四章 18冊目 白書
確かな手ごたえがロネイの手を伝う。刀の帽子が骨肉を壊死させ、そのまま風穴を開け、突き抜けるその感覚に、
「捉えたッ!」
と、ニヤリと表情は緩む。お楽しみはこの後なのだが、止めどなく溢れてしまう。
一体どんな表情をしているのか。一体どんな声を上げてくれるのか。一体どんな最後を迎えてくれるのか。ただ楽しみでしょうがない。
思ったよりも呆気なかった。感じたあの力は幻だったのか。刹那に決まってしまったのだ。拍子抜けである。
心臓を捉えたために、すぐに死ぬ。血すら流せずに――、
「……えっ」
ロネイは思わず声を漏らした。見上げた先――メイド服の人物は、「……ぅぐっ!?」と、期待した以上の苦痛の表情を――声を作り出していた――それなのに、それなのにも関わらず、ロネイの心は何故か満たされない。最高の時――今までの中でもトップクラスのはずなのに――、
「……な、なんで」
分からない。分からない分からない。何故心が満ちない。
止めろ。止めろ止めろ止めろ止めろ止めろやめろヤメロ――、
――――分かってるだろ。
ふと心から響き始めた声が、自分の声と瓜二つ――否、全く同じだ。様々な観点――『固有魔力』から見ても、捉えた声色はロネイそのものであった。
「……だ、だいじょうぶ、ですよ。ロネイさま」
ハッと我に返るロネイ。
メイド服の彼女が発した声色は、精一杯に振り絞った声なのは明白。じき息絶える――はずなのだ。なのに何故――。
苛立つはずなのに苛つけない。先程までの苦痛はどこにいった。何故この状況で、こんな状況で、誰も見せたことのない表情を作れる。
――何故笑顔を作れる。
今から死ぬのだ。怯えるのが普通だろうに。ましてやその相手が目の前にいる。
痛いはずだ。苦しいはずだ。生から解放されたいはずなのに――、
――温かい。
その表情は温もりで溢れている。
「あなた様は優しい心の持ち主のはず……何故このようなことに……申し訳ありません。私の不甲斐なさが、ロネイ様を苦しめてしまう結果となってしまいました」
彼女は優しい声色でロネイを諭しながらも、突如として自分を卑下し始めた――かと思えば、彼女はさらなる不可解な言動を始めた。それはロネイへと見せる優しさとは裏腹に、ひどく痛々しい。
彼女は自らの体に突き刺さる刀を、さらに奥深くへと誘い始めたのだ。
刀の刃も意に介さず、手でそれを強く握りしめる。突然そこからは血が滴り始める。それでも構わずに押し込み、ロネイとの距離を詰める。
明らかな自傷行為。命を投げ捨てる行為に他ならない。彼女なら、ロネイが何故白い悪魔と呼ばれているか分かっているはずだ。だから、刀を引き抜いたとて出血死することはない。それなのに彼女は止まらない。自ら血を流してまでしたいことが、ロネイには分からなかった。
ロネイは今日、彼女に初めて会ったのだ。初対面なのだ。それなのに彼女は、まるで自分のことのように接するその態度が、ロネイには理解ができなかった。自分を卑下し、悔い改めている彼女の心など知り得るはずがない。身近な存在であった父のことすらロネイは知らなかったのだ。ましてや国がこのようなことになっていることすらも――同じ。
だが、どこか懐かしかった。ここまでとはいかないが、親身になって接する者は、ロネイの知り得る中ではたった一人だけ――遠い日の記憶の、父だけであった。
刀が懐深くまで――ロネイと彼女との距離を無くすほど、目一杯まで近づくと、彼女はロネイを包容した。
ポタポタと、ロネイから滴り落ちるものがあった。静寂の中、その音を掻き消す慟哭がロネイから響き始めた。
涙が零れ落ち、心の何かが壊れて、温もりに出会った。それほどに、彼女は雄大な世界のように包んでくれている。
――――この人のようになりたい。
ロネイの心はそう思った。傷つける自分とは正反対の自分になりたいと、決意した。
「ロネイ様。あなた様の本心は、私『フィア』が確かにお預かりしました。いつの日にか、この心は必ずお返し致します。ですが、あなた様は恐らくそれを望まれないはず。しかしながら、この心はロネイ様ご自身なのです。いつかは向き合わなければなりません。その時、またこのようなことになったとしましても、必ずお救いすることをお約束致します。
――ですから今は、ゆっくりと目を閉じ、お休みください」
ロネイは静かに目を閉じると、自分とすれ違う夢を見た。あれはいつの日か捨てた自分の姿――、
――――あぁ、そうか。
白い悪魔はようやく、瓜二つの声の正体に気がついた。
この日を境に、白い悪魔は突如として姿を消すこととなる。
そして戦争は終わりを告げる。この日が、ビオン王国最後の抗いであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その人物は今までの戦った相手とはまるで違う。向かい合っただけでその威圧感に気圧された。ロネイにとってそれは初めての経験であった。別次元の存在。勝てる要素が見当たらない。
――――メイドのくせに。
だからこそ、ロネイは武者震い以上に胸が高鳴っていた。そんな人物がいったいどんな表情で――どんな声で悶えてくれるのか、と。ただ本心の赴くままに答えを決める。
白装束に身を包む白い悪魔。それにメイド服で立ち向かう人物。白い鞘から引き抜かれた白刀は、陽の光によりさらに純真な白へと色を変化させていた。
それが合図であった。そしてその勝敗は一瞬にして決した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
生々しい大地の傷跡。血と黒煙が醸すむせ返る匂い。悲鳴と号令が飛び交う――ここは戦場。男も女も――子供も老人も――人も亜人も関係ない。殺るか殺られるか。答えはシンプルに一つしかない。
――強者だけが生き残る。
そんな場所を地獄と呼ぶのが普通。普通ならばそうだ。だが、そんな地獄に立つと、ロネイの心は不思議と気分が高揚してしまう。ここがいるべき場所なのだと、ロネイの脳は勝手にそうだと答えを指し示す。
何も考えずとも体は勝手に動く。ただただ道を通るのが如く、駆けて行くだけでいい。その前に立ちはだかる者はいれど、立ち上がる者は誰一人としていない。ただ蹴散らされ、その場に崩れ行くのみ。積み上げられた抜け殻は数えきれない。その全てが一切の放出を許可されない。生きとし生ける者の証を――。
ロネイが通るその道だけは、大地が穢れない。白装束は綺麗なまま、その光景に逃げ惑う者達の悲鳴だけが彼女の心を突き動かす。
「ああぁ、堪らないっ!!」
本心が溢れて止まらない。止まらない。止まる必要などない。これが望んでいた結果なのだ。これでいい。家族を守るためだ。自分自身を守るためだ。本心を満たすためだ。
全てがかみ合っている。そのはずなのだ。自分の欲求と家族の要求。その全ての利害は一致しているはずなのに――なのに何で――どうして――、
――――血を見るのが怖い。
ふと聞こえた自分の声に、その時のロネイは酷く動揺したのを確かに覚えていた。それは誰にも話したことのない、的を射たものであったのだから――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「いやっ! やめて、パパ!! 私は、戦いたくない!」
「あぁ、そうだな。だからこうするんだっ!」
ビオン王は抵抗するロネイを魔道具――ゼロアンカーで縛り上げ、押さえつけた。
ロネイの必死の訴えも、届く気配はない。ビオン王に何らかの異変が生じたのは明白である。それは『戦争』が原因である。だが、ロネイはこの時まだそのことを知らない。
既にビオンは劣勢であった。構図はビオン対全世界。『魔金』の存在があるとはいえ、生命には限りがある。男がいないのであれば、次は女。次は子供。年寄りと、命ある者全てを徴兵していた。
ロネイは言葉を上げるものの、手は上げなかった。反撃などできる訳がない。だって、家族なのだ。愛をくれたのだ。自分を理解してくれたのだ。誰にも言えない秘密の本心を、父だけは優しく受け入れてくれた。そんな人を失いたくはない。それなら黙って自分が受け入れればそれでいい。誰も傷つかない。傷つくのは自分でいい。だから父の双眸が、まるで悪魔のようであったが、それはきっと気のせいであろう。そう思い込むことが、今の彼女の精一杯の反撃であった。
連れていかれたロネイは、ある場所で教育を受けた。魔力が封じられている中で、それを受けた。
――『魔力干渉』を
俗にいうそれは『洗脳』である。
「そんな訳ないから――次そんなこと言ったら……殺すけど?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
派手なドレスに身を包んでいたのも今では懐かしい。最近ではめっきりその機会が減ったのだ。だがそれでも後悔はなかった。それに身を包んでも、満たされるものは何もない。つまらない相手との会話ほど、無駄な時間はない。それならば刀を振っていた方がよっぽどいいのだと、たまに訪れる夜会にも、言い訳を見繕ってロネイは出席を拒否し続けていた。それにはロネイの母も流石に困惑していた。だがロネイの父だけは理解を示していた。
自分の本心を、ロネイは自分の父親へと正直告げた。ロネイの父。つまりは『ビオン王』に。帰ってきた言葉は以外にも優しかった。そしてそれへの対策を教えてくれた。
「話してよかった……」
心の荷が少しばかり下りた気がした。
その日からロネイは、剣術の道へと邁する。正当な理由で心を満たせるそれは、彼女に合っていた。何の気兼ねも無く、ただ純粋に――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ロネイはいまでこそ大人しいが、子供の頃はとてもやんちゃで、活発的であった。近しい者を例えとして上げるなら、今のリーエに近い。
城の者たちに慕われ、父と母の寵愛を一心に受けた。
ビオン王国の王女として、ロネイはレイジュ島で生まれ育ったのだ。
ロネイが自分の心に気がついたのは、生まれてから九年ほど月日が流れてのことである。