自転車
フェアリーが来てから1ヶ月経った。
あの日以来、フェアリーは僕の寝室によく来るようになり、
いつしか僕のベッドの上で30分ぐらい、ゴロゴロ寝ころんで
僕としゃべってから自分の部屋に行くのが習慣になった。
ある夜、フェアリーがこう聞いてきた。
「旦那様、ガレージの車って旦那様のものですか?」
「そりゃそうだろ。MINIだよ。それもミニクーパー。」と僕。
「でも運転してるの見たことないですよ」
「確かに全然動かしてないね」
「動くんですか?」
「動くよ、そりゃ。でも何で?」
「ホコリを被っているんで、どうかなと思ったんです。
ガレージから出していただければ、洗えるんですけどね。
ガレージの中も掃除したいんです。」
「わかった。明日出しておくよ。」
書庫のガラクタもほとんどなくなっていた。
次のターゲットはガレージらしい。
翌朝、車を出すと、フェアリーはほうきとチリトリを
持っていそいそとガレージの中の掃除を始めた。
そして昼前には「車を戻していただけますか?」と呼びに来た。
「へぇ、新車みたいにピカピカになったねぇ」と声を掛けると。
「そうでしょう。へへへ」と自慢げだ。
「この車、カワイイですよねぇ」と撫ぜている。
「明日、ドライブに行こうか。」と言うと
「本当ですか?」と喜んだ。
「どこか行きたいとこある?」
「富士山!」
その反応の速さに驚いた。
「そんなに富士山がいいの?もっとオシャレなところじゃなくて?」
「私、まだ見たことがないんです、富士山」
「じゃあ富士山ね。明日朝から出かけよう」
「私、おにぎり作りますね。具は梅とおかかかなぁ。
おかずは卵焼きとウィンナーがいいですよね...」
『小学生の遠足かよ』と思ったけれど、楽しそうなフェアリーの
顔を見たらそんなこと言えなかった。
翌朝、目が覚めると五月晴れ。
キッチンではフェアリーが鼻歌交じりにおにぎりを作っていた。
準備ができていざ出発。
ところがフェアリーは助手席を倒して後の座席に座ろうとした。
「僕の隣は嫌なの?」
「いえ、そんなことないですよ」
「2ドアだから後ろに座るのは面倒だし狭いよ。」
「でも使用人が助手席っておかしいですよ。」
真顔でいうフェアリーに笑いが込み上げた。
「2人しか乗ってないのに助手席が空いているのはおかしいよ。
前に座りな。」
「それじゃあ、お言葉に甘えて。」
彼女はちょこんと助手席に座った。
中央道は渋滞もなくスムーズ。
大月JCTから河口湖に向かう途中、富士山が見えるたび
フェアリーは歓声をあげた。
河口湖の公園でベンチに座り、富士山を見ながらオニギリを食べる。
「富士山、きれいですね。」
「そうだね。おにぎりも外で食べるとおいしいね」
「私が作ったから、おいしいんですよ。」と胸を張る。
「そうだね、フェアリーのおかげだね。」
調子を合わせると嬉しそうに笑った。
「やっぱり車っていいなぁ。私もいつか自分の車、運転したいなぁ。」
「フェアリー、免許持ってるの?」
「いいえ、 だから『いつか』なんです。
それよりもまずは自転車です。」
「自転車?僕のがあるじゃない。」
「旦那様の自転車、カゴがついてなくて買い物に不便なんです。」
「リュック背負えばいいじゃない」
「ネギとかキャベツを背負って自転車乗りたくないです」
僕は背負ったリュックからネギが飛び出している彼女の姿を
想像して吹き出した。
「だからママチャリが欲しいんです。
今月のお給料で買うつもりなんですけど。」
「家事に必要なものだから、僕がお金だすよ。」
「自分で使うものだから、自分で買いたいんです。」
「ウーン」僕はうなった。
「どうしたんです?」
「かわいくて恰好いい自転車じゃないと困るなと思ってさ」
「なんで旦那様が『困る』んです?」
「だって、この車の横にママチャリは似合わないじゃない。
『あら森野さん、涼音ちゃんにあんな自転車しか買って
あげないなんてケチね』って近所で言われちゃう」
僕が隣の奥さんのマネをすると、フェアリーが笑った。
「旦那様、そんなこと気にするんですね。
でも私の予算、1万円ですよ」
「やっぱり。自転車があればフェアリーの家事もはかどるわけだし、
やっぱり僕が出すよ」
「それじゃあ、私の自転車になりません。
旦那様の自転車だと思って遠慮しながら乗るのは嫌です。」
「それじゃあ、こういうのはどう?
自転車のおかげでフェアリーの家事の効率があがるから
お給料を毎月3000円を上げる。でもそれは自転車の支払に
充てられる。これならフェアリーも気にならないんじゃない?」
「ウーン」今度はフェアリーがうなった。
「その前に私、旦那様にお願いがあります。」
「なんだい、お願いって?」
「旦那様、今日の服装をどう思ってますか?」
「へっ?」
僕の服装はジーンズにワークシャツ。普段通りだった。
「いつも通りだけど、これが何か?」
「『何か』って、私の服を見て思うことはありませんか?」
フェアリーは花柄のワンピース。
「いつも以上にかわいいし、似合ってる。」
一応、言葉に気を付けた。ところが
「そういうことじゃありません。
旦那様はよれよれのシャツにジーンズなのに、
私が新品のワンピースじゃあバランスが悪いってことです。
これじゃあ『森野さんのとこの涼音ちゃん、自分ばかりいい服着て』って、
ご近所で言われちゃいます。
今朝だってアイロンかけたポロシャツとチノパン、出したのに。
いつも私が用意した服を着ないのは、どうした訳ですか?」
僕は返答に困った。特別な理由はなかった。
しいて言えば面倒なのと照れ臭かっただけだ。
「これからはちゃんと私が用意する服に着替えてください。
旦那様の新しい服は私も一緒に選びます。
そうしていただけるなら私も自転車については旦那様の
おっしゃっていることを聞きます。」
僕は何だか損した気がした。
でもフェアリーの意見に従っても別に悪いことはなさそうだ。
「わかった。これからはきちんと着替えるよ。」
それを聞いて、フェアリーはニッコリ笑った。
数日後、僕のミニクーパーの隣にはルイガノのミニベロが
置かれるようになり、僕は「最近、オシャレになったんじゃない?」と
言われるようになった。