが平成生まれの弱小さである。相手は私を本気でドツイてきて、お返しに顔面を一発だけ殴った。八割の力で殴ったつもりだが、どうして私が本気で殴らなかったのか。それは、向こうが手加減をしていると勘違いをしたからだ。
取っ組み合いの最中に、相手の力がドンドン抜けていくのを感じたからである。それでも怒号は収まらず、むしろ相手は激昂していた。おかしい。力を抜いているのに理性を失っているのだ。なので、面白半分で顔面に膝蹴りを私はいれた。初めての膝蹴りで、今までのカンフードラマなどの知識をアウトプットした試行的な暴力だ。相手は涙目になり、目は充血する。私はこの喧嘩が本気なのか、それともライオンのじゃれ合いなのかわからなくなった。
これも大問題だが、その場にいた男子の一人は我々の喧嘩に怯えて女子と一緒に隠れたのも見逃せない。止めに入ったのは男二人で、その止め方も貧弱なものである。止められた側だからこそわかるが、ただ身体を抱きしめられただけと覚えている。女子は震えて、別室に逃げる。江戸なら煽りやら、必死に止めに来たり、または女子ならくだらないと帰るのが
当然だろう。
その女子もチラチラとパンツを見る様に盗み見て、殊にその女子曰く、相手は手加減をしていたのではなく私に抑えられて足がガクガクに震えていただけの事だったそうだ。逃げた男子は巻き込まれたくないと、男の宿命から逃げた罪悪感を開き直りで乗り切る始末。これが大学生の現状である。大学生を強調する理由は、この貧弱な大学生が日本のトップを占めるからだ。
後日、不思議なことに喧嘩を売って負けた男が謝りに来た。これが本当にわからない。口で言ってもわからないから、お互いに了承の上で手を出すことにしたのだから。それなのに、再び口で解決しようと試みる矛盾に私は頭を悩ませた。恐らくこの背景には、相手の不器用さに依存する。それと同時に、我々のコミュニティーの空気が悪くなるという保守的な理由によるものかもしれない。私は同じ男として相手を蔑んだ。恥ずかしくないのかと。戦いに負けて、それでも今いるコミュニティーに居残りたいから私に謝って仲直りをする。この方程式がわからない。喧嘩をした時の気持ちはどこにいってしまったのか。喧嘩を罪にして懺悔をするのか。私は彼が喧嘩をするのはサイコパス的な動機ではなく、守りたい自分があったからこその戦いだと存じている。
余談だが、彼は警察を志望している。大卒の警察だ。つまりそういうことだ。力も何もかも勝っているのに、喧嘩慣れをしていない、または精神力の弱さと不器用さが腕力を上回ったわけである。
もっと面白い話をしよう。喧嘩をしている部屋の隣で教授は入ってくるタイミングを見計らっていた。普通なら、止めに入るのが常であろう。だが、怒号が鳴り止んだのを確認してから教授が部屋へ入ってきた。何を聞いたと読者は思うか。何とも面白く、教授は喧嘩には一切触れず、卒論の事を話し始めたのだ。
この弱小日本人は、見た目が強いのだ。だから、個立化していく。まるで中世のドイツと同じだ。孤独を感じると人は、集団に帰属するマゾヒズムに陥る。すると今度はサディスティックを満たすために、老人を虐めるであろう。それが少子高齢化の大きな問題点。ヒトラーが必ず現れる。それは、我々が生み出すのであり、時代が呼んでくるのだ。ナチスに所属して、平和で真面目な日本人が残虐者に変わるのも、目と鼻の先である。
ちなみに、胎児を中絶する法律はどこからきたかご存じだろうか。ナチスドイツだ。優性遺伝を、殊にアーリア人という優秀な人間を残して劣勢を排除する法律が原点。我々の日本にあのナチス政権当時の法律が生きている事に目を瞑ってはいけない。同時に、今の我々は同性愛を容認しはじめている。これもナチスは容認していた。このエロティシズムを排除しなくてはならない。中絶という法律を廃止しない限り、人間の優越はこびりついてくるだろう。それだけならいいが、この根本思想は精神病患者を虐殺していくだろう。
何度も書くが、ヒトラーは日本で復活する。我々は第二のヒトラーを抑え込まなければならない。時代が我々をいまだに生かしている理由は、恐らくヒトラー対策であろう。自分の宿命を全うするべく、真っ正直に生きなければならない。