1章⑩
「よーしお前らー。チューニングは出来たかー?」
「はい」
「……」
「ん?どうした土田?」
「土田ー?」
「……」
「無視されると先輩泣いちゃうよー?」
「……」
「よし!泣こう!」
「男の涙は気持ち悪いだけですよ先輩」
「聞こえてたんかい!じゃあ返事しろよ!」
「すいません、ちょっとぼーっとしてました」
最後の方はわざとだけどね。
「…まあいい、準備はいいな?」
「大丈夫です」
チューニングはバッチリだ。
「よし!じゃあ今日は基礎練をガンガンやってくぞ!まずはロングトーンからな」
ロングトーンとは、音を一定の時間、一定の音量で真っ直ぐに伸ばす、音楽における最も基本的な練習だ。なんか俺すこい説明口調だな。
「じゃあ今回は8拍伸ばして4拍休みな。テンポは60だ」
先輩がメトロノームを準備しながら言う。
またまた解説入りまーす!テンポが60とは、1秒に1拍(つまり1分間に60拍)刻むということで、今回のロングトーンは8拍、つまり8秒間音を出して4拍、つまり4秒間休む、という練習になっている。長々とごめんね!眠くならないでね!
…俺、誰に向かって説明してるんだ…?
「じゃあいくぞー?1、2、3…」
先輩の合図に従い一斉に音を鳴らす。
ん…やっぱり8拍はつらいな…息がなかなか持たないぞ。
おぉ、きつい…4拍休みだけではなかなか…
もうちょい、もうちょいで終わる…
「…っはい!お疲れー」
「ぷはぁっ!」
先輩の終了の掛け声とともに楽器から口を離し脱力する。ふへぇ…一回で結構疲れるな。
横の成瀬さんの様子を伺うと全く疲れの色を見せていなかった。やっぱりレベルが違うなー。
「ふむふむ。もうちょい音程は合わせたいところだな。あと土田、苦しいのは分かるがなるべく最後まで一定の音量で音のばせよー」
「はい…いやぁなかなかキツいですね」
「まあ、分かるがな。成瀬はさっきのロングトーンどう思った?」
そう成瀬さんに話をふる先輩。1学期は中々話さない成瀬さん、その彼女に対し挙動不振な俺という構図のせいか、こういう指摘は全て先輩発信だったが2学期からはみんなから意見を聞くようにしたのかな?
「そうですね。まず、村山先輩は音の出だしが少し雑な様に感じました。もう少し息の入れ方などを気をつけるといいかもしれません」
「ほーん。なるほどな…次は気をつけてみるよ」
指摘に得心したように頷く先輩。よく先輩の音を聴いてるな。俺なんか自分が音を出すことに精一杯なのに。
「はい。お願いします。で、土田君だけど」
「え…お、俺?」
俺にも何かアドバイスくれるのかな。
「全然ダメね」
「指摘が適当な上に一番心に刺さるやつ!」
あまりに唐突に心をえぐりにきたもんだから、勢いあまってツッコミ入れちゃったよ!
しかし彼女は至って真面目な顔で俺を見ている。先輩は苦笑いしていた。
「えっと…どこが悪かったのかな…」
この後どんなことを言われるのかと戦々恐々としながらも、聞かないわけにはいかないよな。
「あなた、ロングトーンしてる時に何を考えてる?」
「え?」
成瀬から発せられたのが、指摘ではなく質問であったため少し面食らってしまう。
「どう?」
「いや、うーん…特に何も考えてないけど…」
しいて言うならはやく終わって欲しいなー的なことは考えてたけど…
「やっぱり…それじゃあ練習にならないのよ」
「えっ」
「ちなみにロングトーンの間、私や村山先輩の音聞こえてなかったでしょう?」
「……」
正直な話、音を出すことに精一杯で周りの音なんて気にしてなかった。そう答えることが恥ずかしく黙ってしまう。
沈黙を肯定と受けとったのか、そのまま続ける成瀬さん。
「あのね。音楽っていうのは、ソロなどの例外を除いて、みんなで合わせることが特に重要になるの。みんなと音を重ね合わせることでいい音楽になるの」
さっきの村山先輩と同じことを言う。頷いて先を促す。
「じゃあ、その一緒に演奏している人たちの中に周りの音を聴かず、自分本位の演奏をする人がいたらどうなるかしら?」
「…いい音楽にならない?」
「そういうこと。…でも、みんなと合わせるのは簡単なことじゃないわ。特に本番なんて、緊張もしてるだろうし、普段より周りが見えなくなってもおかしくない。だから本番でもいい演奏が出来るように、普段の練習から意識していかないといけない」
「意識?」
「自分の今の音はどう?周りと音程は合っている?音の出だしは揃ってた?音量は?音を出すごとに常に色んなことを意識しながら、考えながら練習する。練習でそういう意識付けをしておけば本番で緊張していても無意識的に周りに合わせられるようになると思う」
成る程と思った。確かにさっきのロングトーンで俺は息が苦しいとか、はやく終わらないかとかばかりで、自分の音はどうか、周りの音はどうかというところに全く意識が向いていなかった。だからさっきのはただ音が出ていただけで練習には全くなっていなかったんだな…
「…成る程な!いやぁ土田!すごくいい勉強になったな!」
「…そうですね」
「よし!じゃあ今度はちゃんと意識しながら練習してくぞ!」
「…はい」
この重い空気をフォローしてくれようとしたのか、先輩が努めて明るく振る舞ってくれたが、俺はそれに上手く返すことが出来ず、今日の練習は少し暗い雰囲気の中過ぎていくのであった。




