1章⑨
世界よ。我を見放したのか。
あまりにタイミングの悪い成瀬さんの登場に世界を呪う俺。
当の彼女も入り口で固まっていらっしゃる。
「お、おう成瀬遅かったな」
「…すいません先輩。少し用事がありまして」
「そうか、じゃあ、まあ、とりあえず全員揃ったし行くか!」
先輩が若干引きつった顔で場をとりなしてくれた。成瀬さんも今のは見なかったことにしたようだ。ありがたいけど、いたたまれない…
練習場所に行く最中、先輩は申し訳ないとアイコンタクトを送ってきたが俺はそれに苦笑いしか返すことが出来なかった。終わったかなぁ俺の高校生活…
「土田にはさっき言ったが、今日は30分くらい音出ししてからみんなで基礎練をしよう!」
練習場所である教室に到着し荷物を落ちつけた矢先、先輩が仕切り直すようにそう宣った。
「……」
「……」
成瀬さんと俺、どちらも無言で返す。
「今日はまだやる曲も決まってないからな!いい機会だし!」
「……」
「……」
尚も無言。
「二人ともわ、分かったかな〜?」
「…了解しました。個人練に入ります」
そう言って成瀬さんは個人練をするために俺たちから少し離れた定位置に陣取り楽器を鳴らし始めた。
それを見届け俺は緊張を解く。練習始まったばっかなのにもう帰りたいほど疲れた…
「いや、さっきは悪かったな土田」
俺の方に近寄って来て謝ってくる先輩。
「いやあれは誰が悪いとかじゃないですから。強いていえば神様を殴りとばしたいです」
「神様も悪くないからね!?」
あんなタイミングで成瀬さんが入ってくるなんて神様が俺をおちょくってるに違いない。
「まあやってしまったものは仕方ないですからね。後で謝ろうと思います」
「そうしてくれ。まあ大したことでもないし大丈夫だろ。あの静かな感じはいつも通りっちゃいつも通りだし」
そう言いながら成瀬さんの様子を探っている先輩にならい、俺も彼女を観察する。
「確かにそうですね」
見えるのは後ろ姿のみだから表情は読み取れないが、普段と変わらないように見える。
「まああんまり気にしすぎもよくないからな。練習しよう練習!」
若干誰のせいだと思わないでもなかったが、素直に頷き俺と先輩も定位置につき個人練を開始することにした。
…うん。なかなか悪くないんじゃないの?
俺は一人壁に向かい、音を出しつつ自分の音をそう評価した。楽器を鳴らすのは少し久しぶりになるがそこそこ自分の音に手応えを感じる。二日楽器に触らなければ技術が衰えるなんて言われることもあるみたいだけど…そこまで酷くもないだろう。まあ俺今年の四月から始めたど素人なんですけどね!
「よし、じゃあみんなで合わせるぞ!チューニングしておけよ!」
と、個人練に精を出していると先輩から個人練終了の合図が出される。もうそんな時間か。
俺はいそいそとチューナーを取り出しチューニングを始める。チューニングというのは合奏などの時に音の高さの基準を合わせる作業である。みんながみんな違った基準で音を鳴らしたら同じドの音を出しても音が合わなくてぐちゃぐちゃになるため、絶対にやらなくてはいけないことである。
「ねえ…」
「!?ど、どうしたの成瀬さん?」
とその時、背後から成瀬さんに声をかけられた。さっきあんなことがあった手前話しかけられるとは思っていなかった俺は予想以上に大げさな反応をしてしまった。どうしたんだ?
「その、チューナーを貸してくれないかしら?今日家に忘れてしまって」
「そ、そうなの?分かった、じゃあ持ってるから先に合わせちゃって」
そう言いながら彼女の楽器の前にチューナーを掲げる。若干気まずそうにしながらもチューニングし始める姿を見て少し安心する。さっきのことで怒ったりはしてなさそうだ。
彼女のチューニングが終わるまでチューナーを掲げつつ彼女の音を聴く。やっぱり綺麗な音してるよな…音がそのまま本人を表してるようだ。声に出して言ったらひかれそうなことを考えながら物思いに耽る。
「…うん。終わったわ、ありがとう」
「……」
「?どうしたの?」
「…やっぱり綺麗だな…」
「!?」
「え?な、なに?」
成瀬さんが急に驚いた顔をするのでびっくりしてそう尋ねた。
「い、今、綺麗って」
「ぅえ!?俺声に出してた?」
俺独り言言ってた!?
「いや!今のは、成瀬さんのサックスの音が凄く綺麗だなって!決して成瀬さん自身に言った訳ではなく!あ!でも成瀬さんが綺麗じゃないって訳じゃないんだよ!?そうじゃなくて!あの!」
「…プッ、アハハハ!」
俺がしどろもどろになりつつ必死に弁明していると、何がおかしいのか成瀬さんは耐えきれなくなったかのように吹き出した。ヤベェ、またやっちゃった…?ていうか彼女がこんなに笑ってるの初めて見た。
俺が若干現実逃避しながら冷静にそう分析していると、
ニコッ
「…ッ」
花が咲いたような可憐な笑みを浮かべ。
「そう…ありがとう」
俺にそう笑いかけた。
「じゃあ先輩も待ってるしいきましょう」
不覚にもその笑顔に見惚れてしまった俺は、すこしの間動くことが出来なかった。




