二章 34冊目 夜コロ
コロシアムの中心。
この為だけに作られたとおぼしき金網が円を作っていた。
その中にいる者を、逃がす気など毛頭無いかのように、金網の中だけを光りが照りつけ、そこで行われている現実が鮮明に脳を刺激する。
昼とはうってかわって近距離での試合観戦は、臨場感を楽しむには持ってこいだが。
出血大サービス。あなたに鮮血のしぶきをお届けしてくれる。
イルカが水しぶきを繰り出す愛くるしさとは正反対。
鮮血が飛散し、ぶちまけられたナニかの音が辺りを支配した。
大きな体に似合う巨大な斧は血を滴らせ、それはまるで次の獲物の登場を心待ちにしているようにぽたぽたと時を刻んでいた。
一瞬の静寂のあと一斉に観客たちのボルテージが上がった。
これはショー。それを決定付ける最後のアクセントとなった。
あまりにも異質な光景に観客席後列で立ち尽くすショウの怒りはさらに増していた。
力を解き放てるのなら今すぐこの拳を誰かにぶつけてやりたかった。
ここにいる全員が狂っている。悪魔の羅列は暗闇の中でもオーラとしてそこにいる。
本当の悪魔は人の本性だと、この場を通じてはっきりと理解した。
この出来事に対するショウの答えは怒りだったことに対して、ロネイはどこか悲哀の含まれた表情でその光景を見ていた。
「……今殺した男は私の弟子なんです」
それはショウにとって衝撃の一言だった。
「アハハ、笑っちゃいますよね。姉様の弟子にこんな悪魔を育てたメイドがいるなんて……」
髪を掻く仕草で続けたロネイは、乾いた笑いを交えて場を和ませようとしたのか。でも、それが空元気なのは見え見えだった。
一番ツラいのはロネイだ。
握りしめていた拳をほどき、ロネイの肩にそっと手を置くと手を伝ってきた震えを一緒に体感した。
触れたことでロネイのオーラが由々しき事態になってしまいそうなのが分かった。
「無理しないで下さい」
ショウは怒りよりも何よりもロネイが心配になった。
「無理だなんて……」
「今のあなたはフィアさんと似ています。一人で溜め込んで、いつも誰かのために動き回っている」
その背負う重荷を少しでも下ろせるのならと。
消え行くオーラと共にまた歓声が上がる。
師匠の心弟子知らず。
「たまには吐き出してもいいのではないですか?」
おせっかいなのは重々承知している。このまま黙ってオーラが振りきってしまえば、きっとロネイの中の何かが壊れる。そう感じたからだ。
「……怖いんです。私の中にいるもう一人の私がいつ出てくるのか」
静かに語ってくれた。
「アイツがああなったのは私のせいです。私がテレベスに全てを教え、全て引き出した。
――訓練中の事故で誤って人を殺してしまったことがきっかけだったのです。いつからか現れなくなったテレベスがこのようなことに手を染めていると噂で聞き……」
額を押さえて悩みをぶちまけてくれた。苦しい胸の内がひしひしと伝わってくる。
覚悟と言っていたのは自分への戒めを込めていたのだろうか。
ただ言えるのは、弟子の裏切りの光景はロネイをさらに苦しめる結果となっているのは紛れもない真実だ。
自然すぎる変化に変化したと歓声が起こることはない。
「ふぅ。なんだか踏ん切りがつきました。ありがとうございます」
口調が少し変わったなんていうには微妙すぎる変化だった。
だが今までのロネイとは明らかに雰囲気そのものが違っている。
置いていた手はすり落ち、一歩一歩前に進んでいくロネイに対する状況があの時と似ている。
「……絶対にダメですっ!」
呼び止めるように再度、左手で掴んだ右肩に力を込めた。
と同時に、振り切ってしまっていると痛感した。
「なんのことですかショウ? 私はただ悪を消し去るだけですが?」
淡々とにこやかな表情で答える姿は、あの時のフィアを彷彿とさせるものがあった。
今は一秒でも早くそれをロネイから追いやるために、何が何でもこの手を離すわけにはいかなかった。
「ロネイさんがそんなことをする筋合いはないっ!」
「では誰が? ショウですか? 何故あなたはいいのですか? 自分を特別な人間だと思っているのですか?」
一方的に止めどなく吐き出されてくる目一杯の一つ。
「……違う」
最後の一つにだけ小さく答えた。
ショウはいたって普通の、平凡な人間だ。
そんな人間でも人の命を奪う可能性は秘めている。そして、それをすることは決して許されることではない。
それでも……。
「それでも、私はあなたを守れるというのならっ! この手を、染めたって構いわしません」
「守ってほしいわけではありませんよ?」
響く隙間さえ今のそれにはなかった。
フィアの時はショウというブレーキがあったが今回は違う。
ブレーキを作り出すしかなかった。
そのブレーキさえ埋め込むことすらできないのが現状だった。
「……ショウ。この手を退けてくださいませんか?」
「それ以上先に行くことはあなたの師匠。フィアさんの主人として許すわけにはいきませんっ!」
「フィア姉の名前を出すなんて……」
刹那の静寂だったが、永劫のように感じた。
思考を巡らす暇はない。