15 反撃
「離して下さいっ!」
嫌だっ。怖いっ!
目の前の男から身の危険を感じ、エマは自分の腕に力を込め、足を止めようとした。が、年を取っているとはいえ男の力には敵わなかった。反対にぐいっと引っ張られ足がもつれた。
「離すわけ無かろう。それに例え家に戻ったところで、もうどこにも居場所はないのにどうするというのだ?ん?」
---!!
認めたくはないが、きっと男爵の言う通りなのだろう。父は私をもう嫁に出した気でいるのだろうし、義母からは元々邪険にされていた。下手すればエマが質素に暮らしていた小さな部屋の私物も勝手に処分されているのかもしれない。多分、その可能性が高いだろう。エマは悔しくて、唇を噛んだ。
「それに、もう部屋の前だ。観念するんだな」
男爵はにやぁと気持ちの悪い下卑た笑いを見せ、懐から鍵を取り出しドアを開けた。明かりがついていない暗い部屋には、二人分の寝具と幾つかの家具と調度品の形が月明りにぼんやりと浮かんで見えた。
室内を見たことで危険をより現実のものとして感じたエマは、とっさに自分の聖獣を呼び出していた。
「グロリオサっ!」
一般的には城で聖獣を呼び出すことは禁止されていることなんて、考える事すらしなかった。主の命に従いエマの肩から飛びだしてきたのは、体長80~90cm程の巨大なウサギだった。
廊下に突然現れたまずあり得ない大きさの聖獣を見て、思わず驚いた顔をしたレイエス男爵だったが、直ぐに平常心を取り戻したらしく、やれやれと呆れた顔をした。
「聖獣など出したところで、魔法を使えないのだろう?そんな役にも立たない巨大なウサギを出してどうするつもりだ?」
父から私が魔法を使えないということは聞いて知っていたのだろう。
エマは土の特性を持っているが、残念ながら魔法は使えない。聖獣はグロリオサという名前で、巨大なウサギだ。フレミッシュジャイアントという種類で、魔法が使えなくてもエマにとってグロリオサは、とても大事にしている。
年老いた侍女のイレーネ・ベーレンスと暮らしているエマには家族同然だつた。血の繋がりもない、片方は人でもない、それでもエマは家族だと心の中で強く思っている。
帰る場所が自分にはもう無かろうと、このまま妻にされることなんて我慢できなかった。一歩でも部屋に連れ込まれてしまえば、男爵が言ったように無理やり純潔を奪われてしまうのだろう。
父から命令を聞かずに裏切るなんて怖くて出来ないと思っていたが、この男の妻になることはどうしても嫌だと思った。
「離してっ、嫌っ!」
「ええい、ここまできて聞き分けの無い事をっ。さっさと中に入れっ!」
ぐいっと手を強い力で引っ張られ、エマは中へと連れ込まれそうになった。
「嫌ーっっっっ!」
ドアの入り口に左手でしがみ付き、未だかつて出したことの無い大声で叫んだ。エマの声は広範囲にわたる程に響き渡り、辺りから人の動く気配が感じられた。
「くそっ、いいからさっさと中へと入れっ!」
男爵に無理やり左手を引きはがされたエマは、もう一度叫んだ。
「嫌ーっ」
今度は大声だけでなく、まだ自由が利く右足を使い相手の体を蹴った。
「うわっ!何をする」
非力なエマの蹴りは男爵の右足の脛に軽く当たっただけだった。それでも反撃をされることを予想していなかったらしい男爵には驚くには十分な力だったらしい。エマを掴んでいた手はあっさりと離れた。
顔に怒りを浮かべた男爵の右の手があげられた。
殴られるっ!
エマは恐怖から身を縮こまらせ、ぎゅっと目を閉じた。
主の蹴る行動を見ていた聖獣のグロリオサは、そのすきを見逃さなかった。主の一大事と思ったらしく男爵相手に対し同じ行動を取った。グロリオサは後ろを向き、姿勢を低くし力を貯め、後ろ脚で力いっぱい容赦なく蹴りを繰り出した。
「ぐあっっ!。ぬぅぅぅ」
レイエス男爵は痛みを堪えきれず前のめりになって床に膝を付くと、脂汗を流しながら頭を床へとつけ、グロリオサが蹴り上げられた箇所を両手で押さえながら呻いた。
脚力があることで有名なウサギからの必殺の一撃は、偶然にも股間へと命中していた。
「エマさんっ!」
殴られると思っていたのに痛みはやってこなかった。衝撃の代わりに廊下に響いたのは、ここにはいない筈の女性特有の高い声だった。
自分の名前を呼ばれたのを機に目を開くと、曲がり角から勢いよく駆けつけてくれている彼女の姿が見えた。
「・・・ホ、ノカ、さん?」
エマの助けを求める悲鳴を聞いて一番に駆けつけてくれたのは、紛れもなくホノカさんだった。同時に彼女の後ろにも数人が駆けつけてくれているのが見えた。レナート様を含む見知った人もいれば、知らない人達もいた。中には騎士服を着ている人の姿もあった。
「大丈夫ですか!?」
「おい、取り敢えずその男を取り押さえろっ」
「了解しましたっ」
状況判断した騎士達は効率よく床に蹲っているレイエス男爵を拘束した。
助かった・・・。
駆けつけたホノカさんはぎゅっと私の体を抱きしめてくれた。
「エマさんっ、無事!?えっ、ちょっ、ちょっとエマさん!?どうしたの!?」
助けに来るなり抱きしめてくれたことに安心したエマは、足に力が入らなくなりへなへなと床へ座り込んでしまった。
「怪我は!?怪我はしてない!?」
スカートが汚れる事にも頓着せず、ホノカさんは両膝をついて心配をしてくれた。
「大丈夫です。怪我は全然してないです。ホノカさんが来てくれて、安心したら気が抜けてしまって」
「本当に?・・・エマさん、立てる?」
差し伸べられたホノカさんの手を取りエマは立ち上がろうとしたが、どうにも足に力が入らなかった。
「冷える廊下にいつまでも座っていると風邪をひいてしまう。俺が手を貸そう。―――エマさん、失礼」
頭上から影が差したと思ったら、相手はレナート様だった。しゃがみ込んだレナート様は座り込んでいた私をあろうことか、ひょいといとも簡単に抱き上げた。




