48 陥落
「いつかエマのその足も治したい・・・」
広い胸に抱きしめられたまま、ぽつりとレナート様が呟いた。切なそうに聞こえたのは気のせいではないだろう。
「治ったら嬉しいとは思いますけど、私はこのままでも十分です」
これだけ凄い魔法を使うことが出来るホノカさんでも、今のエマの足の怪我は治せないと傷跡を治しながら済まなさそうにして言われた。
怪我をしたばかりであれば障害も残さずに治せることも可能だったらしい。骨や神経がどうと説明されたが良く分からなかった。
残念だとちらりと思ったのは確かだが、傷跡も一生残ったままだと思っていたのだから十分に有難いと思う。ホノカさんが申し訳なく思う必要なんてどこにもないと言うことを伝えたけれど、やっぱり済まなさそうな顔をしながら、最後の仕上げに痛みを和らげる魔法をかけてくれたのだ。
涙が止まったエマは今の現状を鑑みた。自室のソファで旦那様の膝上に乗せられているのも、ある意味夫婦の語らいと言えなくもない。
エマが望まない限り、手は出さないと約束をしてくれたレナート様。結婚をして数日がたった。眠るときも一つの寝台を使い、寄り添って寝ている。
人肌に包まれて眠ることにも慣れ、ドキドキはしながらも安心してレナート様と過ごしている。
自分が望まない限り手を出さないと約束をしてくれたけれど、本当はその約束を取り消して欲しいと願っている。やっぱり好きな人と書面だけでなく、気持ちの上でも夫婦となりたいと思い始めた気持ちが段々と大きくなってきているからだ。
毎晩同じ寝台に上がる度に伝えよう、伝えようとは思うのだが、女が果たして自分からそんなことを言っていいものなのか、はしたないと思われたらどうしようと言えずにいた。
それに、傷のことは知られていても、実際にすべてを見せてしまえば、やっぱり受け入れられないのではないかという恐怖も常にあった。
けれど、見せることが怖いと思っていた傷跡が無くなったのだ。女側から言うのはどうかとは思うけれど、言うなら今しかないとも思う。多分、今を逃せば自分から言い出すことが出来なくなるのはなんとなく予想が付く。
自分から願い出なければ今の関係は変わらないのならば、勇気を持って伝えたい。そう思った。
「あ、の、・・・レナート、様」
名前を呼ぶ。
決意したものの、その一言が喉に張り付いて中々出てこなかった。
ようやく出せた声も緊張で震えてしまった。シャツにしがみ付いていた手も、冷たくなって力が入らなくなってきた。
「どうした?具合でも悪くなったのか?」
名前を呼んだきり、口ごもったのを体調が悪いのかと心配させてしまったらしい。抱きしめられていた体を離され、顔を覗き込もうとされていることを気配で感じた。
とんでもない。きっとレナート様の顔を見てしまったら、決意した気持ちはあっという間に無くなってしまうだろうと思った。
言わなきゃ。
ぎゅっと目を閉じ、エマは早口で言った。
「私に手を出してくださいっ!」
***
「行って、らっしゃい、ませ」
寝台に横になったまま、エマは小声でこれから仕事へと向かう夫であるレナート様を送り出そうとしていた。シーツで顔を半分ほど隠しながら。
理由は恥ずかしいから。ただ、ただ、その一言に尽きる。
昨夜、エマが叫ぶようにして言った一言に最初こそ唖然としていたレナート様だったけど、思い付きで手を出して欲しいと言ったのではないらしいことが分かると、そのまま寝室へと運ばれてようやく身も結ばれた。
眠ったのはいつもより遅い時間だったはずだが、朝目覚めたのはいつもと変わらない時間だった。エマが目覚めたのと合わせてレナート様も目覚めたらしい。
ぱちりとお互いの目が一瞬合ってからというもの、エマは恥ずかしくてまともにレナート様の顔を見れなくなった。シーツの中に逃げ込もうとしたが、あちこち体が痛みを訴えた。
それを見たレナート様に、抱き上げられ何故か一緒に風呂へと入り、寝室へと戻ってくると誰が替えたのかシーツ類が新たに替えられていたのを見た時の衝撃はきっと一生忘れられないと思う・・・。
初めて身を委ねた時も相当な羞恥心を味わったが、風呂も同じく共にするなんて同等か、もしくはそれ以上に感じた。
夫婦って、エマが想像していた以上に知らなかったことにも恥ずかしいことにも耐えなくてはならないことがあるんだと知らされたのだった・・・・・・。
「行ってくる。まだまともに歩けないんだから今日一日はなるべく寝てるように。何か用事があればここにあるベルでイレーネを呼ぶと良い」
寝台の脇に腰かけたレナート様は、近くに寄せたサイドテーブルの上にベルを置いてあることをエマに教えてくれた。見れば高さ10cm程の銀色のベルが用意されていた。
「出来るだけ早く帰るから。―――エマ、ちゃんと顔を見せて」
うっ。折角隠しているのに。
どうしてエマがこんな態度をとっているのか分かっていていうのだから、酷い。でも、レナート様の声は絶対にいつもより甘い。
見せたいけれど、どうしても昨夜のあれこれを思い出してしまって、顔が出せない。どうしようとまごついていると、エマの頭を撫でながらもう一度レナート様に言われてしまった。
「エマ、顔をだして。行ってきますのキスさせて?」
―――!?
甘く蕩ける声に陥落したエマは願いを叶えるべくシーツを下げたのだった。