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00:悪魔は人間の食を興ずる



 ケースに入れられ保存されているパソコン。それがあるのは、麻妃の部屋の中心にある、小さなテーブルの上だった。

 六畳の部屋は、主に白がベースにコーディネートされている。練色(ねりいろ)の壁に、無地の遮光カーテン。ベッドは桜色の生地に、苺の模様。枕カバーも同じだ。

 白色の机は大量の紙の束が置いてある。椅子には戦闘服である白衣に似たコートが掛けられていた。


 ケースごとパソコンを退けて、机の上に置く。

 どうぞ。と麻妃がクッションを出して誘導すると、アルトは黒いコートをはためかせながら、テーブルの前に何かを警戒しながらゆっくりと座った。

 麻妃も自分の分のクッションを敷いて、アルトの向かい側に座る。その顔は、自分の部屋にいる寛ぎに対しての笑顔はなく、場に似合わず強張っていた。


 ギスギスとした空気の中、話を切り出したのは麻妃だ。

「――――では、改めましてアルトさん。先程のお話の、続きを聞かせてください」

「……あー、でも、この話って結構に機密なんだけど」

「構いません。――話があまりにも大規模でしたら、上に報告はしますが、敵になるようなことはまずないでしょう。むしろ、味方になると思われます」

「なら、いい。分かった」

 アルトはふう、と息を吐く。部屋の中の空気は、会話をしても変わらない。


 麻妃は机の引き出しからガムを出して、口の中に放り込む。冷静になるための、薬である。勿論、ただの菓子にそんな効果はないが、麻妃はこれを食べている間は冷静であると言う、自己催眠(・・・・)をかけているのだ。効果は歴然。困惑の目から一転して、戦闘時の捕食者の鋭利な目へ変化する。

 アルトはと言えば、そんな麻妃の様子をスルーして、彼女の手元にあるガムを凝視している。獄界に、こんなものはない。未知の物に興味津々(きょうみしんしん)で、こちらも戦闘時のようにキラキラと目を輝かせている。


 さて、正反対な表情の二人だが。

 内心だけは、変わらず緊張を抱いていた。


 神隠しの森で出会った二人は、お互いに名を名乗った後現状把握することになった。切っ掛けは、麻妃が『どうして此処にいるのか』を訪ね、アルトが『知らない。気付いたらいた』と答えたことにより始まる。

 麻妃がそれに対してまた『どうして知らないのか』を聞き、アルトが『獄界で……』と話し出したからだ。


 事情を聴きたいと、自分の家に誘ったのは麻妃だ。家なら味方がいるため、負傷している自分がいても目の前の強力な人外を相手ができると思ったから。その誘いに、どうやら麻妃を気に入ったらしいアルトは二つ返事で受け入れた。

 そして、今はその会話のわずか二分後。麻妃の家と森は決して近くないが、人外の脚力を侮ってはいけない。その内の一人は、三百メートルを十四秒で駆け抜けるほどである。


 麻妃が、ガムを凝視するアルトに気付く。

()りますか?」

 ガムを差し出して麻妃が言うと、アルトはハッとし、何故か狼狽(うろた)える。

「いや……魔王子(まおうじ)である俺が人間ごときの食を楽しむのは…………だが、見たことないし………………でも……………………」

「要らないのですか?」

 再度麻妃が問うと、アルトは妙に期待を込めた目で差し出されたガムを見て、言う。

「――――――貰ってやっても、いいぞ?」

「…………………………」

「この俺が、貰ってやるんだぞ?」

 キラキラした目で見られた麻妃は、思案(しあん)する。言葉としては、こちらが無理矢理な感じもするが、ここで断ってもいけない気がする。どうしてかは、麻妃には理解できないが。

 高圧的な態度も気になるが、麻妃が大人しく譲歩して、静かにガムを渡した。ちなみに、麻妃が食べた味はオレンジ味で、渡したのは葡萄(ぶどう)味である。

 ガムを()むアルト。その様子を、麻妃は無言で(なが)めていた。が。そろそろ本題にいきたいところである。

「あの…………」

「う?」

 甘い味に満足したアルトの顔は、子供らしく可愛い。(ほそ)まっていた(あか)()は、今丸くなっていた。

「そろそろお話をしたいのですが――」

「! 分かってるし!」

「それなら、助かります。ガムはまだありますし、時間も限りないので味わいながらお聞きください。――貴方のお話は、取り敢えず後にします。まずは、こちらからお話させていただきますね」

 コクコクと頷くアルト。

 麻妃はどうしてか、小さな子供を相手している錯覚に(おちい)った。

「では、まず貴方の話したことについて、纏めます」


 アルトが麻妃と会い、如何(いか)な理由で此処にいるかの説明をしだし、一番初めに聞いた言葉は『獄界』。神隠しの森で出会った、人外の存在。それは、異形と戦った日に現れた。麻妃は戦闘後のアルトの笑みを思い浮かべる。


「貴方は自身の存在を人外と認め、また自身が悪魔であり異形であることを意見しました。出身地は獄界。貴方の父親である魔王が統治する、悪魔と亜種の世界であり、この世界と相対している異世界だと」


 そう、まるであの笑みは、悪魔のようで――

 全てが偶然だとは、言い難い。


 そもそも、あの時に姿を見せたアルトを仲間だと信じたのは、分かりやすい異形の存在があったからだ。


 一つ――――――『()(ろう)(かい)

 麻妃の所属している、攻撃専門のチームである。町に現れた異形の存在を()り、()って、その存在を目撃した人物がいれば、異能で記憶を消す。対応と後処理を求められる、最前線のメンバーが所属する。

 二つ――――――『(とう)(ろう)(かい)

 緋狼会が矛なら、搭楼会は盾。情報・研究専門のチームである。いち早く異形の場所を突き止め、緋狼会に伝達する。また、異形の大きな死体から、異形の弱点や特化性を掴み、攻撃に使える劇薬などを制作している。先程、麻妃が相手をした異形の死体も、搭楼会に連絡して既に運ばれていて、瑞貴の記憶操作は緋狼会の先輩たちに任せていた。


 本来なら、先輩に仕事を押し付けるなど有り得ない。だが、それが許されたのは、目の前の少年――アルトの異常性を探るためである。どうもアルトは強者であると麻妃に懐き、家に来てほしいと告げられノコノコついてくる呑気である。勿論、戦闘を見たからには、よっぽど力に自信を持っているからこその態度だ、という可能性も捨てていない。

 麻妃は緋狼会に生まれながら入っている特殊団員だ。むしろ、その麻妃が素で恐怖を(いだ)いた相手が、普通の人外だと思う方がおかしいのだ。


「――――――否定する部分は、ありませんね?」

 アルトは既に味がなくなりかけたガムを飲み込み、麻妃の手元から勝手に違う味のガムを楽しんでいた。

「おう、何も間違っちゃいねえよ。…………だがな、人間。アンタが言っている〝異形〟は、さっきの脆弱な魔神と同じってことか?」

「魔神?」

 (みみ)馴染(なじ)みのない単語に、麻妃は鸚鵡(おうむ)(がえ)す。

「さっきのは、そ……そ……そー…………なんだっけ」

「そ?」

「そーくんでいいや。バルドも言ってたし」

「バルド、とは」

「さっき言ったろ、俺の親父が魔王だって。その魔王の名が、バルド。あ、真名じゃねえからな。無知な人間は知らねえと思うけどな、悪魔の名前は縛られるからな。俺のアルトってのも、本当はもっと長いんだぜ」

「そうなのですか、知りませんでした」

「教えてやった俺は、優しいだろ?」


 偉そうな笑顔は、小さな自慢をする子供にしか見えず。麻妃は無意識に、アルトの頭に手を乗せた。驚いたアルトの顔と、夢中になってそのまま頭を撫でる麻妃。サラサラとした鮮やかな金髪が、麻妃の指に絡みつく。

 どうも、疲れているらしい。麻妃には、アルトの頭に犬の耳が見える。フサフサで長い尻尾がフリフリ揺れていた。


「偉いです」

「そうだそうだ、感謝しやがれ。――――って、気安くしすぎだ人間ッ!」

 アルトが、麻妃の手をベシリと叩き落とした。残念そうに、麻妃が眉を下げる。が、プライドの高いアルトはそんな表情など気にしない。

「魔神のことだっただろッ!」

「…………はい、そうでしたね」


 麻妃は鋭利な仕事の顔に戻り、ガムを食んで再度自己暗示する。今は、アルトから情報を出すことに集中しなければならない。真剣な表情で、麻妃は目の前の少年を見た。少しだけ怒りが滲み出ていた。だが、どちらかと言うと、子供が拗ねている表情に近い。

 アルトは人差し指を立て、いいか、と話し出す。


「あのな、あの魔神はそ、そ、そー…………そう、ソロモンって奴に使役されてるんだ」

「ソロモン――――魔神の七十二柱を召喚した、元イスラエルの王、でしたか」

「イスなんとかは知らねえけど、召喚し使役してるのはソイツだ。で、いくら魔神と言えどな、使役された悪魔は力が制限される。だからつまり、弱いんだよッ! 俺は、弱いやつが嫌いだッ! 一緒にするんじゃねえッ!」


 キャンキャンと吠えて抗議するアルトの言葉に、麻妃は瞠目する。

 今日相手した、あの異形。これまで殺してきた中で格別に強いというわけではないが、逆に弱いというわけでもない。言うならば、普通の強さだ。

 だが、麻妃のようなプロでなければ、一人で戦うのは危険な化け物。本来なら、手慣れが一度に五人ほどいなければ、倒せなかった。麻妃が一人で応戦したのも、自身が特殊であるからだ


 なのに――――目の前の少年は、ハッキリと弱いと断言した。

 ならば。それならば。もしすると、アルトは。

 この能天気そうな少年は、麻妃と同等、またはそれ以上の力を持っているのでは。


「私は、緋狼会のトップなのに…………」


 経験で負けるため指揮こそしていないが、緋狼会で一番に強いのは麻妃と、しかし同等だと思われる二名がいるだけだ。本当に同等かも分からない。


「ん? なんか言った?」

 首を傾げるアルトは、一見強者だと思わない。

「いえ、なんでもありません。――話を戻します。では、そのソロモンが、貴方の敵であり、ここに来た理由ですね?」

「そ。バルトから相手にされないからって、自棄になって部下を放すなんて、馬鹿にもほどがあるだろ!」

「――――それについて、少し聞きたいことがあります」

「なに?」

「それは、反逆となるのですか? それとも、貴方がたの間ではただの戯れとなっているのですか?」


 それが反逆の意なら、この報告は約束をやぶることになる。既に仕事を頼む理由としてアルトの存在を話してはいるが、獄界のことで人間に危害が及ぶなら見逃せない。それは緋狼会の一員であり、人間に思い入れの強い黒翅麻妃としての、判断だった。


「ん~、バルドは戯れって感じだったけど、そ、そ、そ……」

「ソロモン」

 なかなか名前を覚えようとないアルトに、麻妃が助言する。

「ソ、ソロモンは凄い真剣に怒ってる……んじゃない、か? 実際に会ったわけじゃないから、どうも言えねえな。バルドは喧嘩したとしか言わなかったし…………」

「そう、ですか…………では、今のところただの抗争ですね」

「ま、そうなるな」

 アルトがガムを麻妃の手から取る。今度はレモン味だ。

「他に何か、お話していないことは?」

「無いと思うけどな。思い出したら言うわ」

「分かりました」


 麻妃も、ガムを食べる。グレープフルーツ味だ。自己暗示を解き、まず何事もなく尋問を終えたことに安心する。

 今度は麻妃の番だ。今までアルトにばかり事情を聴き、麻妃が自身の事情を話さないのは、有り得ない。麻妃は、約束を(たが)えるのはあまり好きではない。


「では、今度はこちらのお話をさせていただきます。質問等は話が終わった後にお願いします」

「りょーかい」


 麻妃は何も考えていない軽い了承に苛立つ。アルトは事の重大さを知らないから、能天気でいられるのだ。これは、国の問題でもあるというのに。アルトは王子であるが、獄界では支配するだけの存在と言っても、過言ではない。仕事もほとんどなく、力で悪魔を従えるだけ。言ってしまえば、従えるだけの力があれば、アルトでなくてもいいのだ。


「まず、最初に。先程から、私のことを人間だと言われていますが」

「うん」

「――――――――私は(・・)人間では(・・・・)ありません(・・・・・)


 少し躊躇った後に言った言葉は、アルトの目を最大にまで開かせた。だが、アルトの反応に麻妃までもが驚く。飄々(ひょうひょう)とした態度のアルトしか見たことがないため、この事実も軽く流すと予想していたからだ。

 身を乗り出したアルトに、思わず麻妃は後ろへ()る。


「人間じゃ、ない?」

「はい、そうなります」

「嘘だろッ!? 手も足もあって二足歩行で顔もあって人語喋ってるくせに、人間じゃないとか嘘だッ!」

 それは、悪魔であるアルトも該当しているのだが。

「そもそも、人間じゃなかったらなんなんだよッ!」


 その問いに、麻妃の体が強張る。一番知られたくないことであったが、この会話の中で質問されることは、予想がついていた。逆に、それを言わなければ話も進まない。

 一度きつく噛んだ唇を開いて、麻妃は疑問符を出すアルトに言った。


「私は、鬼の血を()ぐサイボーグです」



2013/04/23 文章改訂

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