四章 8冊目 妖艶な海賊
羽交い締めのまま、海へとダイブを余儀なくされたショウ。――瞬時、水魔装で応対を見せる。
海中へと場を移した途端、謎の人物の拘束は解かれ、姿は消えている。
視界は最悪。海の中は真っ暗なため、どこへ行ったかなんて、知り得る余地はないに等しい。
海面へと顔を出しても、あるのは船の明かり。目が闇に慣れるのを邪魔をする。
「くそっ! 何てやつだ。海に飛び込むなんて」
水面から顔を覗かせて、あの人物に対しての怒りと共に、ショウは自分の不甲斐なさにもそれを投げた。
突然と現れ、それに捕まり、今、海に落ちている。
迷惑かけっぱなしという事実。これくらいにのピンチ、自分で切り抜けられなくてどうするのか。
「まずは、船を背にする。話はそれからだ」
ショウは一目散に船体に背をつけた。これにより背後からの脅威を無くす。そして、船体に近いがために、多少の明かりが海中を照らす。視界は微々たるものだがクリアである。
「……っ、いてぇ。水魔装でも関係ないのかよ」
別状はないとはいえ、傷口へと侵入する海水によってそこが痛みを持つ。片手でその個所を押さえながら、腰から短剣を引き抜く。
――――構えた。
それだけのこと。それでも無意識に短剣を引き抜いていたことに、ショウは驚いた。
鍛錬の成果は自ずと現れたのだ。
「っ、やってやる!」
「ずいぶんと張り切ってるわね。水魔装くらいはできるのね、えらいえらい」
完全におちょくった態度でショウの前にその人物は姿を現した。
灰色に近い長い髪を持ち、綺麗に整った顔立ちをする女性。
豊満な胸を隠すビキニのような黒い水着と、下には短パン。それも目一杯に短い。大きなコートに袖を通し、それは海賊を象徴している。
大胆なまでに露出した白い肌は、まるで真珠だ。輝きを持ち、海賊にあるはずであろう日焼けの跡など、一切感じさせない。
魅惑のプロポーション。ショウがあった今まで出会った人物の中で、一番の妖艶さである。スタイルだけで言えば、あのメイド達すらも超える。特に胸。その胸のあたりが、何故か水色の光が輝いているのが目に入る。とても小さな光だ。
「っち、なめんな。こちとら毎日魔法の鍛錬してんだよ」
「そうなの……なら、お姉さんがご褒美ア・ゲ・ル。何がいい?」
「い、いらん、いらん! 俺は負けんぞ、俺は……」
「そんなにチラチラ見なくても……堂々と見ていいのよ?」
「うるさい! 俺は屈しないぞ、絶対に……大体、あんたの格好は何だ? もっと恥じらいを持て、恥じらいを! ……妖精か?」
「残念。人間だってこういう格好ぐらいするでしょ?」
「いねぇよ! いても砂浜ぐらいだよ! そんな格好するやつなんて……くそっ、やりづらい」
完全に相手のペースにはまるショウ。それ以上にその人物の色気に圧される。フェロモンバリバリで、女の凄さというものをまざまざと感じさせる。押し寄せてくる紅潮と羞恥。それらが抑えられない。目を合わせていられない。その姿から目を背けてしまう。そんな心理状態の中、
「……どう? 少しは落ち着いた?」
「――!!」
目を背けた瞬時の出来事だった。その魅惑のものを引っ提げ、ショウの眼前へとそれをぶつける。
大きくて柔らかい二つ。その正体に気づいた瞬間――ショウはその人物を突き放して、あわてふためき回った。
「な、ななな、なにしてんの!?」
「ご褒美よ」
「ふ、ふざけんな! そ、そういうのは、じ、自分の大切な人にだな……」
「フフッ、初なのボ・ク・は」
「うるせぇ!! いいだろうが。初で何が悪いっ!」
突如として、声を荒らげてしまうショウ。彼のそれは、一般的に逆ギレと呼ぶものだ。
いちいち癇に障る。変な嫌悪を抱く。『悪』と呼ばれる概念への嫌悪ではなく、エロチックな彼女への嫌悪。
――――に、逃げてぇ……。
初めて逃げ出したいとショウは思った。一目散に船へと逃走を謀りたい。だが、その手段が思いつかない。港の時と同様、上がる手段がない。
水魔装は便利な反面、触れていないと使えない。触れずとも、己の魔力量で出来なくもないが、ショウではそれが足りない。
「……てか、あんたはどうやって登ってきた」
それとなく問いただす。
海賊――もとい一人の人間が、この暗闇の中を泳いでくるなどあり得ない。いくら明かりの目印があると言えど、ここは海上のど真ん中。
小舟で来たのなら、流石にリーエが気づく。それ以外の手段であったとしてもだ。
「フフッ、教えて欲しいの? それじゃあ、ボクの名前でも教えてくれない?」
「ショウだ。ショウ」
「家名は?」
「家名? ……そういえば知らないなぁ」
「なら、お姉さん教えてあーげない」
散々人を小馬鹿に態度に、怒りは蓄積していた。
――カチンときた。もう我慢ならない。
「よしっ! 逃げよう!」
冷静に判断を下して、逃げ出した。船体を尻目に素早く泳ぎ始めた。塩が染み込む肩を押さえながらに進む。
――――何かあるはずだ。
そんな淡い期待を抱きながらに、探す。それを。
「あぁ、ちょっとショウくーん? そっちは危ないわよー?」
「俺の名を呼ぶな、このエロ海賊めが!」
「え、エロ海賊……」
流石に響いたのか、自分の姿を見やるエロ海賊はショウを追っていない。その場に留まっている。
「……ホッ。やっと撒け――!!」
安堵の一息をついた途端、海中を猛烈な勢いでナニかが押し寄せてきた。
―――――速いっ!?
魔力を練る暇がなかった。やられると直感的に悟る中、
「……ふぅ、だから言ったでしょ? ショウくん?」
甘い声も、忠告の度合いを見せる声へと変化していた。
ナニかは、『鮫』だった。魔物ではなく、シンプルにそれは鮫と呼べる動物の類いのもの。ショウの何倍もあるそれが、水の槍のようなもので刺され、目の光を失い、息絶えていた。
それに伴い海中を漂う赤に、臭いがなくとも拒絶してしまう。生物の死。それが目の前で起こったのだ。否が応でも身震いする。
そんな中、手を掴まれて海中をエスコートされることに抗えない。曲がりなりにも助けてくれたのだ。このエロ海賊は。
「……あ、ありがとう。下手したら死んでた」
あの場所から、一定の距離を取り向かい合う二人。
ショウは目を合わせられなかったが、それはしっかりと伝えた。――刹那、おでこをピンされて、痛みが走る。
「この辺りは鮫がたくさん生息してるの。そんな怪我して出ていったら、死ぬだけよ?」
真面目に説教するエロ海賊に、
――――あんたがやったんだろ。
とは、流石に言えずに飲み込む。それはお門違い。とも言えないが、とにかく違う。
「……何で今は襲ってこない」
「私の水魔法の力で、ショウくんの血を浄化してあげてるからよ。一応、人質ってこと、忘れてほしくないんだけどなぁー」
「分かった、分かった。一つには一つ。まぁ、すげぇデカイ一つだし、それは受け入れるよ」
「それとこれとは別でしょ? ショウくんは、既に私の手に落ちてるの。貸しってことにしといてね? その一つは」
「……抜け目ねぇなぁ、このエロ海賊は」
「エロ海賊じゃなくて、『ヤムルア・リティエス』。よく覚えてね、ショウくん」
エロ海賊こと『ヤムルア』は、弾むように声を出して、ウィンクをショウへと繰り出した。
ヤムルアに対する観念が、段々と変化していく。それは、海賊という悪いイメージが、彼女から感じ取れないがためだ。そして、助けられたという部分があまりにも大きい。
相手からしてみれば、人質であるショウ。仲間のために生きていてもらわねば、ということで助けたのだろう。それでも、助けられた。その事実は変わらない。
「とりあえず、船に戻らないか? ――そもそも、何で落とした?」
「それは……ヒ・ミ・ツ。ショウくんがもう少し大人になったら、教えてあげるわ」
意味深な言葉に、ショウの思考は自ずと回る。
「……まさか、連れ込――」
「――それ以上はダ・メ。分かった?」
ショウの耳元で、ヤムルアが甘い声を出す。背後から口元を塞がれ、眼前には刃。完全に油断し、またしても捕まった、
――――その時だ。
「……ご主人様を返していただきたい」
佳麗なメイドが一人、海の中へと姿を現した。冷静な声色だが、ショウには分かる。垣間見えるは、怒り。憤怒を確かに携えて、フィアは現れた。