4冊目 助けたお礼
「もういきますよ!!」
フィアはプンプンと、怒りを露にした。拗ねたのだ。笑い転げるショウからそっぽを向いて、川の方角へと指を突き出して、指鳴りを奏でた。するとそれ以上の大きな音が川の中から奏で現れたのだ。
川の水をうねらせながら現れたのは、見覚えのあるボート。昨日沈んだはずのボート。カップルボート。ショウはその音に反応し、すぐに川を見やってそれを確認した。
「どうなってんの? あれ沈んだよな?」
「沈んだものを引き揚げただけです。沈めておくわけには参りませんので……さ、行きましょう。水魔装で! あそこまでいきますよ」
水魔装という言葉を強調し、フィアはボートを指差しながらそう言った。
「え~連れてってくれよ」
「イヤです! 笑いましたバツです! ご自分のお力でお越しください。――さっ! 早くお越しくださいませ~ご主人様~!」
フィアは舌を出して、あっかんべ――瞬時、彼女の姿は消えた。そして船の上に現れて、ショウに呼びかけている。手を振って――。
「……なぁノロ。水魔装って言ってなかったっけ?」
ショウはノロを抱きかかえて、言葉のあやを問いただす。フィアは自分で言っておきながら、明らかにテレポートだ。水魔装ではない。嘘だ。嘘つきだ。
「主人様は純粋か? それよりもじゃ、今は自分の心配をした方がええぞ」
ノロの注意喚起に、ショウはこの状況のまずさを勘づく。
先ほど水魔装を試していた。それは見事成功し、覚えることができた。しかし、消費した魔力はそう簡単には回復しない。当たり前だ。疲労がすぐに回復しないのと同じこと。せめて一時間はインターバルが欲しいところだ。
川辺からボートまでは約十メートルはある。たかが十メートルでも泳げない者にとってそれは、三途の川だ。
死は向かっていくものではない。来るものだ。その時が来るまで――。
あれから五分と経っていない。フィアのことを笑った。既に彼女は船の上。助けはない。そして泳げない。
ショウは詰んだ。根気よく待てば解決する話なのだが、早くに進みたいという欲はあるわけで、
「ノロ助けてくれない?」
見下ろしたショウはそう懇願した。彼の頼りはただ一匹。――否、ただ一人か。かめの姿をしたメイドだけであった。
だが、「嫌じゃ!」と拒絶され、ショウの懐から飛び出し、フワリと浮いて彼を置き去りにしようとする。
「おいおい! かめのくせに助けてくれないのかよ!?」
ショウの言葉にノロはピクリと動きは止まり、振り返って、
「逆じゃろ主人様よ。ワシを助けるのが主人様じゃろうて」
きっぱりとかめを否定する。
ある物語では、かめを助けるとお礼として一つだけ願いを叶えてくれるそうな。
「あぁ、そっか! って、そんなことはどうでもいいだろ。いつか助けてやるから、今は助けてくれよな? 頼むよ」
手を前で合わせてショウは頭を垂れて深く懇願する。
「残念じゃが、それでは主人様が成長せん。じゃから何とかせぇ。――あと、言っておくが、ワシに助けはいらんからな。ワシは借りを作らせても、借りはせん」
「なにそれ? 俺はお前の主人なんだ。借りてもいいんだぞ?」
「お主に借りてもええなと思わせてくれるよう、今を乗り越えてみぃ。――ワシは先にゆくぞ」
ノロはショウから遠ざかるようにボートへと向かって行く。尻尾を向けたその姿に一か八かでショウは走り出した。川辺の岸ギリギリから真っすぐ――腹を下にしての川との平行飛びを見せた。そして――、
「へへっ、道連れだ!」
「なにするんじゃ!」
飛ぶかめを捕まえたショウはニヤリと笑みを浮かべて、そのまま川へと水しぶきをおったてて消えていった。
「……お気を付けください、ご主人様」
心配するフィアの言葉は、水面の下にいる彼に届くことはなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
水魔装中は、水の中でしゃべったり、息ができる。これが水魔装最大の特徴。魚のように泳いだり、底を自由に歩ける。浮力だって自由自在。水圧なんてものともしない。そして極めつけは服だ。濡れる心配無用。
「もって五分じゃぞ。主人様」
「これが川の中か!すっげぇーきれいだな」
ショウはノロの言葉そっちのけで、水中を堪能していた。何せ初めて水中だ。川だ。水の中というものだ。
透明な水は光を屈折させて、川の風景をよりいっそうにもまして奥行きを持たせていた。
散らばる小石。揺れ動く水草。だが、そんな世界に生物の姿は一切なかった。
「あと二分じゃぞ。はよボートに行ってくれんか?」
ショウの頭の上で心配するノロに、満喫し浸っていたショウも真面目に成らざるを得ない。
最初の三分。水の自然魔力はインストール済みだったが、その三分は水魔装の凄さと、水中の楽しさに心奪われていた。
「分かってる。分かってる」
ショウはそう答えて、水面を見上げると、ボートの影を見つけた。
ここは川の底。川は深く、水深約二十メートルほどはあろうか。ボートの影も小さいものであった。
川底から勢いをつけるため、少しジャンプして泳いで近づくショウ。二分と掛からない。ものの数秒あれば到着する――はずだった。
それは、ショウの死角――真横から一直線に水の泡を巻き散らせて突っ込んできた。
「……ん?」
気配を感じたときにはもう遅かった。凄まじい勢いに対処することができなかった。
だが、「いてっ!」と、速さの割には思いのほか浅い攻撃に、声はとりあえず痛かったという何となく自然に飛び出した声をショウは上げた。膝に痛みが走り、突然の出来事に浮上するのことを止める。
「な、なんだ……いてっ。またっ! もうなんなんだ」
執拗にショウの膝。右膝だけを集中的に狙ってきた。対応しようにもその速さは規格外で、目で捉えることができない。追いきれないのだ。
ただ幸いなのか、謎の攻撃をかます主は速いだけで、攻撃力はさほどでもない。浮上を始めようとした折――、
「なにしとる主人様。『魔物』じゃ!」
ノロの一言に。緊張感が押し寄せる。
「ま、魔物!? もしかして昨日のやつか?」
「そうじゃ。短剣を手に持たぬか」
「え? あ、あぁ」
言われるがままに腰に備わる短剣を引き抜く。そして、
「くらえっ! くらえっ! くらえーー!!」
むやみやたらに剣を振った。短剣の稽古はしていたが、その魔物には全くと言っていいほど剣は当たらなかった。いや、当てられないといった方が正しいのか、ショウの技術の無さと言っていいのか。その両方が重なって、偶然すら生まれない現状のは間違いない事実。
ミス。ミス。ミス。ショウの攻撃は全てむなしく水を斬っただけであり、その水は泡を出現させ、新たな敵へと変貌を遂げた。
そんな視界が最悪な状況の中でも、魔物の攻撃は止まらない。
「当てる気はあるのか?」
「あ、あるに決まって――」
ショウの言葉は突如として途切れて――彼はもがき苦しみだす。それは――水魔装の怠りでしかない自業自得のことであった。
「……はぁはぁ、あ、危なかった。いてぇ」
「大丈夫か?」
「ゲホッ、大丈夫、大丈夫」
水魔装で何とか立て直すものの、入ってきた水にえずかされる。
――――完全に油断していた。
水魔法への集中が切れてしまっていた。集中力は短剣へと向いていた。魔物に向いていた。泡に向いていた。それらの要因に引っ張られて――結果、青いオーラ消え、水に襲われたのだ。口から泡を吹き、溺れかける。
だが、魔物はその間も待ってはくれない。攻撃は怒涛の連打の真っ只中。攻撃力がないといっても何回も同じところを集中的に狙われては、どんなに硬い岩でもいつかは砕けるというものだ。
「ダメだ。剣は無理だ」
魔法に集中すれば、剣は大雑把になる。剣に集中すれば、魔法がおろそかになる。
初めての戦闘。それは緊張感のせいもあり、顕著に表れていた。ショウは剣をしまい、集中するのは魔法に決めた。それしかないのだ。水という不利な条件での戦闘。まず第一条件である水魔装が無くては話にならないからだ。
「もう決めんとまずいぞ主人様」
「アドバイスとかくれないの? つか、戦ってくれよ」
「相手の動きをよく観察せぇ。そうすれば自ずと見えてくる。トラップ魔法を使こうてく上で最も必要不可欠な要素じゃろ。罠に嵌めるんじゃ」
「……!! そうか! サンキューノロ」
ノロのアドバイスに、ショウはひらめいた。そしてすぐさまそれを実行に移すために、イメージし魔力を溜めての――、
「喰らいやがれっ!!」
ショウの咆哮と共に、右手から魔法は放たれた。すると直後――バシッと、全身に鎖が巻き付いた『サメ』のような姿をしたものが、ショウの膝付近でもがき現れた。
ショウの発したのはトラップ魔法――『接触』を使った『拘束魔法』である。設置した箇所に魔力ある者が触れると、自動的反応して拘束するトラップ。膝を狙うことを見越して設置したそれは、ものの見事に魔物の全貌を露にした。
手のひらサイズの小さなサメが拘束され、体を暴れさせていたが、鎖は壊れそうもない。
トラップ魔法ははまれば強力。しかし当たらなければ魔力の垂れ流しという一撃必殺の魔法なのだ。
一度設置すると解除ができない。このデメリットがあまりにも大きため、使う者は限られている。もういないのかもしれないが――。
ショウは元々魔力量が少ない。だから強くなるために、危険を犯してでもトラップ魔法を会得した。それはフィアがいたからできたこと。彼女が教授したもの。だらかたとえこの魔法で身を滅ぼすことになったとしても後悔はない。
「はぁはぁ……ま、まずい」
ショウは慌ててその場から一目散に水面へと逃げだした。
時間切れ。それはもう目前だった。
「なぜとどめをささん。あやつは動けんかったろうに」
一心不乱に水面を目指すショウに、ノロの言葉など入ってはいない。
だが、新たな痛みにはショウも反応を示す。
「……くそっ、魔力が切れそうなのに」
――魔物は1匹だけではなかった。
現れた水影は二、三――と段々と数を増してきている。
水魔装中は自然魔力のおかげで、水魔法だけは『無限』に使える。
だが、水魔装は自分の魔力が続く限りのため、無限であり有限ではある。
刻々と現れ続けるサメ型魔物相手に、無限の有限とはいえ、魔法を当てるのはショウにとって至難の技。トラップ魔法を使おうにも、群れが相手では一匹単位でしか当てられない。強力なトラップ魔法には魔力が足りない。
「短剣で捕らえたやつを殺せば、他のやつらは逃げておったのに」
「そんな場合じゃ……ノロ行けっ!」
「主人様!? な、なにをする!」
思い立ったショウは、頭の上のノロを引き剥がして――水面に向かってに投げた。そして、水魔法を一点集中させて、ノロを急激に上昇させた。
主人として最後にできるのは、メイドを助けてやることぐらいだろ。
「はぁ、こ、これでいい。ガハッ……」
ショウはノロを押し切ったことを確認すると、そのまま水魔装を解いた。解かざるを得なかった。もう魔力はない。
――――悔いはなかった。
どこか満たされた自分がいる。こんな自分でも成せることはあるのだと、勝手に自己満足し、人生の幕を引こうとしている自分がいる。
だが、
――――死にたくない。
死にたくないと、こんなところで終われるかと、必死に水面を目指して、押し寄せる魔物と水の容赦のない攻撃に助けを求めた。それでも水面は遠く――意識もまた遠くなり――。
無様にも暴れまわったショウのポケットからは、そんな彼の願いに答えたのか、こぼれ落ちた『ベル』の音色が、メイド服を身に纏った救世主を呼び寄せた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ボートの上は日差しを一身に受けて、暖かい。水の中では決して感じることのできないその温もりとはまた別の温もりを、ショウは身をもって体験していた。
フィアの膝の上――子供のころ以来か。
「もう、無茶はいけませんよご主人様。『ベル』はこういう時のためにあるのを覚えておいてください」
「……ごめん、フィア。でもお前ならと思ってさ」
あれは偶然だったのかは分からない。ただ、フィアは助けてくれると自然とそんな気がしてならなかった。
「そのお言葉と思いが、私をさらに強くいたします」
「ワシの心配などせんでええのに……じゃが感謝しとるぞ主人様」
「よかった。ぬいぐるみが無事で」
「なっ!? なんじゃと!!」
いくつもの初めてがショウを襲い、いつもの日常がそこにはあった。
これは旅路二日目――そのたった数分間の出来事に過ぎない。