小さな呪いを背負って生きていく
それでも良いと思えるのは
君に忘れられない爪痕を残したい
忘れられない爪痕を残したい。これは最早一つの独占欲だけれど、別れても離れても、相手の記憶の一部に自分が存在していて欲しいと思う人は少なくはないと思う。
『別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。』
これを言った川端康成は最高に最低だと思う。天才的で酷い人。最早呪いだ。けれど、この言葉がかなり好きだったりする。だって毎年必ず思い出してもらえるなんて、思い出さざるを得ないなんて、なんて悲しくて辛くて酷く美しい。
憶えていて欲しくない人には教えない。思い出す事さえさせたくない。けれどそんな相手と付き合う人間は少ないだろう。別れって後悔と悲しみと永遠に変わらない赤信号だ。
最近、指輪を着けている事が多くなった。自分への投資、ご褒美、そのために買ったものだから、誰かとのつながりや記憶があるものではない。あるとするならば、ショップ店員さんとの会話の記録とか、買った時の自分の気持ちとかそれだけだ。誰かとの呪いがかかっていなくてよかったと思う。
そんなこんなで毎日の如く着けていると、外した時にそこにある感覚がずっと残る。着いていないのに着いている気になって指を触る。けれどそこには何もない。ただ皮膚があるだけ。それで私は着けていない事実に気が付く。
この感覚は別に嫌な物ではないと思う。けれど、きっとこういう事だ爪痕って。このもっと酷い感覚が、心まで引きずられてしまう感覚が、一つの爪痕なのだと思う。
ふとした瞬間、今まで忘れていたのに思い出す。一緒にいたままの気になって隣を見てもいない。そこで喪失感に気が付く。その瞬間、脳内はその人の事でいっぱいになる。懐かしくて酷く美しい。その感覚を笑って懐かしむようになれるのはどのくらいかかるだろう。人それぞれだろうけど、少なくとも三年はかかるような気がする。
知り合いが新宿駅に行けないと言う。何で?と軽いノリで問うてみた事がある。その時彼はこう言った。
『未練があるわけじゃないけれど、二人でよく出かけたから何か思い出しちゃう』
待ち合わせした場所とか、よく一緒に出掛けたとか、あの曲がり角、ビルの間、廃れた裏道。何気ないどこにでもある景色は彼にとってかけがえのない思い出で、たとえどれほど時間が経っても思い出してしまうのだと思う。勘違いしないでね、本当に未練はないんだと再度言う彼に、私は笑いながら言った。
『別にいいんじゃない?そういうものだよ。忘れなくていいでしょ』
彼にとって新宿駅には小さな呪いがあるのだろう。時が経とうとも消えない呪いが。でも、それで良いと思う。私にもあるから。
高校生の時、制服で二人、海に行った事がある。足だけ入って遊んだあの場所の名前を聞く度に、もう薄れてしまった思い出が蘇る。彼の家に行くために乗ったバスも、もう二度と乗る事はないけれど憶えている。駅の名前は忘れてしまったけれど、ぼろいベンチが置いてあった。そこで笑いながら待っていた彼の姿を憶えている。悲しみはないけれど、懐かしくなって笑う時がある。そうだ、そんな事もあったなって。でも、それで良いと思う。
私の記憶に残っている事は、きっと彼の記憶にも残っている。たとえ短い時間の中でも、共に過ごした時間はゆるぎない真実だから。忘れてしまう事は、今までの私を否定する事になる。好きになった彼の事を否定する事になる。結局は別れてしまったけれど、好きになって良かったと思う。だって幸せだったから。この小さな呪いを否定するのは、思い出を消す事と同じだ。
記憶に爪痕を残したいと言うのは、きっと我儘だと思う。けれど意図せずとも爪痕は残る。小さな呪いに姿を変えて。
私が私でなくなるまでに、一体あといくつ呪いを背負うのだろう。小さな傷を背負って、どれほどの人に爪痕を残されるのだろう。願わくば、その全てを受け入れて笑いながら死んでいきたい。




