5冊目 人それぞれの考え
ショウたちがボートに乗り込んでから早3時間ほどが経過していた。
ショウを思ってか、今日のオールはフィアが担当している。
「そういえば、あの魔物はなんて名前なの?」
暇になっていたショウは魔法の本を読みながらそれとなく聞いた。
「あれは『リバーシャーク』と呼ばれる『魔物』でございます」
「ふーん。悪いやつなの?」
「悪い方……それは人それぞれ考え方が違うと思いますので一概にはお答えできかねます」
「フィアはどう思ってる?」
「……お教えいたしません」
フィアはそれっきり押し黙って、ただオールを漕ぎ続けた。疲れている素振りなどなく、テンポ良くボートは進んでいる。
「なぁノロ。俺、悪いこと言ったかな?」
ショウは頭の上にいるノロへと、フィアにばれないようにと本で顔を隠しながらに、こそって聞いた。
ショウにはフィアがふてくされたように見えていた。変なこと聞いたな?
「まず主人様の意見を言うことじゃな。なんでも人に聞いてばかりではいかんということじゃ」
「なるほどね。頭使えって訳か」
それからショウは考えた。考えることでフィアにもこの事が伝わる。それを分かったうえで状況を事細かに思い出して考えた。
まず襲われた。それはリバーシャークが悪い。でも飛び込んだことで刺激を与えてしまった可能性もなきにしもあらず。そこは自分が悪いと反省する。
そのあと拘束魔法を掛けた。これは防衛のため仕方ないことだ。ノーカンというやつ。
そして最後、集団で襲われて死にかけた。
つまり、答えは簡単だ。「フィア!」とショウが呼びかけると、彼女はオールを漕ぐのを一時止めた。
「あの魔物は悪いやつ。俺の意見はね」
「そうでございますか。――では、私の意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
ショウの促しに、フィアは突如指を鳴らした。指パッチンというやつである。
それはキレイな音色を放ち、大量の泡を辺り一帯に作り出した。まるでシャボン玉のように空中を縦横無尽に埋め尽くす。しかしそれは、一つ一つが意志を持ったように、どこかへ向かうどころか、割れる素振りさえ見せずに、流れに身を委ねているショウたちの乗るボートを追うように、しっかりとついてきていた。
「これ、『泡魔法』か? 俺、初めて見たよ」
「それだけではございませんよ、ご主人様。どうぞ今一度、目を凝らして泡の中をご覧下さい」
フィアが手の平を上に向けて促すので、ショウは今一度目を細めて凝視した。すると、何やら泡の中に何かが見える。
「あれは……リバーシャークか!」
「ご名答でございます。――『泡拘束魔法』。名付けるとするならばこのような名前でしょうか?」
そうフィアが命名すると、それからは一瞬の出来事であった。パッと、泡が消えたのだ。中に囚われていたリバーシャーク諸共、「き、消えたぞ」とショウは辺りを見渡しても、時すでに遅し。泡はもうどこにも存在してなどいなかった。
「お前、なにした?」
「さぁー、どこにいきましたのでしょうかね」
フィアははぐらかして、オールを漕ぎ始めた。たが、ショウもバカではない。「お前がやったんだろ!」と詰め寄るも、彼女からの答えはない。
それでも泡を消したのはフィアだと流石に分かっている。答えがないのが答えだ。だから、それ以上、ショウは聞かなかった。いや、聞くどころではない状況下に陥ったからである。
「おー、おいおい! ど、どうなってんのーこれー!」
泡に隠れて見えなかったほんの少しの間に、川の流れは昨日の穏やかさとはうって変わって、速さを増していた。しがみつかないと放り出されるくらいに、ボートは荒れていたのだ。
ショウはなんとかボートにしがみついていた。そんな彼をよそに、平然とボートに座り込んでいるフィア。ノロはショウの頭によくくっついている。
「お、おいフィア。なにが、どうなってんだこれ!」
「このままですと滝から落ちます」
「スリル満点じゃな、主人様よ」
「な、なんとかしてくれ~~」
「本はお預かりいたしましたのでご心配には及びません。続きは、21ページ3行目でございます」
「そ、そんな場合じゃ……悪いフィア!」
「ご、ご主人様!?」
先ほどまでも冷静なフィアはどこへやら。突然の強襲を彼女は予想できたとは言え、避けることなど彼女にはできない。
ショウは最後のよりどころにしがみついた。それがフィアだ。抱きつく行為は助かるためだけの本能的なものだ。ただ、それこそが難を逃れるための最善手でもある。
「たすけてくれ~フィア~」
「の、ノロ様のお腹で目の前が……ど、どうしようもありませんよ~ご主人様~」
「はあ? なんで……」
ショウは上を見上げると、「んげっ!?」と驚愕する。彼の目の前には、フィアの顔にへばりつくノロの――カメのぬいぐるみの姿があった。
「お、おいノロやめろ! ふざけてる場合じゃないぞ!」
「すまん、主人様。くっついてしもうた」
「おいおい! 何、冗談言って……」
――場合ではなかった。
場合ではなかったのに、言葉が出なかった。それは突然、体が軽くなったのを感じたからだ。
ショウは下を見ると、彼の体はいつの間にやら空の上である。
――そう、ボートは宙を舞って、彼らは投げ出されていたのだ。
飛んだ。跳んだ。あぁ翔んだ。俺は飛んでんだ。自由だ!
いろんな意味でとんだ。飛び出し、跳んで、翔んでいる。
「……はぁ、何とか助かったが……ノロ! お前、ふざけんなよ!」
「まあまあ、ええじゃろ主人様よ。助かったんじゃしな。それにフィアのやつも喜んでおる」
「ご主人様に抱きつかれるなんていつぶりでしょうか。懐かしいです」
「おーい! いいから、早く着地してくれ~」
ショウの叫びも、フィアは謎の余韻に浸っており、顔が赤い。
いったい何の紅潮なのか、「おい! そろそろ降りてくれよ! 高すぎるって!」段々と怖さが苛立ちを募らせ加速していく。
「そうでございますね。――では、いってらっしゃいませご主人様」
「え?」
フィアからの謎の送り出しのあいさつを受けて、次にショウは頭が真っ白になった。
いったい何が起こった。俺は今、どうなってんだ。……自由。そうだ自由だ。
「これは、自由落下だー!!」
ショウは落ちた。それが宛てのない自由落下だと気付いたのは、今まさに落下している最中のことだった。
放されたと同時に急激な重力がショウを襲う。このままだと滝つぼに飛び込む。
フィアの姿が遠退いていった。あぁこのままだと死ぬ。ショウはそんなことを考えながら数秒後、滝つぼに激突した。
大きな水しぶき。水面には一つの黒い頭と緑のかめが浮いていた。
ショウは何とか助かった。着水と同時、水に触れた瞬間にショウは水魔法を放って、水魔装を行っていた。
「……っくそ、あの魔王めがっ!」
「……まったくじゃな。荒療治が過ぎるわい」
至極当然のように宙に浮いているフィアが、ショウには悪魔以上の魔王の姿に見えていた。それでいて一瞬にして消え、ショウのすぐ近くへとワープして見せ、水面に降臨する。
「水魔装の完成、おめでとうございます、ご主人様。少々、手荒な真似を致してしまいましたが……流石は私のご主人様です」
「うるせぇよ!」
喜びを絵に描いたような姿で、魔王にあるまじき笑顔でにこやかにも、表情は微笑んでいた。
二日目はその後、特になく時間が流れ、三日目はすぐにやって来る。
睡眠というあっという間に時間と疲れを吹き飛ばす魔法を使用して――。
『リバーシャーク』
その名の通り、川に棲む魔物であり群れで行動する。
素早い動きで敵を翻弄そ、一点集中の攻撃で敵を倒す。一発一発は弱い。
『泡魔法』
水魔法を泡状にして放つ魔法。爆発、拘束、溺死。全ては使用者の思いのまま。込められた魔力に応じて強度が決まる。