生立ち
ある風の強い日、昼食を食べながらフェアリーがこう言った。
「裏の樹の枝、切っちゃいますね。窓にぶつかりそうなんです。」
「僕がやるよ」
「私一人で大丈夫ですよ。」
書斎に戻ると、フェアリーが脚立を運ぶ音が聞こえた。
それからすぐに枝を切る音が聞こえた。
ところが突然「キャー」という叫び声と何かが倒れる音がした。
慌てて裏に出ると、フェアリーが左肩のあたりを押えて、
木の根元に座りこんでいた。脚立ごと倒れて背中の左側をぶつけたという。
「大丈夫です。」と言うフェアリーを抱えて家に入る。
「湿布貼ってあげるから、シャツを脱いでいて。」
「大丈夫です。一人でできます。」
と言うフェアリーを、僕はリビングの床に座らせた。
「自分じゃ手が届かないよ。背中なんだし。」
そういい残して、タオルを取りに浴室に走った。
タオルを持って戻ってきたとき、やっと気がついた。
フェアリーが女の子だということをすっかり忘れていた。
Tシャツを脱いだ、小さな背中震えていた。
「湿布出すから、ちょっと待ってね」
そう声を掛け湿布薬を探しながら、自分を落ち着かせようとした。
湿布薬を持って改めて彼女を見る。
細いうなじ、滑らかな肌、胸のふくらみもすぐそこにある。
彼女は背中を丸め、目を固く閉じ、顔を両膝の間に入れて硬く
なっていた。自分で両肩を抱え、その指は肌が凹むくらい力をいれている。
肩甲骨の下に内出血で紫色になってところを見つけて、
僕はむしろほっとした。タオルでそっと拭き、湿布薬を慎重に貼り、
肩に僕の着ていたパーカーをかけた。
そして彼女に背中を向けてから「終わったよ」と声をかけた。
背中越しにフェアリーが少しずつ硬くなった体を解いていくのが分かった。
「ゴメン。慌てていたもんだから」
「いえ...。」
それだけ言って彼女は自分の部屋に上がっていった。
夕食のときもフェアリーは無言だった。気まずいまま夜となった。
寝室で僕は後悔していた。フェアリーの機嫌をよくするには
どうすればいいのか、そんなことばかりを考えていた。
11時過ぎフェアリーが寝室をノックした。そんなこと初めてだった。
「旦那様、今よろしいですか?」
部屋に入れると、暗い表情でベッドに腰掛けた。
「昼間は申し訳ありませんでした。」
「こっちこそゴメンね。気が回らなくて」
「私、変ですよね?」
「何が?」
「いくらなんでも過剰反応ですよね」
「そんなことないよ。若い女の子ってそうじゃない。
僕のほうこそ、無神経だったと反省してるよ」
僕は軽く受け流そうとした。
「ありがとうございます。
でも旦那様に聞いていただきたいことがあるんです。」
そういって一呼吸置くと「私、孤児なんです。」
フェアリーはポツリポツリと話し始めた。
「施設の前に捨てられていたそうです。実の親は分かりません。
鈴を持っていたので『涼音』と付けたと聞きましたが、
その鈴も見たことありません。
最初の家に引き取られたのは2歳でした。
小さくてよく覚えていません。
覚えているのは、お父さんもお母さんもいつもニコニコしていたことだけです。
とにかく暑い家で、私は家の中ではいつでも裸でした。
それに写真を撮るのが好きでした。私は言われるままに色んなポーズをしました。
ポーズをとるたびに二人ともとても喜んでくれて、それが嬉しかったんです。
子供はみんな、そうしているものだと思っていました。
学校で先生に裸で写真を撮られたという話をしたのも、
お父さんにもお母さんにもすごく喜んでもらえたと
自慢したかったからでした。
でも、それから何日かして家に知らない人たちが大勢来ました。
先生も一緒に入ってきて『ツラかったでしょう。もう大丈夫
だからね。』って私を抱きしめました。お父さんとお母さんは
その人たちに連れていかれました。『私も連れてって』と叫びました。
その時、いつもニコニコしていた二人にすごく恐い顔で睨み付けられました。
すぐに私は施設に戻されました。だれも教えてくれませんが、
あの両親は私の裸の写真を売ってんだろうと今では思います。」
「次に引き取られたのは小学校2年の時です。
50代後半のご夫婦でした。厳しい両親で父親は合気道の師範でした。
私は簡単にいえば給料を出さない従業員です。
家事全般が私の担当でした。
朝は5時に起き、朝ご飯の準備。合気道の稽古してから、
食事、洗濯、掃除。急いで学校に行って、
帰ったら台所の洗い物を片づけ、洗濯ものを取り込み、
晩御飯を用意して片づけ、明日の準備という忙しい毎日でした。
お友達と遊べなかったのは寂しかったです。
でもこうして家政婦やれるのも、そのお蔭ですから、
悪いことばかりじゃないですよね。
合気道も初段までいったんですよ。
でも私が中学に入ると近くに大きな店ができてお客さんが減りました。
そのうち父親が病気で亡くなって、お店も閉めて。
私はまた施設に戻りました。」
「最後に引き取られたのは中学3年のはじめです。
それまでに比べると裕福なお家で3歳上のお兄さんもいました。
私の部屋も用意してくれました。高校にも行きましたし、
大学にもいく予定でした。
去年12月、お母さんが用事で帰ってこない日がありました。
着替えようとしたら、タンスの上に知らないフィギュアを見つけました。
お兄さんのものだろうと思って部屋に持っていきました。
その部屋に行ったのは初めてでした。
『中に入ってこいよ』
そう言われてお兄さんの部屋に入りました。部屋の中には
胸の大きな女の子のフィギュアがたくさん並べられていて...
私、気味が悪くなってすぐに出ようとしました。
そうしたら『待てよ』って何かを投げつけられました。
私が学校で着ていた水着でした。
『部屋で脱がないんだったら、ここで脱いで見せてくれよ。』
ニヤニヤ笑っていました。
私、部屋を飛び出して、リビングにいた父親に助けを求めました。
でも父親は『ふーん、そうか』というだけでした。
それから私を身体をネットリと見ながら
『まだだと思っていたが、もうそろそろいいかな』
ってニヤりと笑うと私に抱きついてきました。
私は必死にもがいて抜け出して、自分の部屋に逃げ込みました
鍵を閉め、ドアの前に家具を重ねて入れないようにして、
早く朝が明けるのをずっと待っていました。
私は『これは悪夢だ。』ってそう思い込もうとしました。
『朝になれば、お母さんが帰ってくれば元に戻る』って。
お母さんの声がドアの外からしたのは10時過ぎだったと思います。
それでドアを開けて、部屋を出ました。
母の後ろには父も兄もいました。
でも母がいるからと安心していました。
でも違ったんです。
母はいきなり私の頬を平手で打ちしました。それでこう言ったんです
『悪い子ね。どっちが先でもいいから、早く済ませてしまいなさい。
それくらいのことで困らせないで』
その後のことはよく覚えていません。
母も父も兄もみんな突き飛ばして、必死にもがいて、叫びながら、
走ったような気がします。気が付いたら施設の前に立っていました。
2日後、私の荷物が届けられ、養子縁組が解消されました。
私が暴力をふるった言っていたそうです。」
「そんなことがあって、お風呂や部屋の鍵とか、とにかく
気になってしまうんです。すごく怖いんです。
別に旦那様のこと信用していないってことじゃないんです。
気になるかもしれませんが許してください。
これまで秘密にしていて申し訳ありませんでした。」
ゆっくり立ち上ったフェアリーに僕は声をかけた。
「ねぇフェアリー。妖精ってどうやって産まれるか知ってる?」
彼女は少し驚いたように振り返り、首を横に振った。
「妖精にも男と女がいるんだよ。
男の子のほうは女の妖精が一人で産めるんだって。
でも女の子は男の妖精と女の妖精が花に想いを込めると
その花から産まれるんだって。
フェアリーはお父さんとお母さんの妖精がスズランの花に
想いを込めたんじゃないかな。」
彼女は微笑んだ。
「ありがとうございます。
旦那様がそこまでメルヘンな人だとは知りませんでした。
おやすみなさい」
軽く頭を下げて、彼女は自分の部屋へ戻って行った。
僕はさっきまで彼女が座っていたシーツのゆがみに手を伸ばした。
そこにはまだ彼女の体温が残っていた。
僕はそこから手を動かすことができなかった。