伝奇と女子高生
平日昼間の駅のホームは何故か静まりかえっていた。確かに通勤通学の時間帯以外ではさほど賑わうわけでもないこじんまりとした駅ではある。だがしかし、それでもやはり、あまりにも静か過ぎた。
その静かな人気の無いホームに、少女が一人佇んでいる。濃紺のブレザーと膝丈のプリーツスカートはこの駅を最寄りとする伝統ある高校のものだ。学校指定の革鞄を提げたまま、じっと空っぽのホームを見つめている。その視線が見つめているのは、電光掲示板だった。
通常次の電車を知らせる表示や案内が流れているだろうそこには、見慣れた文字は無かった。意味のわからない記号が羅列している。
踊るように流れる文字をじっと見つめていた少女は、風でかさついた唇を軽く舌で潤してからゆっくりと口を開いた。意識して低く落とされた言葉が、静かなホームに響く。
「出てきなさい、虚」
少女の言葉に応えるように、ぴたりと電光掲示板の文字列が動きを止めた。周囲から音も風も気配も消える。
「わざわざ隔離してあげたんだから、大人しく出てきなさい。……そして、私に倒されなさい」
口調の凜々しさと裏腹に、少女はどこか面倒そうだった。止まっていた風が動き出す。生温い、どこか不愉快になる熱を孕んだ風が、少女の襟足の長い栗色の髪を揺らした。
その首筋、耳朶に近い場所に奇妙な痣があった。勾玉を二つ揃えて丸を作り出したような形は、陰陽を示す白と黒の勾玉の構図に似ている。すぅと少女が息を吸うのと、痣がぼぅと光るのがほぼ同時だった。
「世界の澱みたる虚よ。そこにお前の居場所はない。摂理に従い、深淵へと還るがいい」
少女の声は朗々と響いた。快活な女子高生には不似合いな、不釣り合いな、歪なと言っても過言ではないだろう台詞だった。けれど、彼女は平然としていた。それが普通なのだと言いたげに。
うぞり、と電光掲示板の止まっていた文字列が動き出した。正確には、光の裏側の何かが動き出していた。汚濁が這い出るようにそれはどろりと電光掲示板から滴り落ちる。どろどろと流れ出てくるそれを、少女は静かに見ていた。
「やっと出てきたわね、虚」
面倒そうに少女は呟くと、ブレザーのポケットから素早くそれを取り出した。使い古されてはいるがきちんと手入れのされた懐剣。ためらいもなく抜くと、彼女は懐剣の切っ先に指先を押し当て、軽く切った。すぐにぷくりと赤い血が浮かび上がる。その血を懐紙に吸わせると、少女はそれを電光掲示板から垂れているどろりとした何かに向けて投げつけた。
本来、懐紙は投げたところで真っ直ぐと飛びはしない。だが、今はまるでダーツか何かのように美しい軌跡を描いて飛んだ。そして、それに当たる。
どろりとしたそれは、彼女の血を吸った懐紙をぶつけられて動きを止めた。じだばたと何かから逃れようとするようにぶるぶる震えているが、それもすぐに止まる。止まって、そして、徐々に高質化していき、その場に落ちる。
からん、という乾いた音が響いた。駅のホームに落ちたそれはもう、動かない。
「まったく。この程度の小物のくせに、何ヶ月も潜んで皆の目を掻い潜るとか止めて欲しかったわ……」
既に動かないそれを、彼女は踏み潰した。音はしなかった。まるで、最初からそこに何もなかったかのように、跡形も無く消えていく。残ったのは、彼女が投げつけた懐紙だけだ。
次の瞬間、音が戻る。生活音が戻ってきた。駅員達の声もする。今までの無音が嘘のように、ざわめきが駅のホームを満たした。
彼女が見上げた先の電光掲示板は、いつものように次の電車の情報を流している。何もかも、ごく普通の駅の風景だった。
「お仕事おしまい。学校行かなくちゃ」
そう言って、少女は笑った。(終)




