人形
次の月曜日は朝早くから電話が鳴った。
「武蔵野家政婦サービスです。」と中年の女性が名乗った。
急で申し訳ないが、今日のサービスはキャンセルさせてほしいという。
「先週の鈴木さんはどうしたんです?」僕が聞くと彼女は声を潜めた。
彼女は昨日、辞めされられたという。
「財布を盗んだんですよ」彼女は言った。
「奥様がテーブルに置きっ放しにしていたらしいんですけどね。
それが見当たらないって騒ぎになって、探したらあの子のバッグの
中にあったらしいんです。御主人は盗んだことを認めれば
今回は大目に見ると、おっしゃったそうなんですが、
認めないどころか、そこの坊ちゃんがやったって言い出して...」
会社の寮からも、今朝出て行った。行き先は分からないという。
あの日の涼音からは想像できなかった。
それに盗んだ財布を自分のバッグに入れたまま働くだろうか?
金だけ抜いて財布を戻したほうが利口じゃないだろうか?
釈然としないまま夜になった。
夜の10時過ぎ、電話が入った。
「森野さん?こちら吉祥寺駅前交番です。
鈴木涼音という女性、ご存じですか?」
僕は急いで交番に向かった。
交番では涼音がうつむいて座っていた。
彼女は僕に気が付くと一瞬、顔が明るくなった。
でもすぐに申し訳なさそうに下をむいた。
警官によれば駅前で大きなスポーツバッグを抱えている
ところを保護されたのだという。「大丈夫です」と言い張り、
質問しても何も答えず、困っていたところ、彼女のバッグの
中からウチの住所と電話番号が出てきたのだという。
「遠い親戚の子なんです。」
僕はとっさに嘘をついた。
「迎えにいく約束していたんですが僕が遅れてしまったので
怒っているんだと思います。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
何度も頭を下げて涼音と交番を後にした。
「お腹すいてない?」と聞くと、首を横に振った。
「僕の家に行こうか?」
彼女は少し考えて、小さく「お願いします。」と答えた。
帰り道、先週は残っていた桜も散っていた。
僕と彼女は重苦しい雰囲気のまま黙って歩いた。
家に着くと11時になっていた。
「何か飲む?」僕が聞くと
「すぐお休みになりますか?」と聞き返した。
「そうね、もう遅いから。」
「じゃあカモミール・ティーはいかがですか?」
「そんなのあったっけ?」
「私が用意してもよろしいですか?」
うなづくと、彼女はやかんを火に掛け、棚の奥からティーバッグを取り出した。
そういえばハーブティーの詰め合わせをもらったような気がしてきた。
彼女が手に持っているティーカップも、だれかからもらったよく覚えていない。
僕がびっくりしているのを見て、彼女はかすかに微笑んだようにも見えた。
お茶を飲みながら、彼女に提案した。
「今日はうちに泊まったら?
2階の僕のベッドで寝れば良いよ。」
「旦那様はどうするんですか?」
「僕は書斎のイスで寝るよ。」
寝室に連れて行くと、彼女は内側から鍵がかけられることを何度もチェックした。
そして「それでは一晩、お世話になります」
そういって頭を下げると中に入っていった。
さてどうしたものか。僕は悩んだ。
パーティーでの涼音の笑顔と今日の暗い顔が交互に浮かんだ。
電話で聞いた「財布を盗んだんですよ」という声が頭の中で響く。
彼女が行く場所がなくて困っているのは間違いないだろう。
といって、このままずっと家にいてもらうもどうだろう。
そんなこと考えているうちに、僕は眠ってしまったようだ。
目が覚めると7時過ぎ。明るくなっていた。
ダイニングに行くとテーブルには朝食が準備されていた
目玉焼き、キャペツの千切り、おひたし、味噌汁、漬物...。
「冷蔵庫にあったものを使わせていただきました。」
でも涼音はテーブルにつこうとしない。
「一緒に食べようよ。二人でいるのに一人では食べにくいよ。」
「ありがとうございます。」涼音がテーブルについた。
「久しぶりに朝食らしい朝食だ。」
僕の言葉に彼女は大きく微笑んだ。
食事後、後片付けを始めた涼音に僕は声をかけた。
「住む場所が見つかるまで、うちで家政婦やってくれないかな?
給料はあまり出せないから、食事だけ。他のことは構わないからさ。
君の分も一緒にね。もちろん食費は持つよ。」
「でも寝る場所はどうするんですか?」
「2階に昔の子供部屋が空いてるんだ。ベッドもある。
寝具は使っていない来客用を使えばいい。
大丈夫、鍵もちゃんとかかるよ。」
涼音をつれて2階に上がる。
山のように積まれたガラクタに涼音が眉をひそめた。
「この辺のものは全部、真ん中の書庫に移動するよ。
後でチェックして要らないものは捨てるからさ。」
そう言うと「移動だけなら私がしますよ。」と答えた。
そして僕のほうに向いてこういった。
「旦那様に1つ質問があります。」
「何だい?」
「私が会社を首になった理由はご存知ですか?」
「財布を盗んだというのは聞いた。」
「それでも私を家に入れようとするのはなぜですか?」
「一番の理由はその話は何かの間違いだと思うからかな。
僕が知っている君はかわいいフェアリーで、盗みをするような人間じゃない。」
彼女ははにかみながら微笑んだ。少し涙を浮かべたように見えた。
「ところで呼び名はどうしよう?
鈴木さんはいやでしょ?呼び捨ては偉そうだし、
涼音ちゃんていうのもちょっと苦手なんだ。
この前のパーティーの続きでフェアリーでもいいかな?」
「はい。よろしくお願いします。」
フェアリーはペコリお辞儀をすると、2階に駆け上がった。
まずシーツを洗濯機に入れ、布団を外に干した。
紙袋をいくつも用意して、ゴミと使えそうなものに選り分けていく。
ガラクタの山は次第に小さくなり、整理され隣の書庫に運ばれていく。
一杯になったゴミ袋がいくつも外に運ばれた。
僕はその手早さに驚いた。
それでも掃除機をかけ、ざっと拭き掃除もやり、干してあった
布団に洗濯したシーツをかけ、ベッドに敷かれたのは夕方になった。
それまでの間、フェアリーは昼に軽い食事休憩をしただけで、
パタパタと動き回っていた。
僕は夕食の用意を始めるというフェアリーを押しとどめた。
「初日だから奢るよ。昔からの洋食屋さんだから、それほど
ご馳走ってわけじゃないけどね。」
そう誘うと、フェアリーはニッコリ笑った。
食事の帰り道、フェアリーが雑貨屋さんを気にしている。
「いいよ」と僕が言うと「じゃあ、ちょっとだけ」と小走りに入った。
あちこち見て回っていたが、そのうち足が止まった。
彼女は陶器でできた妖精の人形を手にして眺めていた。
「買ってあげようか?」と声を掛けると驚いて振り返った。
「今日すごくがんばったから、そのご褒美。」
レジを済ませて袋を渡す。
「『ご褒美』って子供扱いですね。」
ちょっと不服そうだったが、喜んでいるのは一目瞭然だった。
「旦那様、空いている時間にパソコン貸していただけますか?」
フェアリーが聞いた。
「使っていないノートPCがあるから自由に使っていいよ。
でも何するの?」
「今日出てきた要らなくなったものをオークションに出そうかと。
そうしてもよろしいですか?」
「好きにしていいよ。へー、フェアリーはそんなこともできるんだ。」
「そうですよ。子供じゃありませんからね。」
そういってる辺りが、まだまだ子供だなと思った。
見える風景は昨日と何も変わらない。
でも桜の木に新しい葉っぱが出てきているのに気がついた。