8 遠慮
「ごめんなさい。怒らせてしまって」
私の為に怒ってくれている。
何故こんなにも私の事を褒めてくれるのだろうか。会ってからの時間なんて、まだ一時間も経っていない。お互いの事などよく分からないのが当たり前で、身分差があるのだからもっと隔たりがあるものだ。
私と関わることで社交に優位なことがある訳でもないし、反対に劣位しかないと思う。
「こういう時は、ごめんなさいじゃなくて、友達になれてって言ってくれると嬉しいな」
そう言ってくれるホノカさんこそが素敵だと思う。この出会いで一生分の幸運を使い果たしたかもしれない。
「ありがとう・・・ございます」
エマは涙がこみ上げそうになるのを我慢して、顔をしっかりとあげ微笑んだ。今日というこの日を絶対に忘れない。そう思えた。
「という訳で、エマさんがお父さんにこの場所にいるように言われているのなら、そのお父さんを探して医務室へ連れて行きたいって一言告げてからなら一緒に行ってくれる?それにエマさんのお相手、どんな人が興味あるし」
「えっ!?」
その話をまた蒸し返されたのにエマは驚いた。てっきり医務室の件は流れたと思っていたのに。
ホノカさんはワクワクしているのか、楽しそうな笑顔をしている。
「こーら、ホノカ。友達になったからって遠慮なさ過ぎ」
兄が義妹を軽く窘めている。
「だって」
てへって返しているのがまた憎めない。可愛い人はどんな仕草も可愛い。
エマの相手の方を確かめたいだなんて、どんな方かなんて父以外知らないから全く予想がつかないけれど、ごく普通の人だろうと思う。
レナート様やセオドール様みたいな方ではないと言い切れる。
もし万が一、父が合わせようとしている人物が、こんなに素敵な人が旦那様であるとしたら、喜ばしいことではあると思うけど、同時に大変そうだろうとも思う。
遠く空いてしまった距離の向こうからは、スタイル抜群の妖艶な人、清楚で煌びやかな人、何人もの女性達から熱っぽい視線が送られ、傍にいるのが似つかわしくないとばかりに私へ向けられている嫉妬と見下しの視線が痛い。恋愛事に疎いエマでさえはっきりと気づくほどだ。けれど、ホノカさんが肩に乗せている聖獣が防波堤とっなっているらしく近寄っては来ない。
二人は余りにも慣れ過ぎているのだろう。平然としている。この2人が規格外に容姿が整いすぎているとエマはつくづく思う。
セオドール様はご結婚されているが、レナート様は独身。2人のタイプはそれぞれ違うが、共通していることもある。背も高く、落ち着いた雰囲気、清潔と精悍。鍛えられているだろうすらりとした体躯。勿論職業、身分も申し分ない。
女性の視線が集まるのも無理はない。妻のホノカさんも内心までは分からないが、特にいらだった様子は見られない。ホノカさんもきっと慣れているのだろう。
エマは偶然が重なって、たまたま壁に寄りかかりこうして一緒にお話をしていただいているだけであって、この束の間与えられた夢の時間は明日になればきっと二度とないだろう。そう思っている。
自分が考える夫の希望としては、言葉や行動を以てして傷つけられることなく、衣食住を与えて貰えるならそれでいいと思っている。私の事を嫁として貰ってくれると言うのなら、それだけで満足しなければならないと思う。もしかすると一生縁がないものと思っていたのだから。現状の生活と比べて少しでも改善されるのであれば、それでいい。高望みはしない。
「エマさんのお父さんはまだ来られないみたいだし。今のうちにレナート兄さんはご令嬢たちと踊ってきたら?お義母さんから指令がでてるでしょ?いい人を今度こそ見つけてきなさいって」
ホノカさんはエマのお相手の顔を拝む気満々で、ここを移動するつもりは更々ないらしい。
「あっ、やばい。忘れてた。その母から飲み物を持ってきて欲しいと頼まれていたんだった。すっかり忘れてた」
レナートがホノカ達に声を掛けた理由。それは母から飲み物を取ってきてと頼まれ、設置されている所へ足を向け歩いていると前方に義弟と義妹の姿を見つけたからだ。そしてエマが転びかかったことですっかり忘れていたのだ。
「あーあ。お義母さん、待ってるんじゃない~?」
「・・・今から行ってくる」
義妹から囃し立てられるように言われたレナート様は、隣の部屋へと慌てて向かって行った。
「ちょっとホノカさん。レナートを見なかった?さっきから探しているんだけど見当たらなくて」
そこへほっそりとしているのに、豊満な胸を持つ妙齢の女性が現れた。
濃緑のドレスに金の髪に褐色の肌を持つその女性は、目の下には泣き黒子、ぽってりとした唇をしていて、エマから見てもとても色っぽいと感じた。
この人はもしかして、ホノカさんがレナート様に進めていたご令嬢の1人なのだろうか。呼び捨てにしていることから察するに親しい間柄なのだろう。2人が踊ればきっと沢山の視線を釘付けにするのは間違いないだろう。