往来一札 ー甚右衛門書附帳 ー
時代考証、表現、十分ではありません。小説としてご了承ください。
往来手形。(往来一札とも言われる)
御領讃州瀬戸小島百姓。亀吉倅、惣七。多衛門倅、喜八。〆て二人。
右の者、此の度四国遍路にまかり出で候。宗旨は、残らず真言宗にて御座候。所々、御改め所においては、相違なくお通しなされ申さるべく候。以上。
高田孝之進御代官所ご支配の瀬戸小島の庄屋。下津笠甚右衛門。
天保五年午年。正月。
所々、
御改め所。
すらすらとしたため、甚右衛門はカタリと筆をおいた。
「旦那様、惣七さんと喜八さんをお通ししても大丈夫ですかの」
隣の小部屋から、下女のお菊が声をかけた。
「ちょうど、今往来手形が書けました。通しておくれ」
腰をかがめ何度もお辞儀をしながら入ってきた男達は、端折っていた着物を下ろし、撫でつけながら甚右衛門の前に座った。
「おら、嬉しくってよ」
座るなり、しゃべりだしたのは、喜八だ。
「去年は上浦村の弥助が、籤に当たっただが。それで、遍路参りから帰ってからは講組の集まりがある度に、やれ白峰寺の仏様のお顔が素晴らしかった。大窪寺のこんにゃくが美味かっただの、得意そうに話すんでな。弥助の得意顔の話なんて聞きたくないけんど、おら産れてからこの島しか知らんから、やっぱり話が面白くて、聞き入っちまう。それが、まさか今年おらが籤に当たるなんて、嬉しくてしょうがないんで」
「嬉しいのはわかりますが、物見遊山で行くわけではありませんよ。私たちは島に住み、海で漁をする。瀬戸の浦はおだやかな海ですが、雨風の日もある。海で亡くなった者を弔い、漁の無事と豊漁を願うという大事なお役目があるからこそ、みんなで講組を作ってお金をだしあっているのですからね」
「わかっとるで。そのお役目はきっちりと無事にすませてきますだ」
ずんぐりした体つきの喜八と比べ、痩身の惣七は、汐風で枯れたしわがれ声で答えた。籤にあたったもう一人の男だった。
「惣七は、しっかりしているから、安心です。頼みましたよ。二人とも、無事で帰ってもらわなければ困りますからね。これが往来手形です。惣七に預けますから」
「甚右衛門さん、おらの往来手形は」
「一枚に二人の名前を書きました。どこの改め所でも、必ず二人一緒でないと通してくれませんから、気をつけてくださいよ」
四国遍路は讃岐の国、阿波の国、伊予の国、土佐の国の四つの国をまたがり円を描くように歩く。その円の中に点在する八十八か所の弘法大師ゆかりの霊場を参拝するのだ。一番霊場、霊山寺。八十八番霊場、大窪寺と番号は振られているが、どこから参ってもよいものとされていた。
惣七と喜八は八十四番屋島寺から参ることにした。島は天領で讃岐藩へ預け地となっていたので、まず、船で本土藩に渡り川役人の許可をもらい、上陸せねばならなかった。川番所からは屋島寺が一番近くすぐ近くの、八十五番霊場、八栗寺へと向かうこともできた。その後は、阿波、伊予、土佐を回り、又本土藩へと戻り海の神様の金毘羅さんのお札をいただいてから、残りの霊場を参拝し、一回りするという予定である。
半農半漁の生活で、春には種まきやら植えつけの仕事がある。瀬戸の小島の遍路参りは、一月から二月にかけての寒参りと決まっていた。季節のいい頃の道中に比べ峠越えやら川越えやら難渋することとなる。しかし、漁師で鍛えた男達は冬の海に比べたら地に足がついた分あったけぇと笑った。寒さよりも、初めて島を出て、本土藩ばかりか、他領へ出向くことができることが何倍も嬉しかった。
遍路参りには二人で一両の路銀も渡される。講組で一月六文ずつを村の者全てで積み立てた金子だ。お札を買うほかは、勝手次第に使ってよいこととされていた。一つ霊場を参るごとに、地元のうまいものを喰う。甘い団子を喰うと、棒のようになった足の疲れさえも忘れた。
島を出て、もう二十日が過ぎ、二人は伊予の国の四十五番霊場岩屋寺を目指し、山道を上っていた。断崖絶壁を這うように登っていく。狭い脇道は凍っていて、気を緩めると滑り落ちそうになる。二人は寡黙に登っていった。
「おい、あれ」
眼前が急に開けたとたん、喜八が緊迫した声で惣七を呼ぶ。惣七も頷いた。一町ほど先の山の中腹あたりで何か赤いものがちらちらしていた。よく見るとそれは母親と娘連れの遍路で、娘の赤い脚絆が山中に見えていたのだった。遠目に見ても、二人は今にも山から転げ落ちそうだった。惣七は持っていた荷物を脇に置き、一刻でも早くと親子に向かって進んでゆく。惣七は島でも一番の健脚で、喜八は心得たとばかりに、二人分の荷物を背負い、後を追う。
「何だって、こんな足元の悪い時期に、女子供がよ」
喜八は呻くように呟き、死んでしまうぜという言葉をかみ殺した。
親子との距離が縮むに連れ、惣七の呼吸が浅く早くなる。人が二人並んで歩くこともできない急な坂道だ。足元はでこぼことした上に凍っている。少し溶けたところでは、水が浸みだし滑りやすくなっていた。惣七ですら足裏に力を入れて登らねば転げ落ちそうな山道だった。前を行く娘の体は時折がくんと大きく揺らぎ、惣七は幾度となく肝を冷やした。娘の腰には縄がまかれ、その縄は前を行く母親の腰の縄とつながっていた。どちらが落ちても命がない。惣七は「落ちないでくれ、落ちないでくれ。大師様お願いだ。間にあわしてくれろよ」と念じ続けて後を追う。胸のあたりが何かで押されているように苦しい。体中が強張り、早く追いつこうとすればするほど、足がもつれるような気がした。
「おっかさん、無茶をするんじゃない」
ついに娘の腰縄を掴んだ時、惣七は声を荒げた。娘はふいに現れた男に驚いたようにすくんでいる。しかし、その目はあらぬ方向を向き、惣七は初めてこの娘の目が見えないことに気が付いた。母親は母親で緊張していたのだろう。見知らぬ男に怒鳴りつけられて、わっと泣き出した。惣七はほどなく追いついた喜八と顔を見合わせた。まだ、大師堂にすら着いていない。本堂はさらにその先にあった。
「とにかく、大師堂まで行って休もう」
惣七は母親を助けて、喜八は娘を縄で背負い、大師堂へと向かった。
「ここから先はあんた達親子には無理だ」
今度は優しく言い諭す惣七に母親はおっくうそうに小さく頷いた。喜八に本堂への参拝を頼み、惣七は親子と一緒に大師堂で喜八の帰りを待つことにした。
「どこから、来たんだ」
「大阪」
「もう何番まで回ったんで」
「六十四番、前神寺から始めてここで三つめ」
それから、惣七は何故こんな厳しい時期に遍路を始めたのかとか、父親はどうしたのかと聞いてみたが、それきり母親は何も言わなかった。ただ疲れ果てている娘が、父親は死んだとか細く答えた。暫くして喜八が戻り、二人はとりあえずこの親子を麓まで送ることにした。
「俺たちは島の漁師で、毎年島の人間が遍路をする。それでなじみの旅籠や百姓家があって、宿泊の接待を受ける事になっているんだ。今日は『浜屋』という旅籠の土間を借りることにしているから、お前もおっかさんと一緒にそこで泊まらせてもらおう」
喜八は背中の娘を時折揺すりあげながら、しゃべり続けた。娘は八つで駒という名前だという。娘を背負って下山することは苦しかったが、背中からじんわりと伝わる暖かさが喜八を励ました。駒も体が温まったからか、喜八の気を紛らわそうとしてか、よくしゃべった。
「あたい、遊んでいて堀の堤から落ちちゃったの。それから、だんだん、目が見えなくなったの。お父ちゃんはあたいをいい目の先生に見せるんだと言っていたんだけど、死んじゃった。それでお母ちゃんが遍路参りをしてお大師様にあたいの目を治してもらおうと言って、一緒に来たの」
四国遍路は庶民の生活が豊かになり、盛んに行われたが、又財のない者にとっては遍路接待で命を繋ぎながら死ぬまで歩き続ける旅でもあった。喜八は「そうかそうか」と、娘に相槌を打ちながら、親子が歩き続ける姿を想像して、ふいに涙がにじむような気持ちになった。日は傾きかけ、後ろから早足で陰りが追ってくるようだった。
「おっかさん、足元に気をつけな」
惣七の声が冷たい空気に響くように聞こえた。
翌朝、惣七と喜八は浜屋の女将に大声で揺り起こされた。
「大変だよ。遍路のおっかさんが娘を置いていなくなったんだよ」
二人は飛び起きた。
「朝ごはんを持っていったら、子供がお手水に行きたいらしく、おっかさんを呼んでるじゃないか。もう随分前から呼んでいるというので、もしやと思って草鞋や笠を見に行ったら、ないんだよ。荷物もないし、逃げたんだよ。娘をおいて」
迷惑をかけて申し訳ないことをしたと、惣七と喜八はそれこそ頭を土間にこすりつけんばかりに詫びたが、ひとしきり怒鳴り散らした後女将は意外にあっさりとその怒りをおさめた。
「仕方がない。遍路にはままあることだ」
「残された娘はどうなる。駒は目が見えないし、一人で歩くこともできない」
「お役人に届けて、どこぞの村預かりにでもしてもらうよ。昨日往来手形を念のために見せてもらっておいてよかった。往来手形には、万一病死等になった時は、その所の沙汰通りで対処して葬むってくれと書いてあったからね。死ぬ覚悟の遍路だったのだろうよ」
後のことを女将に頼み、惣七と喜八はお駒とは言葉を交わさず、出立した。六十三番霊場、吉祥寺へ向かう。二人とも黙って歩く。惣七は自分と娘の腰を縄で繋いで急な坂を登っていた母親を思った。喜八は自分の背中で無邪気におしゃべりをしていた娘を思い歩いた。吐く息が白い。ハッツハッツと浅く息を吐きながら、ひた歩く。喜八は甚右衛門が杖に書いてくれた「同行二人」の文字を見た。杖は随分とささくれて薄汚れたが、文字はしっかりと読み取れる。
「同行二人というのは、お遍路の間中大師様が一緒にいてくれて守ってくれているとの意味だ。惣七と喜八二人でいても、それぞれに大師様が道連れになってくれる。この杖はお大師様と思って床に飾って眠るのが作法ですよ」
甚右衛門さんの言葉が思いだされる。ざくざくざく。喜八はひた歩く。今お大師様もおらと一緒に歩いているのだろうか。自分の前になることも、後ろになることもあるだろうか。途中で遍路をやめたあの娘のお大師様はどこに歩いていくのだろうか。
惣七は考えていた。母親は往来手形を娘に残さなかった。あんた、往来手形を使って大阪に帰るのか。それとも四国のどこかの藩で娘は遍路の途中で死にましたと、何も無かったように暮らすのか。喜八からもらった岩屋寺のお札には不動明王が描かれていた。炎の中、牙を向いて自分を睨んでいた。おっかさんも、喜八から不動明王のお札をもらっただろう。いつまでも燃え続ける炎のように惣七は母親のことを思いつめて歩いていく。足早になる。どんどん足早になる。
二人は黙ったまま吉祥寺へ着いた。山門をくぐり、正面の本堂に向かう。岩屋寺に比べてのどかな趣だ。本堂の脇には詠歌が書かれてある。
身のうちの あしき悲報をうちすてて みな吉祥をのぞみ祈れよ
「惣七」
「喜八」
二人は同時に声をかけた。
「黙って歩くのも疲れたな。ところで、おら、お駒を連れ戻しに行こうかと思う」
「そうだな。二人一緒に行くかな」
惣七と喜八の二人は今来た道を戻ってゆく。喜八は思う。きっと浜屋の前ではお駒のお大師様が自分達を首を長くして待っているだろう。惣七は思う。お駒のおっかさんはきっと歩き続ける。おっかさんのお大師様はきっといつかお駒の元におっかさんを連れてくると。
三月朔日。
島庄屋の甚右衛門はいつものように文机に向かっていた。昨日は惣七と喜八が島に帰ってきてあれやこれやを報告して帰った。二人は驚いたことに目の見えない娘を連れ帰ったが、甚右衛門はただ二人が無事に帰ったことを喜び、駒の頭をなでた。
多衛門倅、喜八。大阪生まれの駒八歳を養女となす。それから甚右衛門は見違えるほどたくましい顔つきになった喜八の顔を思い浮かべ、以後往来手形は一人一札ずつ書き記しおくこととすると、書き加え、カタリと筆をおいた。