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00:機械仕掛けと悪魔の邂逅


 麻妃(まき)のいる町では、昔から神隠しが(つた)えられている。

 一年に何度もあるわけではないが、少なくとも三年の内に五回は起きていた。老若男女(ろうにゃくなんにょ)は問わず、また時間も不一致。

 唯一ある共通点は、場所だった。とある、森の入り口である。

 山に近い郁樫町(あやかしちょう)では、森に入るすぐ近くに家があるため、当初はその家――岩松(いわまつ)家の仕業だと思われていた。

 だが、年が経つにつれ、何百年何千年と続き、子孫が受け継いでいるにはあまりにも証拠がなさすぎると。


 そして――――神隠し伝説が始まった。


 被害にあった人間は二度と戻ってこなく、一度だけその森に入った子供が死にかけで戻ってきて、ずっと不気味な譫言(うわごと)を言いながら死んでいったことから、神隠しにはもう一つの説が現れた。

 曰く、「悪魔に獄界(ごっかい)に拐かされる」。


 通常の精神をしていたなら、馬鹿げたことだと笑い飛ばすだろう。だが、死にかけで戻ってきた子供が、まるでその言葉しか知らないように、悪魔が悪魔がと乱心して呟けば。恐怖心はどんどんと膨れていき、その全てを悪魔に委ね、現実逃避したのが現状の結果だ。

 神隠しの犯人を知ろうともせず、また誰もその話題に触れようとしない。そんな当初の時代があったからこそ、今でも原因不明の神隠しは続いているのだ。


 麻妃は、その神隠しの場所である山の入り口にいた。そこは忌避され、当時に岩松家があった場所は、森の一部となっている。町で囁かれる蔑称は『大禍門(おおまがもん)』。災いが降ってくる入口、という意味らしい。

 森は勿論のこと手入れされていなく、麻妃が躊躇(ちゅうちょ)なく森に入ると、尖った枝や伸びすぎた草葉。また、咲いて枯れた後の小さな花に、動物の入った足跡――否、呼び出してしまった異形の通った跡があった。


 ザアザア、と夜風が木の葉を揺らす。先程まであった、月や星が見えない。森の木に隠れて、光さえも遮断されている。通常サイズの鴉が、麻妃を嘲笑うかのように鳴いた。気付けば、麻妃が進んで行く道の周りに、鴉が集まっていく。


 カアカア、と。

 まるで助けてくれと一羽の鴉が弱く鳴いた時――――咆哮が耳を貫く。


 麻妃は呟く。危機はいつだって、これで乗り越えられた。

「動いてください。アナタは必ず、私の役に立つことでしょう」

 決断は早かった。これ以上、あの異形を放っておくことはできない。


 骨が(きし)む。キリキリ、と異状を()えた。

 特殊な血脈が、麻妃の体内を()う。

 雰囲気が変わったかと思うと――――もう、麻妃は人間ではなくなった。


 人間でなくなった彼女は、右手の袖を捲った。寝るために着ていた服の(すそ)が、少し破れている。この作業(・・)が終わった後、ちゃんと直しておかなければならない。


 現れた麻妃の右手は、鋼鉄(こうてつ)に包まれていた。

 突き出した拳の間から出てくる、長い武器(エモノ)

 ――――麻妃が手に装備していたのは、虎の爪(バグナウ)だった。


 麻妃は自身の武器が正しく装着されているのを確認すると、暗い森の中を()ける。異形の場所は咆哮が聞こえた場所からして、左前のおよそ三百メートル先。決して近くない距離だが、麻妃は人外の脚力を利用して、十四秒で異形のすぐ後ろに着いた。

 大きな鴉の異形は、体中を包む紅色の眼球が忙しなく動き、背後でも隙ができることはない。じっとその場から動かず、化け物は小さな足でバランスが取れないのか、ゆらりゆらりと巨体を揺らしている。


 音を立てずにひっそりと伺うことにした麻妃は、一度目を瞑った。

 ――――――――ドクッ、ドクッ


『動いてください』『アナタは必ず私の役に立つでしょう』

『這ってください』『アナタは必ず私の盾となるでしょう』

『巡ってください』『アナタは必ず私の矛となるでしょう』

『探ってください』『アナタは例外なく情報を貢献するでしょう』


 ――――――――ドクッ、ドクッ

 眼を開けた。金色に光る眼球は、まるで猛禽を思わせる。

 爛々と、ギラギラと。括目する姿勢は、獲物を見張る捕食者。


「…………………………」


 異形が黒羽を動かした。狂風が存在しない変わりに、その場を黒い(ほむら)が囲う。焔は異形の前に集まり、融合(ゆうごう)し、人の形を()していく。完成したそれは、まるで幽霊のように体が透けた片崎だった。

 思わず麻妃の体が強張(こわば)る。泣きはしないが、化け物になった知り合いを、どうも思わないわけがない。基本、無干渉ですまし顔の麻妃でも、そこまで薄情ではなかった。


 ――――――そろそろ、始めよう。

 麻妃が戦闘態勢に入る。

 バグナウを構え、大きく息を吸い…………異形の真後ろへ駆けた。


 こちらの行動に気付いた大鴉(おおがらす)が黒羽をバサバサと動かし、後退しながら狂風を寄越す。麻妃は一度、地に足を着けてから、跳躍。目を瞑ることもなく狂風へと飛び込む。麻妃は、黒髪が崩れるのに対して気に留めない。

 バグナウを振り回し、黒羽を抉る。右の羽が削れ、そこから(アカ)色の眼球が麻妃を睨んだ。負傷した異形は悲鳴代わりに咆哮を上げ、また黒い焔を無から出す。正体不明の(ほのお)に囲まれた麻妃は、(ふところ)から小瓶を出す。紫色の液体が入ったそれは、麻妃の切り札だった。


 麻妃には、早々に切り札を出して終わらせる必要があった。

 ――――早く終わらせ、瑞貴の記憶を消さなければならない。

 気絶から()めても、意識が揺蕩(たゆた)っている間なら、まだ間に合う。このような異状を、一般人である瑞貴が知っていてはいけない。


 紫の液体が黒羽にかかれば、また異形の咆哮が森の闇に響き渡る。液体がかかった黒羽は()け、羽の内側で守られていた眼球が、(まぶた)から流れる涙のように、その場から抜けて落ちた。既に、異形の右半分は使い物にならない。

 麻妃は今にも倒れそうな巨体に、もう一度、今度は左側にバグナウを振り落す。もう、この武器も切れ味がなくなってきた。たった二回使っただけなのに、化け物の肉を裂くには十分に耐えた方だ。


 左の黒羽(くろは)にまで傷をつけられた大鴉(おおがらす)は、とうとうその巨体を地面に()した。完璧な勝利に麻妃はホッと息を吐いた。

 ――――長居は無用。

 周囲を見渡して誰もいないことを確認した後、森から去ろうと駆ける。目指すは入口の大禍門(おおまがもん)。門のようになっている木と木の間を潜れば、それで終わりだ。


 そして、門が目前で油断しきったところに――――聞こえないはずの咆哮が耳を貫く。

 突如の狂風になす術もなく、再度、森の中に入り転がる。手から武器が離れるのを感じた。


 ………………しまった。

 麻妃は心の中で()いた。息の根が止まっているかの確認は、戦闘後の基本中の基本である。これは、異形の絶命を確認しなかった麻妃のミス。


 麻妃は体を起こそうとするも、吹き飛ばされた時にどこかの枝で切ったのか、血が出た痛みで足が動かせない。だが、負傷して、バグナウも持っていない麻妃が逃げなければ…………最期だ。異形は怒り狂っている上、麻妃に傷つけられていたが故に、焦っている。人間を殺さなければ、死は確実に来る未来。

 ――――そう(・・)教えられた(・・・・・)

 だが体は動かない。世に執着がない麻妃は、命の終わりを覚悟して目を瞑った。


 その時………………何かがよぎる。

 目を瞑っていたため、何かは分からなかった。だが、前髪を揺らした小さな風は、異形が出した狂風とは比べ物にならない。何かが、麻妃の前を通った際に生まれた、小風だ。

 未だ金色に光っている目を、麻妃はゆっくりと開けた。


 初めに見えたのは、闇に染まらない場違いな髪色。麻妃の目とお揃いの、鮮やかな金髪がそこにあった。後ろ姿で、顔は見えない。ただ、黒いコートを着たその少年が、麻妃を守るように異形と(まみ)えていることだけは分かる。

 少しだけ、少年の顔が麻妃へと傾く。でも、見えないのには変わらない。


「下がってろ、人間。――――どうせ、その怪我じゃ何もできねえだろうがッ!」


 言い終わる前に異形へ駆けだしたため、少年の言葉の最後は吐き出すような声になっていた。麻妃は少年に言われた通り、倒れたまま体を引きずって、少し後ろにある木の裏に避難した。誰かは知らないが、助けてくれるなら、きっと敵ではないだろう。麻妃はそう判断して、この場を少年に預ける。


 少年――アルトは不敵に笑い、自身の手を鋭い武器(エモノ)に変化させ、それを異形へと振り下ろす。

 その手の変わりようは一瞬でも、麻妃の目で見逃すことはなかった。明らかに人間でないと知っていても、麻妃はその間に森から離れようとはしない。

 人外でも(・・・・)救助してくれる(・・・・・・・)仲間の可能性は(・・・・・・・)十分に(・・・)あったから(・・・・・)


 アルトの振り下ろした手は、異形の黒羽を根元から確実に切り取った。異形が苦痛に動き出す前に、アルトはもう片手で、異形の左足を抉る。異形がぐらりと前に倒れようとすると、アルトがそれに巻き込まれそうになるが、さっとその場から後ろに跳び、襲ってくる巨体を避けた。


 だが、戦いはそれだけでは終わらない。未だ死なんと起きようとする異形に、アルトはその巨体によじ登り、自身の腕を背中から()き通した。

 ――――――――ずるり

 貫通したその腕を、アルトは即座に引き抜く。死体の肉に、長く触れたくなかったのだ。


 圧倒的な力の差で、確実な勝利。アルトは異形の死体を見て、ニヤリと笑った。(あか)く、ギラギラと、爛々(らんらん)と輝く()を見て――――麻紀は目を伏せた。

 違う。この人は……否、これ(・・)は、違う。


 麻妃は、自身の仲間を思い浮かべる。

 脳裏を占める彼らは、相手が異形と言えど、戦闘後に死体を見て喜ぶような人たちでは、ない。つまりこの少年は――――救助に来た、自分の仲間ではない。

 あまり視界が通用しない闇の中、麻妃は離してしまった武器を必死に探した。仲間でないとなると、人外は全て警戒しなければならない。それが、例え今助けてくれた者でも、だ。いつ、敵となるか分からないから。


 ――――見つけた。

 三つ隣の木の裏。そこに、バグナウがある。取らないと。

 痛みに慣れてきた足を動かそうと、麻紀が力を入れた時。


「おーい、いるんだろ。いくら脆弱でも、もー死んでだとかねえよな、人間?」


 その声に、麻妃はようやく、近づいてくるアルトに気付いた。

 まだ暗くて顔がよく見えないが、確実にこちらを見ている。今体を動かせば、死んだふりは通用しない。…………いや、元よりあんな殺し方をする者が、そんな子供騙しに引っかかるはずがない。

 やっぱり、武器(アレ)を取るべき――!


 麻妃は一回バク転して、その場から離れる。一気に駆けて、無事にバグナウを取ることに成功した。手にセットして、アルトの登場に構える。

 ――――――ジャリ

 夜の森に、砂の音。雑草が生い茂っている中、わざとではないと、そんな音は自然に立つことがない。

 そして(・・・)そんな音は(・・・・・)麻妃の真後ろ(・・・・・・)から響いた(・・・・・)


 ――――――――――ガキンッ

 麻妃のバグナウと、アルトの(やいば)が重なり、響いた。一瞬で後ろに振り向き上手く交戦した麻妃に、アルトは驚きながらも自身の手に力を入れる。

 麻妃がアルトを睨むと、アルトはニッと笑い、左足で麻妃の負傷した右足を思いっきり蹴った。


「……くッ、」


 踏ん張りも脆く、麻妃は地に座ることになる。

 そんな麻妃に、アルトはしゃがんで視線を同じにした。紅色(あかいろ)金色(こんじき)が見つめ合う。

 アルトは両手で麻妃の両頬を包みこみ、笑ったまま言った。


「――――お前、強いよな。普通あの速さで応戦はなかなかできねえぞ」

 麻妃は意外にも敵意のないアルトを見て、狼狽える。先程、異形を圧倒的に殺した者と同一人物とは、思えない。人懐っこそうな笑みは、邪気のない子供のようだ。

「俺はアルト。………………お前の、名前は?」


 麻妃はか細い声で、黒翅(くばね)麻妃(まき)、と目の前の少年に答えた。



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