お姫様。悪女を知る。4
とんでもなく間が空いてしまいました。
「グレイ様」
フリードの低く通る声が廊下に響く。
グレイはその声にジグレイドを名残惜しそうに見つめていたが、ジグレイドの額にキスをするとお休みと声をかけ先に歩き始めたフリードについてその場を離れた。
フリードは母屋の最上階にあるグレイの私室のドアを開け、主人を通すと閉じたドアに手を触れる。フリードの手の下に赤い魔法陣が一瞬現れ消えた。これで誰も部屋へは入れまい。後ろを振り返り、グレイと向かい合ったところで彼の口元がいつもより上がっている事に気がついた。
視線を感じたのかグレイが喉で笑った。まるでこちらをからかう様な仕草に腹の当たりが重くなる。
「何か?」
フリードが機嫌悪そうに問うが、グレイは軽く頭を横に振る。そしてグレイはフリードの腕を取り、ぴたりと寄り添うと囁いた。
「行きましょう。ーーーお願いしますね、私の可愛いコトリちゃん」
グレイの楽しそうに呟くと貼り付けた笑みをより深くする。
ああ、この男は俺がいちいち反応するから面白がってる。怒りのような呆れのような胸が重く苦しくなった。だが、これ以上話をする気にもなれず、気を紛らわすために強めに息を吐く。
いちいちこの人に構っていたらキリがない。やらなければいけない事はまだまだ多いのだから。
フリードは目を閉じ、もうすっかり馴染んだ魔法陣を思い浮かべた。2人を中心に風がふわりと広がり、2人を照らす様に足元に陣が現れ青く輝きだす。フリードは組まれたグレイの腕にもう一方のてを重ね、光の中に2人は消えた。
元居た国の西端から北端まで、馬で1週間はかかる地にフリードは居た。国から許された一部の者が使える転移魔法は訪れたことがあり、土地の所有者に許されればどこまででも飛べる。だが目的地が遠のけば遠のくほど魔力が必要になるもので。これ程遠くの地に飛ぶのは人間も並の魔族も難しく、フリードが無尽蔵の魔力を持つからこそ可能だ。
フリードとグレイが着いたのは質素ながら綺麗に整えられた客間。ソファで座って待っていたのだろう金髪碧眼の美しい青年が人立ち上がり短い距離を駆け寄ってくる。2人の姿を見上げた顔は悲しみと疲れが見えたが、視線をグレイに固定させると瞬時に少年の様な泣き顔になった。
「先輩!フリードも・・・来てくださってありがとうございます」
青年は感極まったように声を上げ、そのままグレイと抱擁を交わす。そしてグレイの胸で泣き始めた。
グレイの黒いマントが涙を吸って色を増す。
グレイは慰めるように青年の背をしばらく撫で、無言のまま彼が落ち着くのを待った。男が冷静さを取り戻し、顔を上げたところで腕をほどきそっと離れた。
「デービット・スロウ男爵、学園を出てからもう10年が経ちます。貴方はもう私の後輩ではなく領主なのだからその様になさい」
デービットのぐしゃぐしゃの泣き顔は元が整っているだけあって手を差し伸べたくなるほどに哀れだ。
けれど、その純粋に優しさを求める姿に嫌悪を感じる。もうすぐ三十路の男が情けない。昔馴染みとはいえ馴れ馴れしいにも程があるだろう。
デービットはグレイに諭され、姿勢を正した。そして正面からグレイを見つめ口を開き。
「グレイ殿、今夜はお越しいただきありがとう・・ござ・・・っ」
デービットの取り繕った言葉は半ばで声が震えて、消えた。
ああ、どこまで情けない男なのだろう。それでこの人の同情を誘う気なのか。
グレイはデービットの目に浮かぶ雫が落ちていくのを見るとデービットの肩を抱き、勝手知ったるように廊下へと誘う。
デービットに大人の対応を求めていたグレイだが、結局終始慰めるように彼を労わって到る。そしてデービットも当たり前の様にグレイにすがっていた。ああ、本当に馬鹿で愚かな。
3人が着いた部屋は客間と同じく質素だが、女性の部屋らしく暖かい雰囲気でそここに花が飾られていた。そしてベッドには1人女性が横たわっている。どこかデービットに似たその女性は年老いてもなお美しい寝顔で出迎えた。
グレイはベッドの傍らに跪き、女性の手を取った。それは少しかさついて冷たい手だった。
「お久しぶりです。遅くなってしまってごめんなさい、おば様」
グレイは目を閉じ頭を垂れ、その冷たい手に額を触れさせる。黙祷を捧げると立ち上がり、すすり泣くデービットとフリードと連れ立って元の部屋に戻った。
デービットは少し落ち着きを取り戻し、瞳を涙で輝かせながら2人に笑いかけた。薄暗い部屋の中でもそらは太陽の様に輝く。
「お忙しい中母上に会いに来て下さってありがとうございます。遅くなりましたが、此度の比類なき武功、無事のご帰還おめでとうございます」
デービットの言葉にグレイは小さく息をつくと、デービットの手を両手で握り眉根を下げた。
「貴方の民、この領地より参じてくらた兵達のお陰です。すぐにでも家に帰らしてやりたいのですが、なにぶんまだ彼方も落ち着かず・・・・・」
「お役にたったならば幸いです。今年は作物の実りも悪く、困り果てていたのです。グレイ様の援助でどうにか。助けて頂いたのはこちらも同じです」
デービットは握られた手にもう片方を添え、感謝を込めて握る。子供の頃から大人になっても学生の頃からデービットにとってグレイは常に気にかけ助けてくれる優しい先輩だ。彼のグレイへの眼差しは感謝と信頼に満ちて輝いている。
本当に気色悪い事に。
「兵達は戻った後、どうされるのでしょう?」
グレイの心配そうな声音にデービットは苦笑する。戦後の問題の1つに仕事を無くした兵のやりばがある。
「元は殆どが農民です。また畑を耕すでしょう。いっその事、この機に領主主導で傭兵を作るべきなのかもしれませんね」
そう元の生活に戻るだけ。だが、その元の生活こそが困窮している。元々は高地の荒れ地でも強く生きる屈強な山男達だ、出稼ぎをすることもできるのではと考えた。生きるには新しい事をしなければならない。
そんな言葉にグレイは悲しそうな表情で首を振った。
「実は彼らには殆ど前線で戦わずせず、治安維持に注力してもらっているの。出来れば、荒ごとも多い傭兵にはなって欲しくはないわ。本当はこの地の優しい男達には人が死ぬ様な戦を見せたくは無かった。・・私のフリードにも」
グレイはデービットの手を離すと労わる様にフリードの腕を撫でる。人外のフリードは見るからに屈強な青年だが、グレイはまるで可愛らしい幼子が居るような目で彼を見ている。
その視線に黒く重たいものがまた腹に溜まるように感じた。
無表情のフリードに微笑みながらグレイは続ける。
「知っているでしょうけど。この子は戦いでとても強い、けれど心根はとても優しい子で本当は人が傷つく事が嫌いだわ」
グレイはデービットに向き直ると、一瞬口を引き締め意を決したように話し出した。
「ここは豊かではないけれど、戦も少ない平和な領地ね・・・デービット。もし私に何かあればフリードの後見人になってくれませんか?ここならこの子が悲しむことは少ないでしょう」
「それは!」
グレイの言葉にフリードは驚きの声を上げて目を見張ったが、グレイの目配せに押し黙る。
「ええ、俺で良ければもちろん!」
一方のデービットは敬愛する先輩に頼られたのが嬉しいのだろう、満面の笑みで高らかに答える。
グレイはデービットに満足そうに微笑んだ。
「貴方ならそう言ってくれると思っていましたよ。そうです、フリードは草花が好きで・・・あちらの国でそれは綺麗な花を見つけたの。この地のような高地に咲く花で、新たな特産にできると思うわ。今度フリードに持ってこさせましょう」
デービットは感極まり、その綺麗な顔面をまた崩壊させて泣きながらグレイに抱きついた。彼の周りに見える気がする花は頭からもれたものだろう。
「せ、せんぱーーぃ!!うう、ゔそんなに俺たちのことを考えてくれてたなんて!大好きですぅぅぅ!!」
グレイは抱きつかれ苦しそうな呻き声をあげたが、呆れたようにため息をつく。
「・・・はぁ、デービット。貴方いつになったらその抱きつきぐせ治るんです?邪魔な・・ああ、寂しいんですね、疲れてるんですね可哀想に・・・」
グレイは途中から芝居がかった心底哀れんだ声音でそう言うと、すとんとデービットの首に手刀を入れた。グレイが支えないのでデービットは良い音を立てて床に崩れる。
その頭を打った衝撃でやわやわの頭が多少まともになるといいのに。
「まったく、会った時から本当に世話のかかる子なんでだから」
グレイは自分で落としておきながらデービットを抱き上げ、客間のベッドに寝かせると甲斐甲斐しく布団をかけてやる。
どうせなら床で寝かせて風邪でも引けば静かなのに。
本編までこんなに長くかかるとは・・浅はかすぎました。