色紙
1週間後、書庫の前を通りかかるとフェアリーが
僕が以前使っていたカバンを熱心に撮影をしていた。
オークションに出すのだと言う。
「そんなもの売れるの?」僕が聞くと、
「売れますよ。」彼女は自信たっぷりに答えた。
「でも大分、痛んでるよ」
「一応ブランド品ですから。安くすれば買い手がつきますよ。」
「それじゃあ儲からないんじゃない?」
「別に儲けようと思ってません。
自分よりも大切にしてくれる人がいるなら、その人に
あげたほうがいいじゃありませんか。」
「なるほどねぇ。」
書庫の不用品の山も半分ぐらいに減っていた。
「全部は無理ですけど。本なんかは確実に売れます。
古着もそこそこ行けますよ。」
「そういえばサイン本もあるよ。あれは高く売れるんじゃない?」
「旦那様の名前も入ってますか?」
「うん、『森野さんへ』って書かれてる。」
「それだと厳しいですね。サインごと削ったほうがいいかも。」
「なぜ?せっかくのサインなのに。」
「作家さんだけだといいんですけど。
他の人のものはいらないってことじゃないですか?」
「なるほどねぇ。じゃあウチのお宝は大丈夫かな。」
「お宝?」
「漫画家の江川先生のサイン。
子供の頃、雑誌の懸賞であたったんだ。
結局それがきっかけで今の仕事しているようなものなんだ。」
「へぇ、それはスゴいですね。」
口ではそういったものの、すぐに撮影に戻ったところを見ると
関心はないようだ。
「子供部屋にあったはずなんだけどなぁ。」
僕はガラクタの山から色紙を入れていた額を見つけた。
でも肝心の中身がない。
「フェアリー、この中身知らない?」
フェアリーは振り返って、怪訝そうな顔をした。
「知りません。」
「フェアリー、悪いけどちゃんと見れくれない?
君にとっては、どうでもいいものかもしれないけど、
僕にはとっては、大切な思い出なんだ」
フェアリーは作業を邪魔されたのが不服だったのか少し怒っていた。
「ちゃんと見ました。
確かにその額は子供部屋の奥にありました。
でもそのときから中身はありませんでした。」
「そんなはずはないよ。入れっぱなしで出したことないんだから。」
「でも本当に中身がなかったんです。」
僕は一呼吸おいた。。
「フェアリー、間違って捨ててしまったんなら仕方がない。
それで怒ったりはしないから正直にいってごらん。」
「私は本当のことしか言ってません。」
「じゃあ、なんで色紙がないんだよ。」
「知りませんよ。そんなに大切なものだったら、
なぜご自分の部屋においておかないんですか?」
確かにその通りだった。でも僕はそれを認める余裕はなかった。
「うるさい。」
僕は怒って書斎に戻った。イライラして何もやる気がおきなかった。
そこへ佐藤から電話が入った。
「よぉ、元気か?
涼音ちゃんはどうしてる?」
「今、ちょうどケンカしてるとこ。」
佐藤は苦笑したが、まったく気にする様子もなく話を続けた。
「お前の持ってる江川先生のサインなんだけどさ。
譲ってくれないかな。先生、懐かしいって大喜びでさ。
新しいサインと交換してくれないかって言ってるんだ」
これほど間の悪いことはない...僕は頭が痛くなった。
「それさぁ、色紙なくなちゃったみたいなんだよね」
「『なくなった』ってどういうこと?お前、2枚持ってたの?」
「何言ってるんだよ、そんなわけないだろ。」
「だけどお前のサイン、俺が持ってるぜ。」
「えっ?」
「ほら先月、お前の家でサインも見せてもらって。
それで今度、江口先生に会うからって貸してもらったじゃないか。
あの時、お前、仕事がテンパっていて覚えてないかもしれないけど...」
僕はそこまで言われて気が付いた。冷たい汗が落ちていく。
イライラしながら仕事をこなしている時、
佐藤が「じゃあ借りてくぞ」と声をかけられたんだった。
僕は慌てて二階に駆け上がり、フェアリーの部屋のドアを叩いた。
「フェアリー?フェアリー!」
中で鍵を開ける音がした。僕はゆっくりドアを開けた。
フェアリーは僕に背中を向け、床に座って荷造りしていた。
「あと30分、いえ15分待ってください。そうしたら出ていきますから」
涙声だった。背中がかすかに震えているのがわかった。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。」
僕は土下座していた。
「僕の勘違いでした。本当にごめんなさい。
謝って済むことじゃないと思うけど、
出ていくなんて言わないで。 」
必死だった。このまま出て行かせてしまったら、間抜けな
勘違いで彼女を傷つけてしまった自分を一生許せない気がした。
「本当にごめんなさい。」
何度も繰り返した。
「もういいですよ。」
フェアリーは目に涙を浮かべてはいたけれど微笑んでいた。
「ありがとうございます。
謝っていただいて本当にうれしいです。」
涙を拭きながらフェアリーは会社を首になった事件のことを話し始めた。
「あの日、キッチンに入ったときにはテーブルの上に財布がありました。
不用心だなとは思ったんですが、そのままにしていました。
そこへまだ小さい坊ちゃんがやってきて、その財布を持って行きました。
そういう家なんだと納得してたんです。
ですから『お財布をどこにやったの』と聞かれたときも
『坊ちゃんが持っていかれましたよ』と普通に答えました。
ところが『あんな小さな子が勝手に持っていくはずがない』
『あなたが盗んだんでしょう。』と奥様が怒りはじめました。
御主人も『正直に言えば今回だけは見逃してやる』って言って。
私が何を言っても納得してもらえませんした。
バッグの中を全部見せても信じてもらえませんでした。
そこに坊ちゃんが帰ってきました。財布も持っていました。
ところが奥様もご主人も謝ってくれませんでした。
今度は『持っていくのを止めなかったんだ』と怒りだして、
『お金が少なくなっている』とまで言われました。
そのうち、ご主人が会社に連絡したようです。
私が財布からお金を盗んで、それをごまかすために坊ちゃんに
財布を渡したんだって、『お前の会社は泥棒を送ってくるのか』って。
会社も私のことを信じてくれなくって。」
フェアリーは上を向いて涙を拭いた。
「旦那様も、そんな人なんだ、そう思って。
それで出ていこうとしてたんです。
でもそんな人じゃなくて本当によかった。
素直に間違いを認めてくれて本当によかった。
住んでるとこなくなるって言うのに、なんだか偉そうですね、私。」
彼女涙を残したまま、かすかに笑った。
「じゃあ私、買い物に行ってきます。」
フェアリーは立ち上がり部屋を出て行った。
彼女が洗面台で顔を洗い、玄関から出ていく足音を
僕は座り込んだまま聞いていた。
「本当によかった」ほっとして力が抜けた。
でもまだ謝り足りない気がしてきた。
僕は書斎に戻り、机に向かった。
「フェアリー、ちょっと来てもらえる?」
1時間ほどして帰ってきたフェアリーに僕は声を掛けた。
「旦那様、その前にこれ」
やってきたフェアリーは封筒を僕に差し出した。
「これまでオークションの売り上げです。全部で8670円。
まだ品物がありますけど、とりあえずってことで」
と微笑んだ。
「いいよ。フェアリーがオークション出したんだから、
フェアリーのものだよ。」
「そんなわけにはいきません。処分したものはすべて
旦那様のものなんですから。」
彼女は聞かなかった。
「じゃあ、そのお金でどこか食べに行こうか?
豪華に芙蓉亭でフレンチとか。」
「それより、私、肉がいいです」
「肉?じゃあ焼肉食べ放題とかステーキとか?」
「ステーキがいいです。」
彼女は微笑んだ。
その顔を見て
「はい、これ」
色紙を渡した。
「何ですか?」
色紙を見た彼女の顔がみるみるほころんだ。
色紙の中央には髪をまとめた妖精。
手を腰に当て、ツンとして胸を張り、見下ろすような視線。
その足元には土下座した男の後ろ姿。
「フェアリー様、お願いです。ずっとこの家にいてください」
とセリフをつけた。
「私、こんなにエラそうでしたか?」
彼女は色紙を見ながら、同じポーズをとりながらつぶやいた。
「旦那様が描いてくれたんですか?」
「うん。だからもう許して。」
「本当にこの家にずっといてもいいですか?」
「もちろん。フェアリーが好きなだけ住んでいいよ。」
「ありがとうございます。」
走りかけたフェアリーの足が止まった。
「旦那様、ここに『涼音さんへ』って入れてください。」
「でも名前を書いたら売れないんじゃないの?」
「こんな大切なもの、だれにも売ったりしませんよ。」
僕が書き終ると、
「本当にありがとうございました。」
とお辞儀をして書斎を飛び出し、自分の部屋まで駆け上がった。
僕は佐藤に電話した。
「本当に助かった。ありがとう。恩に着るよ」
そういうと佐藤は戸惑っていた。
そして色紙を江口先生に渡してくれるように頼んだ。
「自分よりも大切にしてくれる人がいるなら、その人に
あげたほうがいいじゃないかと思ってさ。」
数日後、佐藤から江口先生の書斎の写真が届いた。
満足そうな江口先生のうしろにはうちにあった色紙が
立派な額に入って飾られていた。
あの日から、フェアリーの部屋を入った正面の壁には
あの妖精の色紙が飾られるようになった。