三章 71冊目 翠の双眸
アメル城。玉座のある広間には三つの扉がある。
一つはの扉は、正面入口。主に、謁見の者達のための扉。
二つ目の扉は、玉座を正面に、右側。これは従者など、城で働く者達のための扉。
三つ目の扉は、左側。その扉の廊下の先には、妖精王の部屋がある。
広々とした部屋は黄色を基調とし、雑貨の材質は木材仕様。その全てが妖精の森から伐採されたものである。
縦長で壁と壁とを隔てる窓の向こう側には、アメルの街が見渡せる。
その部屋には今、妖精王と、その上にはかめのぬいぐるみが置かれているという、光景に目を奪われる。
ベッドの上で仰向けになり、目を瞑っているヘキルの胸のあたり。そこにいるのはノロ。
意識の有無を感じ取り、顔の方へと登りつめる。
「……起きたか、ヘキルよ」
「んっ? ……かめ?」
寝ぼけ眼のヘキルは、ありのままにその光景を解釈したようだ。さながら半覚醒状態といったところ。ノロをノロと認識できておらず、飛び込んでいるであろうその双眸は、そのままの姿――ノロの現状を見ている。
あの頃とは違う姿である、その姿を――。
「ワシじゃワシ! ノロじゃ」
「……ん――あぁ! そういえば今はそうよね、ごめんごめん」
思い出したような表情を作り出し、半身だけを起こして甲羅を撫でるヘキル。
まだ死んではいない。フィアとロネイとノロ。魔力を使い、倒れたヘキルの安静と回復に努めた。もちろん寿命を伸ばしたわけではない。あくまでも身体の回復に他ならない。
「ノロ~しにたくないよ~」
持ち上げられ、腹のあたりに頬ずりをかまされる。
冗談半分、本音半分。そう分かるのは、長年の付き合いがあるからだ。
ヘキルが今、死にかけとは誰も思わないほど、元気いっぱい、気力十分であるが、それはそう装っているのでは無い。
妖精は――。
人や妖精。その他諸々の死を間近で経験したノロにとって、ヘキルが今、死の瀬戸際にいるのが分かる。分かってしまう。
「ねぇ……ノロ?」
突然と改まったヘキルに膝元へと下ろされ、見上げる形となる。すぐさま「なんじゃ」と反応し、従者。もといメイド。そして、友としてそれに付き合う。そのために一人残った。いや、二人を追い出したといってもいい――何百年の付き合いのある者の最期の時くらい、身勝手であって何が悪い。
「……ショウはどんな子?」
繰り出したのは一人の男について。ノロにとってショウは主人様に当たるが、
「ただの人間じゃ」
その事に対する嘘偽りはない。ただの人間でどちらかと言えば、中の下であり、下の中。そんな当たり障りもない人物。
「そんなわけないじゃん。魔力無くなっても生きてるのに?」
「なんじゃ、知っとったのか」
嘲笑うかのようなヘキルの態度と、ショウの一つの事実を知っていることに、ノロは驚いた。
ショウは魔力ゼロ=死という『概念』をぶっ飛ばした男。
魔力の『概念』をぶっ飛ばした男と、新たな『概念』を作り出した妖精。
引かれたのか、引かれる運命だったのか、それは分からない。
「今、私が生きてるのはショウおかげ」
あの時の主人様の魔力の波はそういうことだったのかと、ノロは納得した。
救いの手を差しのべていたのかと――呆れ。
懲りないやつだと――憂い。
そして、ありがとうと――。
「……そうか。お主もそうなのじゃな」
「なに~? ノロもそうなの~?」
何か意味深さのある面持ちで顔を近づけてくるヘキルに、ノロはリバーシャークとの話を切り出した。それはショウにとって初めての戦闘で、ノロにも伸ばされた救いの手でもあった。
「――主人様はワシのために自分を省みず、水魔装を振り絞って水面へとワシを押し上げたのじゃ。泳げもせん、敵もわんさかいるというのにも関わらずじゃ――まあ、そのあとはフィアが助けたがのぅ」
「ふふふっ。ノロを助けるなんて……あなた、よっぽど頼りなく見えたのかもね。その姿じゃあ、しょうがないか、あははは」
鼻で笑いを上げ、あげくの果てには外見いじりにさらなる笑いのおかわり。
死にかけでも容赦はしない。ノロの前足がヘキルの顔を捉えるために、体は宙を浮き始めると、
「あなたを助けるなんてただの人間じゃないでしょ? ――英雄ノロを助ける人間なんてもう一人の英雄ぐらいかと思ってたけど?」
懐かしい響きの言葉にその行為に歯止めがかかった。
浮かぶノロとヘキルの目線が水平になり、
「お主だけじゃな。そう呼ぶのは……もう」
感慨に浸りを求めた。英雄ノロと呼ばれることはもう二度とないだろう。そんな『概念』はこの世の誰にも備わってはいない。
消え去っているから。
「長生きしすぎた……かな? 私たち」
「……お主はまだ早すぎる」
「ホントね。なんで人間の癖にそんな長生きなのよ!」
プンプンとその表情を変化させ、首はそっぽを向き出した。
最期までからかうのが上手い。ヘキルのこれさえももうないのだと思うと、込み上げてくるものがあるのに、それを流すことができないことにノロは、自分に苛立ちを募らせる。
「ワシだって生きたくて生きとる訳ではないぞ? しかもじゃ……よりにもよってそうさせんやつが、また一人増えおった」
「ベ~~っだ! 恵まれてるのに感謝しなさい!」
正面向いて舌を出す素振りは、妖精王としてはあるまじき愚行だが、友としては最高である。こんな状況でさえも、心は平穏に戻る。
「そろそろ、邪魔者は消えるとするかのぅ」
「……ノロ、ありがとね」
引き寄せられて、甲羅に一つキスをされる。
これも感じれないのが憎くて、悔しくて、歯痒くて――。
それでも――。
「主人様は絶対、連れてくるぞ。もう少し抗ってみい」
「当たり前! 『あいつ』なんかに負ける妖精王。もといヘキルじゃないから」
「……そうじゃな」
ドアへと浮遊を開始するや否や、
「あっ! 窓開けてくれる? もう魔法も使えないからさ……」
最期の見せしめと言わんばかりに、縦長に配列された窓を全て破壊し、風通しのある部屋へと変貌させる。
英雄ノロとして見せる、友への贈り物だ。
「またのぅ、ヘキル」
「えへへっ……またねノロ」
その声色は、あの当時となんら変わっていない。その表情さえも、今のノロは見ずとも理解した。
ドアの向こう側へと消えたノロ。その心は、ひっそりと流れるもので濡れていた。
――それでも目は、その証である『涙』を流すことはなかった。
翠の双眸だったのならきっと――。




