三章 73冊目 世界という枠組み
「……一つ。よろしいですか?」
表情を引き戻したセニアは改まって、
『その概念というのは誰が作ったと思いますか?』
と、その一言は突拍子もなくて……そして、さらなる深みへと誘われた――そんな気がしてならなかった。
言ってしまえばそれは、世界そのもの――。
概念を作り上げた、概念。それを言うと、その概念の先すらもあることになるが、それはもう回廊に迷い込む羽目になる。
「概念をつくった……?」
「……ん? パッと出ませんか?」
その答えが至極当たり前の概念として備わっていると思ったのか、セニアは首をかしげている。
「神さまだろ?」
「かみ……さま? なんですか、それは?」
一番近しい概念を上げたが、セニアには伝わらなかったようだ。
すれ違い。概念を持つものと持たざるものが引き起こしたそれがそこにはある。
「……マジか」
「マジです」
「これは伝わるのね」
「そのようです」
見合う二人。
相違を図ったわけではないが、『マジ』の概念は同じのようだ。本気とか、ホント?とか、そういう意味。
「誰なんだ、その……つくったやつっていうのは」
「……これ以上は私には重荷が過ぎます。申し訳ありませんが、フィア様からの方がよろしいかと……」
自分から言い出しておいて、この切り返しはあまりにも身勝手。焦らされると知りたくなるのは、致し方ないことで、その口から答えを出させるためにと、足をセニアへと加速する。
見透かしたのか、セニアは羽を広げて手の届かないところまで浮遊しだした。
「おいっ! 卑怯だぞ。下りてこい! あと……隠してくれ」
「あと……なんですか? 聞こえません」
妖精というのは恥じらいがないのかと、ショウは思いながら、宙を舞うセニアから目を背けざるを得なかった。ヒラヒラと揺れ動くその概念に、背けと体が即座に反応した。
セニアはまたしても首をかしげて、ショウを見下ろしている。
「……もう聞かないから、下りてきてもらえます? このままじゃマズイからさぁ……」
「分かりました――何かありました? 顔が赤いですよ?」
何故か観念するようにショウは頼み込むと、セニアはあっさりと受け入れて下りてくる。
羽の音が消えて、着地による砂埃の舞を確認してから、セニアを見やる。ショウの顔色に、セニアは問いを投げ掛けてきたが、「お前のせいだ」とは言えず、それと赤を押し殺す。
相手にその気がないというのがこれまたラッキー。なのだが、それでも自尊心に嘘はつけなかった。
「……まさかこの世界において、あの名を知らないものがいようとは思いもしませんでした」
「あの名? 名前まであるのか……」
「そうです。これ以上は、フィア様からお聞きください」
「へいへい」
恋焦がれた女の元へでも行くのか、ショウの足は軽やかになって、砂の海を歩み行く。
――――電撃が走った。
二人は揃ってその方角へと視線が向けられた。そして一目散に走り出し――飛び出す。
ショウは分かってしまった。それはセニアも同じであろう。
もう遅いのは分かっているのに、ただ足は――羽は、そこへと向かうのを止めない。
無言になった二人は、アメルへと急行する。
※
あの日からもう七回も日が昇ったのだと……ショウはアメル城の屋上で、呆然と雲の流れを見つめていた。
時の流れを今日も感じる。あたたかい日差しが肌を焼くのを感じる。
そして――。
生きていると感じる。
――間に合った。そうフィア達から伝えられたショウは、喜びを出すことはなかった。あの日、あの扉から聞こえきた、泣き叫ぶリーエの声が耳から離れない。釣られるようにショウも涙があふれて、それをフィアに慰めてもらった。
悲痛さがヒシヒシと伝わり、ヘキルが本当にいなくなってしまったのだと思うと――。そのリーエの気持ちを思うと――。涙は自然と流れてきていた。
思い返すだけでも溢れるものがある。
未だにあの扉は一度も開かれてはいない。泣き叫ぶリーエの声は三日三晩続き、そこからは静寂しかなかった。
「……リーエ」
手が届きそうなほどの、小さな日輪を手で掴んでも掴めない。影を作り、ショウの顔を冷やすだけで、今もそれは空の彼方で光り輝く。
力無く落とされた腕は大きく広げられて、屋上に一文字を作っていることだろう。
「ご主人様、一度お部屋でお休みになられた方が……」
フィアが心配そうな面持ちで、空との間に割って入ってきた。膝を抱えての体勢なのか、顔が思ったより近い。
あの日以来、扉の前で寄りかかって寝るのが日課になっていた。いつでもリーエが出てきてもいいようと。
「……リーエはまだ出てこないのか?」
「……はい。でも、きっと……いつものリーエ様が、ご主人様の前に現れてくれるはずです」
「……そう……だよな」
「今は、時間が必要なだけです。ですから、ご主人様もその時に備えて、体力を養ってもらいたいのですが?」
最もな理由づけにされるリーエだったが、ショウ自身も披露がたまっているのは確かで、
「……分かったよ。お前達に俺まで心配かけても仕方ないよな」
意地をはっていた訳ではないが、これ以上の心配事を増やすのも気が引け、フィアの言葉に甘える。
体を起こすと、フィアの手が差し出され、その手を取りショウは立ち上がった。そして、あることを思い出した。
「……一ついいか?」
「何でしょうか? お一つとは言わずにいくつでもどうぞ」
「概念作ったやつって誰なんだ?」
その言葉に急にフィアは押し黙って、浮かべ考える素振りを取り始めた。ここまでフィアが教えてくれなかったということは、それなりの理由があってのことだ。もしくは、常識過ぎて説明不要なのか――ともあれ、陰りを持っているフィアのその表情に、「やっばりいいや」と口を開こうとした瞬間――。
「名前だけなら……」
言葉を飲み込み、その言葉の解を求めるように口を開く。
「いいよ。それで」
「『魔竜』……そう呼んでおります」
一つの概念がまたショウの中――勝手に作られる。