曇りの日
「くもりは嫌い」
カナはいつかみたいに、頬をふくらませている。
「灰色だから嫌い」
単純な理由だな、と思わず苦笑してしまう。
「だって街はもっとどんよりとしてるし、海が変な色になるから」
たしかに海は一変する。青緑の不気味な色になって、白波を立たせ、不吉な予兆を表しているかのように荒さを出してくる。とても泳ごうなんて考えられない。怖い。
怖い。
青緑色の海を見ていると、意識がどこかへとぶ。
水。空気のない世界。今までと違う世界。濁ってなにも見えない世界。
なにか、見たくないものを見てしまう気がする。近い将来。訪れてほしくないものが来る。
これが胸騒ぎってやつなのか。
「あのね、ユウヤ」
声がして振りむくと、カナの白い脚が見えた。
砂浜よりも白く輝いている脚に、視線が吸い寄せられる。細い足首、しまったふくらはぎ、形の良いひざ、太ももは画面の中の女優さんよりも……。
思わず視線を外す。見てはいけないものを見てしまった。変なところから汗が出る。
Tシャツにショートパンツのカナは、制服のときとは別人に見えた。
久しぶりに見る私服。アップになった黒髪。あごのラインとうなじがよく分かる。襟の浅いTシャツのせいか、鎖骨が丸見えになって、胸元まで見えそうだった。
どこを見ていいかわからない。
意識して波を見ていよう。声だけはいつものカナだ。
「うん」
努めて前を向いたまま答える。
砂浜を舐めるように行ったり来たりする穏やかな波。濡れては乾いていく砂。ぎりぎり濡れないところに座る僕たち。
「お母さん、探してきてあげようか」
「…………」
「探してきてあげるよ」
「……どうしたの。急に」
「だってまだ帰ってこないじゃない。お母さんがいないなんて、ユウヤは寂しいんでしょ。だから探してきてあげる」
元気なユウヤが見たいから、探しに行くね。カナは明るく力強い声で言った。きっと目は爛々としているんだろう。見たことのない土地に行くのが楽しみでたまらない、といった顔をしているんだ。
僕は打ち寄せては返す波を見たまま、何も言えない。なんと答えていいか分からない。
ふいに風が吹いて、どこからか飛んで来た白い花が、波の上に落ちた。
「そうだね。会いたいね」
それしか言えなかった。一緒に行こうとも、行くなとも、言えなかった。
「ユウヤの願い、わたしが叶えてあげる」
強い目をした女の子が、僕を励ますために笑っている。僕は泣きたいような抱きしめたいような気分になって、カナに気付かれないように砂を握り締めた。
力を入れた分だけ手から逃げていく砂。
波間に落ちた白い花は、沖に流されて、そして沈んだ。
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今日は曇り。大好きな青がどこにも無くなる日。
ユウヤは今日も黒い服を着ている。ここ最近ずっと黒い服。
ユウヤはここ最近ずっと笑ってない。
ユウヤはここ最近声が小さい。
ユウヤはここ最近ぼーっとしていることが多い。
ユウヤはここ最近、ヘンだ。
きっとお母さんがいないからヘンなんだ。だから探しに行くって言ったら喜んでくれるかもしれない。もしかしたら一緒に行こうって笑ってくれるかもしれない。
お母さん、早く見つかるといいな。