死者に生者は勝てない
雨の匂いを嗅ぐと何だか懐かしくなるのは何故だろう。
秋雨が降り始めた。秋の雨も、雨自体に大きな思い出もなかったはずなのに、雨の匂いを嗅ぐと懐かしくなるのは何故だろう。不意に何かの記憶が浮かびそうになるのは何故だろう。結局浮かび上がる事もなく消えてしまうのは何故だろう。僕は何を感じていたのだろう。
どれだけ歳を重ねようとも、その時感じていた事はその時にしか鮮明じゃない。記憶は時間が経てばまるで夢だったかのように思い出せなくなり、美しく脚色される。きっと秋雨で何か思い出があったはずだった。あの頃の自分はもういなくなってしまった。
子供の頃、大人は凄いものだと思っていた。曇り空を見て「あとどのくらいで雨が降るね」とか、「これはあの匂いだね」とか、知らないものを沢山知っていた。今思えば簡単だったな。僕らはいつの間に色々な事を経験していた。だから雨が降りそうな曇り空を見て傘を持っていく事も出来るし、金木犀の匂いで秋に気づく事が出来る。生き続けているってこういう事なんだ。どんどん新しい事を吸収してそれが当たり前になっていく。
だからこそ、会えなくなってしまった人の姿はいつまでもそのままだ。最後の瞬間、変わらないままで笑っている。更新される事はない。もしかしたら背が高くなっていたのかもしれない。太ってしまったのかもしれない。よく笑うようになったのかもしれない。全部全部、その先は見れないままだ。
亡くなった人に恋い焦がれる気持ちがよく分かる。だって永遠に更新されないから。綺麗なまま、君は僕に語り掛けている。
けれど、その声はもう二度と聞こえない。劣化もしない。自分だけが進んでいく。同じように時を止めて欲しいのに肉体は生きたままだ。僕だけが劣化して君を置いていく。君の記憶が脚色されていく。声も忘れていく。日常の些細な行動で、君は僕の目の前に現れて消えていく。死者に生者が勝てる術はない。
高校生の時、友達の好きだった人がそうだったな、なんて思い出す。病気で恋人を亡くして、普通に生き続けているけれど、どうしても忘れられないから次なんて考えられないって。僕はその時友人になんて言ったんだっけ。確か亡くなった人を想い続けている人は難しいねとか何とか当たり障りのない事を言ったんだっけ。
今の僕ならこう言うだろう。
「本当に好きなら過去も含めて許容すればいい。死者に生者は勝てないし勝とうとも思わなくていい。それはその人を作る一部なんだから。君だって忘れられない恋の一つや二つあるだろう?それと同じだよ、重みが考え方が少し違っただけだ」
永遠に戻らない人を想い続けるなんて馬鹿げてるとか言う人がいたら、僕がそいつを殴ってやろうと思う。僕らは人間だから遅かれ早かれいつか死ぬ。けれど想いだけは死なない。君が死ぬまで、君の想いは残り続ける。
だから、無理に前に進まなくても良いじゃないか。悲しみを押し殺す必要もない。新しい人を探したら?なんて言葉にいちいち反応しなくてもいい。君にとって最愛の人だったならずっと想い続けていても良いじゃないか。いつか、何かの機会でそんな君の過去を含めて好きになってくれる人だって現れるかもしれない。
悲しみも想いも背負うんじゃない。一緒に歩き続けるんだ。隣で手を繋いで、長年連れ添った友のように寄り添えばいい。
いつか、君がもう一度心から笑える日まで。




