伝わらぬなら溶けてしまえ
なにをするにもまず形から。
調理実習でしか出番のなかったエプロンを身に着ける。着た回数も少ないせいか上手くなじまない。鏡をみればきっと不格好な自分が映るだろう。それでも構うものか。…いや、だからこそ意味があるというもの。
棚から買っておいたチョコレートを取り出す。板じゃなくてチップになっているやつ。これなら刻む手間も省けて溶けるのも早い、とお菓子作りが好きな友人は言っていた。それと、
「作るんだったらケーキとか、クッキーとかにしときなよ。間違っても溶かして固めるだけにしよ~なんて考えちゃだめだからね」
お菓子に詳しくない私は首をひねったら呆れたように色々なことを丁寧に教えてくれた。溶かして固める。一見一番簡単そうに見えるこれが一番難しいらしい。テンパリング…とやらをしなきゃいけないんだと。何語だ。フランス語だ。と即答された。
ミルクのチョコは湯銭で45~50度に溶かし、冷水の入ったボールに当てながら28度まで落とす。そして、湯銭につけて30度まで上げれば完了。
簡単じゃないか。その話を聞いた時の私はそう思った。そこになんの理論があるかは知らないがただ温度を上げたり下げたりすればいいだけだと。
「うわぁ…」
言われた通りにした。温度計を刺しながらちゃんとやったはずだ。けれども、目の前に固まったチョコレートは白い斑点がびっしり。とても綺麗とは言えない。…これが……ブルームってやつか。
温度計を刺しながらやったとしても、表面、中心、そして湯銭または冷水に一番近い底の部分では温度が微妙に違う。きちんと混ぜないとチョコの中で温度差が出来て、正しくテンパリングができないのだと言っていた。温度計の数字に頼るのではなく感覚の問題だと。素人にはとても出来ることではないと、止められたのだ。
それを聞いたとき私はなんて素晴らしく今回渡すものに適してるんだろう、と思った。手間がかかっていないように見えて実はとんでもないくらいかかっている。それこそが私の求めた品だった。
難しいことは百も承知。一回の失敗など気にしない。私はショコラティエになりたいわけじゃない。たった一度奇跡でもいいから形になるものが作りたいだけだ。
そうして作られたチョコを受け取った彼はきっと笑うだろう。
「溶かして固めただけじゃん」
そう。それでいいの。ただの手抜きだって思ってくれていい。私もその体で渡して、いつもみたいに頑張ったもん。って頬を膨らませるから、笑いながら頭を撫でてあやしてほしい。
私の努力も気持ちも何も気づかないまま口に入れてしまえばいい。言葉にしないから伝わらない。けれど、こめられたものは彼の体に溶けてゆく。そう考えるだけで堪らない気持ちになる。もう自分のものにはならないって分かってるから諦める代わりに最後に少しくらい私の我儘受け取ってよ。いいでしょ、ねぇ、お兄ちゃん