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14 立所

 掴まれている手首が痛い。でも、それよりも心が痛かった。


 けれど涙を流すことはしなかった。出来なかったと言ってもいい。

 エマは父から疎まれていることは十分知っていた。けれど、事業が芳しくないからといって、支援を受けられる人の所、それも父よりもずっと年上の元へ嫁ぐようにされるとは思わなかった。


 レイエス男爵の重そうな体つきの割に足さばきは軽快で、廊下の赤い絨毯は足を取られやすく、エマは足が痛むのを我慢しながら懸命に動かしていた。

「あの、一体どこへ?」

 父は弾むようにして外へと出て行ってしまったのに対して、エマはその反対方向へと連れて来られている。夫となる人がこの人だという衝撃な事実を知ったばかりで、何も考えられないまま連れて来られた。

 時々廊下の端に警備兵がいる他は人気がない。レイエス男爵の迷いがない歩き方は目的地を知っているからだろうが、何故こんな奥まった場所へと向かうのか。


 結婚相手に納得は出来ていないものの、最早エマごとき成人したての娘が今更何を言ってもこの婚姻を覆すのは無駄だというのは分かっている。既に両家で取り交わした契約なのだから。

 無理やり自分の感情を押し殺して、父の命令に従うしかない。後は相手から暴力や虐待といったものを受けないようにと願うだけだ。


 それで、今日は顔合わせだけの筈が、父はどこかへ消え、自分1人取り残されたことに不安を感じる。いつ家に帰ればいいのか。馬車はまだ待っていてくれている筈だ。父を置いて先に帰ってしまってもいいのだろうか?

 碌に外出をしたことがないエマには何も分からなかった。

「侍女も控室で私を待ってるはずですし、こんな奥に進まれては咎められるのではありませんか?」

 エマの戸惑いと不安が混じった弱い声に、歩くスピードが落ちた。振り返ったレイエス男爵は何を今頃といった呆れた表情を浮かべていた。


「この先には、遠方からの客が宿泊するための施設が用意されている。私が向かっているのはそこだ。そこの一室を予約してある。確か、お前はエマと言ったな?エマ、お前の侍女はもうとっくにマクレーン家へと向かっている筈だぞ」

「どうしてですか?それでは私は帰れません」

 男爵の迷いのない返事にエマは納得出来る筈もなかった。

「必要がないだろう?お前はもう私のものとなったのだから」

 本気で意味が分からなかった。

「どういうことですか!?貴方とはまだ婚約も挙式も何もしていませんっ!」

 婚姻を結ぶとしても、まだ顔合わせをしただけだ。男爵は何を言っているのだろうか。

「挙式がしたいのなら後日させてやろう。そんな古びた白いドレスではなく、真新しく煌びやかな体に沿った素晴らしいドレスを」

 かあっと頬に熱が集まった。相手はエマが着ているドレスがお下がりの古いものだと気づいていたらしい。

「そういうことを言ってるのではなくてっ。私はマクレーン家へ帰ります」

「帰る必要はない。マクレーン家にお前の居場所は既に無いぞ。お前はここで儂と一晩過ごし、そのまま我がレイエス家へと向かうことになっているからだ」

 ・・・帰る必要がない?私にはもうマクレーン家へ帰ることすら出来ないの?


 足の下には床があるはずなのに、ずぶりと体が沈んだような感じを受けた。

「何、心配することは何もない。着替えの服も全て用意してある。今宵ここでお前を女にしてやる。儂の愛をたっぷりと注いで、な」

 レイエス男爵はにたにたと嫌な笑みを浮かべながら、その瞳は真っすぐ私へと向けられ好色さを滲ませている。おまけに掴まれている掌からはねっとりとした汗を感じて、エマは総毛だった。


***


 淑女に有るまじき疾走をして廊下までやってきたホノカは、きょろきょろと周りを見渡しながらアンナお義母さんと一緒に上がる息を整えていた。

 ヒールを履いて全力疾走なんて、疲れたっ。そんなことよりも、早くエマさんを見つけなきゃ。

 廊下や外へ向かう玄関まで見回したが、目的であるエマさんは全く見当たらなかった。

「いない」

 何処へ行っちゃったの?

 気持ちばかりが焦った。

 

 そんな慌てている様子の二人の姿は、廊下で警備をしていた騎士には何かが起きたものと思わせるには十分だった。

「どうかなさいましたか?って、ホノカさんと、シルヴィオ夫人?」

 足早に近寄ってきた騎士はホノカ達に声を掛けてきたが、途中から相手が知り合いだと気づくと声を裏返えした。

「あれ?ヨハンネスさん?どうしてここに?」

 近寄ってきたのは、セオドールと同じ近衛第一部隊に所属しているヨハンネスさんだった。以前ホノカ達がシシリアームにあるシルヴィオ家に向かう時に、護衛として就いてくれた騎士の1人だ。


「舞踏会警備の任務です。って、あれ?セオドールまで。ええっ、レナート室長に、アルベルト副室長まで、って、うわっ、ク、ク、クロード宰相!?」

 次々に走って現れたセオドール達の姿を見て、順にいちいち驚いていくヨハンネスさんを見ているとなんだか面白かったが、笑ってる場合じゃないと気を引き締めた。

「ね、ヨハンネスさん、私と同じ位の年齢の白いドレスを着た女の子と、年配の男の人二人を知らない?」

 廊下にいたのなら知っているはず!お願い当たって! 

「えっ?ああ、知ってますよ。ついさっきまでここに立っていた人たちですよね?」

 ビンゴ!知ってた!

「そう、その人達!その人達が何処に行ったのか分かりませんか!?」

 詰め寄るようにして質問をした私に、ヨハンネスさんは驚いたのか仰け反った。

「男が1人玄関を出て行ったのと、残りの二人は向こうへと歩いて行きました」

 私の勢いにしどろもどろになりながらヨハンネスさんが二人が歩いて行ったと指さしたのは、玄関とは反対の方向だった。

「じゃあ、エロ禿げ親父は大人しく帰ったのね?今日は顔だけ見る予定だったのかしら?」

 至極真面目な顔をしてアンナお義母さんは呟いた。


 ・・・エロ禿げ親父。 

「ぷっ。・・・失礼しました」

 これ以上ない程端的すぎる、ぴったり過ぎるあだ名だと、ホノカ以外にも全員が笑いを堪えているのが見えた。

 それならそうと、次の手を考えなくてはとぶつぶつ呟くアンナお義母さんに、ヨハンネスさんはぷっと堪えきれず笑った。覚えていた特徴ある男の頭を思い出したのだろう。が、夫人を前に失礼に当たると慌てて顔を引き締めた。

「いえ、玄関から出て行かれた男の人は、禿げておられませんでした。向こうに行かれた方がそのお方かと」

「何てことっ!クズだわっ、予想以上にクズだわっ。あのロリコン禿げクソ親父っ」

 あだ名が進化した。

「ヤバいな、それは・・・」

「ホノカさんの予感が当たったみたいですね」

 レナート兄さんに続き、セオドールまでもが揃って最悪の事態だという暗い表情をしていた。


「エマさんと、相手の男爵があっちに?向こうは何があるの?」

 城の内部構造に詳しくないホノカは、理由が分からずセオドールに質問をした。

「遠方からの招待客のお客様などが使用される客室があります」

「ええっ!?客室!?そんなところにエマさんと男爵が一緒に行ったの!?」

 何をするつもりなのか容易に想像がついた。

「急がなきゃ!」

 

 廊下をまた走り始めたホノカ達一行にヨハンネスさんや、途中警備に就いていた騎士も数人加わった。



「離して下さいっ!」


 後突き当りを曲がれば客室という場所まで来たところで、曲がり角から若い女の悲鳴が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声は、エマさんの声に違いなかった。

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