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Another world  作者: monmo
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第五話

 次に龍輝が目を覚ましたのは、数時間後だった。


 彼が瞼を開けて最初に見えたのは、横向きの世界。彼は扉に寄りかかって眠りについたが、そのまま横に倒れてしまったようだ。


 龍輝は重たく感じる体を起こし、頬についた土を手の甲で擦り落とした。もみあげの下の辺りには、ポツ、ポツ、と小さなにきびがあり、彼はそれを指先で優しくなでる様に土を落とすと、大きくため息をついた。


 「夢じゃ……ない……」


 龍輝は少しだけ期待していた。眠りにつく前に、もしかしたら、今までのは全て夢で、目が覚めたら自分はいつもの部屋のベッドで目覚めるんだ……と心の中でそう思っていたのだ。


 しかし、そんな願いも空しく、龍輝は此所にいた。夢ではない、という事実を叩き付けられたような感覚で、疲れのとれない身体に深い脱力感がこみ上げてきた。


 龍輝は頭をバリバリと掻くと、寝ている最中に手放して地面に落ちていた炎舞を持って立ち上がった。そしてそれを肩に担ぐと、くるりと後ろへ振り向き、そこにある扉を見つめた。


 開くわけないのだが、それでも押してしまう龍輝。やっぱり開かなかった。


 諦めた様に苦笑いをした彼は、扉に背を向けて、奥へと続く洞窟の通路を歩き出した。彼の周りにはどこから来ているのかわからない不思議な明かりで満ちていて、龍輝の姿を、洞窟の道の先を、はっきりと照らしている。


 真っ直ぐに伸びる通路を歩き続けると、そこに見えたのは下へと続いていく大きな階段だった。数百段とありそうな長い階段の先には、また通路が続いていた。


 龍輝はそれを躊躇する事なく下りていく。どうせ前に進むしか道はないのだから。そう思いながら彼は仕方なく、深く、長い階段をおりていくのであった。


 カツン、カツン……と断続的に龍輝のブーツの足音が階段に響き渡る。そんな彼は、ふと思い出した様に懐から『MPB』を開いて、ページをめくりながら階段を下りていた。端から見れば結構危ない光景だが、どうやら龍輝は慣れている様だ。


 龍輝が見ているのは、『MPB』の『マップ』という項目だった。その名の通り、世界やダンジョンの地図を写し出してくれる、優れものだ。龍輝が自分の目覚めた場所が『ファロン王国』であって、主要都市である『ユグドラシア』の場所を正確に目指せていたのも、この『マップ』の力のおかげである。


 そして今、不運な事にダンジョンに入ってしまった彼は『マップ』からそのダンジョンの情報を探ろうとしていた。もっとも、ダンジョンには進んだばっかなので、ほとんどの所が黒ずんでいて、見えないが、それ以外の項目なら見る事ができた。



 <マップ>


 <ダンジョン>


 『封印されし蛇姫の祭壇』


 ・目標レベル ???

 ・階層 ???




 だがそこから得られた情報は、このダンジョンの名前のみ。稀に『目標レベル』も『階層』も確認できるダンジョンもあるのだが、今回はどちらもわからなかったのだから、警戒しないといけない。一度入ったら、クリアするか、死ぬかの二択でしか脱出できないダンジョンは、決まって凶悪な部類が多いのだから。


 龍輝は自分の就けている『ジョブ』を少しだけ恨んだ。なぜなら、ジョブの『メインジョブ』や『サブジョブ』には、ダンジョンマップを詳細にしてくれる能力のあるジョブが存在したからだ。メインジョブの『盗賊』とサブジョブの『測量士』などがその一例だ。これを就けていれば、ダンジョンの得られる情報が増える。それだけでなく、レベルが上がるとダンジョンを隅々まで探索しなくても、詳細の細かいマップを見る事ができるのだ。中でも『測量士』はステージマップの立体交差まで詳しくすることができる。ダンジョンを効率よく探索するのにうってつけのサブジョブだった。


 そんなジョブを残念な事に就けていなかった彼は、少し警戒しなければならないと、『マップ』の表示を消して、元の地図の状態に戻した。


 すっかり説明するのを忘れていたが、この『MPB』、驚く事に立体式のタッチパネルのような機能がついている。一見すればただの小さな手帳だが、ページの項目にはボタンの様な模様があり、それを押すとその詳細な事が書かれたページが空中に浮かび上がる。それはまるで、ゲームの情報画面を開いている感覚だった。小さな文字達が風の様に動き回り、別の文字、模様、絵となるその様子は、見ていて少し面白いかもしれない。


 「……フッ」


 どうやら、彼は面白く感じたらしい。変な奴だ、これに気がいたのは、草原の時だったっというのに。


 そのまま階段を下りて、道はまた通路へと変わる。先程よりも狭い通路、といってもまだ車の通れるトンネルぐらいの広さがあるのだが、さっきの階段とその前の通路に比べたらかなり狭くなった。砂埃が溜まっていて、彼は歩きながらむせた。


 その細い通路を抜けた先には、大きなフロアが広がっていた。地面は相変わらず硬そうな岩だったが、周りは柱や彫刻の石像が、壁からはみ出てきた様に彫られていて、ところどころひび割れて破損しているのが神秘的である。


 しかし、そんな神秘的な光景の中に、どう考えても不可解なものを、龍輝は見つけた。


 それは直径四十センチ位の大きな穴であった。その穴はひとつだけではなく、壁から天井にまで点々と広がっていた。龍輝がすぐそばにあった壁の穴に近づいてみると、奥は何も見えない真っ暗で、何かが流れた様に、穴の縁が削れている跡があった。


 何か良くない予感がした彼は、恐る恐る肩に担いでいた炎舞を穴に突っ込もうとした、その時だった。


 ドシャリ!


 そこそこ重量のある何かが落っこちてきた音が、彼の真後ろから響き渡った。音に驚いた彼は慌てて炎舞を引っ込め、肩に構え直しながら後ろに振り返った。


 龍輝の目に映ったのは、大蛇と言わんばかりの巨大な蛇だった。その直径は、ざっと十メートル、目線こそ龍輝の方が高かったものの、人間ていどなら丸呑みにしてしまうほどの大きさを誇る蛇だった。


 真紫の舌をチロチロ出しながら、シュ〜シュ〜と細い鼻先で龍輝を威嚇する蛇。灰色に緑を混ぜた様な鱗の色に鎖状の模様を見て、龍輝は目の前のモンスターを思い出した。『爬虫類系』の『スネーク種』の中でも攻撃力がやや高い、中堅ぐらいの強さを持つ無毒の蛇型モンスター、『パイソン』であった。


 唐突に、パイソンは龍輝へと飛びかかる。大きく広げた口には長細い牙が二本生えていた。あんなので噛まれたら、コートの上からでもひと溜まりもないだろう。


 荒れる息を押し殺して、龍輝は無言のまま蛇の攻撃を手堅く横にかわすと、そのまま炎舞で蛇の胴を真っ二つに斬った。パイソンの頭は斬られた衝撃で叩き付けられた様に地面に落ち、そのまま真っ赤な血を撒き散らしながら、バッタバッタと跳ね回ると、やがて動かなくなった。胴の断面からはドクドクと赤黒い血液が垂れ流れ、その強烈な匂いに龍輝はまたしてもむせた。


 つかの間、鼻を押さえる龍輝に向かって、三匹のパイソンが近づいて来ていた。彼が周りを見渡すと、そこら中の穴から蛇がわき出していた。


 かなりまずい状況の中、龍輝は視線を三匹の蛇から顔を外さないまま、ギョロギョロと目を動かして辺りを見渡すと、近づいて噛み付いてきた三匹の一匹を斬り飛ばし、フロアの壁際をダッシュで爆走。一番近い、次のフロアへの通路目がけて走り出した。途中で近づいてきたり、壁から這い出てきた蛇は、容赦なく叩き斬った。しかし蛇の数は減るどころか、逆に数を増している。


 通路の前にたどり着き、後ろを振り返れば、広間はうじゃうじゃとものすごい数のパイソンで溢れかえっていた。三十匹〜四十匹……いや、それ以上いるかもしれない。蛇嫌いが見たら、間違いなく卒倒するであろう光景が広がっていた。

 

 (蛇嫌いじゃなくてよかった……)

 

 そんな事を考えながら、龍輝は通路を背にして蛇の大群を見つめていた。今の彼に、まだ『逃げる』という選択肢はなかった。通路を背にしたのは、万が一のために用意したのだ。


 水色のゴブリンとの戦闘で見たあの奇跡の力を思い出していた。彼は『魔法』をもう一度試すつもりだったのだ。


 彼は炎舞を地面に突き刺すと、ゆっくりと両手を前に出して、意識を集中させた。その間、蛇達はゆっくりと龍輝に向かって迫って来ていた。


 龍輝は息を落ち着かせ、パソコンで見た光景を懸命に思い出し、炎舞に火を灯す時と同じ様に力を手へと送り出す。何を発動するのかは決めている。この数十匹の蛇の大群を蹴散らす威力の魔法だった。


 (今ッ!!)


 自分の気持ちが最高潮に高ぶった瞬間、彼は目の前の蛇の大群にその気持ちを放出する様に、手を前に突き出した。


 だが、その手からは何の奇跡の力も出てはこなかった。色白の綺麗な手がパイソンの前に突き出されて、彼らは一度ピタリと進行を止めたが、何にも出てこないのを見て、龍輝に飛びかかった。


 龍輝は素早く炎舞を持ち直すと、飛びかかってきたパイソンを斬り伏せて、後ろの次のフロアへと続く通路へと逃げた。内心、恥ずかしさでいっぱいで、一秒でも早くこの場から消えてしまいたかった。


 狭い通路を抜けて、緩やかな階段を下ると、そこもさっきと似た様な広いフロアと、穴だらけの壁と天井が広がっていた。しかも、もう蛇が現れ始めており、更にはその蛇よりふた周りほど大きな、コブラの様な広がった胴を持つ蛇、パイソンとは別のモンスターがうろついていた。


 すぐ後ろからはさっきまで相手をしていたパイソンが通路を通ってくる音が聞こえた。龍輝はまた壁側を沿う様に移動を始めたが、パイソンとは違う別の蛇、今度は龍輝が見上げるほどの大きさがある、毒々しい緑と青のまだら模様の蛇『ビッグヴァイパー』にフロアの中央へと追いやられてしまっていた。


 ヴァイパーはパイソンよりも胴が十メートルも長かった。二倍である。胴の直径も、パイソンはこのダンジョンのあの細いダクトの様な穴を通って移動するので三十センチ前後しかなかったが、ヴァイパーはその二倍、六十センチ近くある。これも二倍だ。しかもヴァイパーはパイソンよりも基本攻撃力が高い上、有毒……毒蛇であった。口を開いた時に見える牙は、ヨダレとは全く別の、水っぽい液体に覆われていた。


 そんな恐ろしい風貌を持つ大蛇に、黒い眼光で睨まれた龍輝は、後退せざるをえなかった。こちらから攻撃をしかける事はできる。だが、毒蛇とわかった瞬間、彼は目の前の大蛇が余計に恐ろしくなった。解毒魔法は覚えているが、未だに使う事ができていない彼は、蛇に睨まれた蛙の状態である。


 フロアの中央に追いやられた龍輝は、大剣を振り回して蛇の接近を抑え留めていた。フロアの中は、穴から現れた蛇、通路からなだれ込んできた蛇で溢れ返り、彼に逃げる場所はなくなっていた。


 360度から威嚇する蛇の唸り声が、龍輝の耳に響き渡っていた。彼は必死に大剣を振るって蛇を追い返す。飛びかかってきた蛇は容赦なく叩き斬ったが、蛇の数はまだ見渡すほどの数を保っていた。


 その蛇の大群の物量に、段々と自分の居場所を追い詰められた時。急に押し寄せていた蛇が、なぜか波の様に身を引き始めたのだ。


 振るう大剣を一度止めて、龍輝は後退していく蛇の大群を不可解な視線で眺めた。このまま押し切ってしまえば、彼は蛇の波に飲み込まれていたが、まるで龍輝にしらけた様に後退を始めたのだ。


 わけはわからなかった龍輝だが、逃げるチャンスだとは思った。だが、それを行動に移そうとした時、蛇のうなり声が反響するフロアの中に、いきなり人間の言葉が響き渡った。


 「カエルが迷い込んだか……」


 重量感の感じる、渋い男の声だった。龍輝は辺りを見回して声の主を探したが、周りにいるのは蛇ばかりで誰もいない。


 その時、フロアに点在する通路の中でも、彼の一番近くにあった大きな通路から、ズルズルと体を滑らす音と共に、蛇が現れた。龍輝おろか、『パイソン』や『ビッグヴァイパー』よりも更に大きな蛇。毒素を帯びた青紫に鮮やかな水色とのまだら模様が禍々しい、コブラの様な胴の形をした大蛇だった。


 龍輝は<Another world>のモンスターの記憶を巡らせたが、目の前にいる堂々とした態度で佇む青い大蛇の事は知らなかった。周りの蛇は、控える様に大蛇から離れて、自分の方へと道をあけているから、大蛇はボスか何かの存在なのだと思った。だとしても、ダンジョンの最終フロアにこもっているはずのボスがフロアへと移動してくるのは、彼にとって型破りな事だった。


 「残念だが、この場所を知った以上、生きては帰さぬ。覚悟しろ」


 その大蛇の口が緩やかに開閉すると、男の声はそこから出ていた。口が開くたびに中に生えたブレード状の二本の牙が、薄い茶褐色の毒液をまとって淡く光っていた。


 龍輝は人語を話す蛇を見て、唖然としていた。彼は喋る蛇など見た事ないし、<Another world>にもそんなモンスターはいなかったからだ。


 だが、周りには人知の常識の範囲を超えたサイズを誇る大蛇が集まっている。もう前の世界の常識はほとんど通用しないのかもしれない。そう考える事のできた彼は、少しだけ冷静になっていた。この大蛇が言った言葉の意味も、理解できた。


 青い大蛇は大口を開けて、龍輝に牙を振り下ろした。彼は咄嗟に目をつぶって大剣を前に構えてその牙を防ごうとしたが、大蛇と龍輝では体格が違いすぎる。剣と牙が触れ合った瞬間、強烈な火花と共に龍輝の身体は宙を舞い、岩肌の地面に尻餅をついた。


 「がッ……!! ……あっ!」


 その彼へと、周りでうろついていた数匹の蛇が、好機と言わんばかりに飛びかかった。彼は腰を着いたまま、手放さなかった炎舞に炎をまとわせて、闇雲に振り回した。その爆炎のベールに包まれた蛇は断末魔の叫び声を上げながら、その身を黒焦げにして絶命した。


 「ほう……面妖な剣を使う……」


 大蛇は龍輝の振るう大剣を見ながら、感心した様に声を漏らした。彼はそれを耳だけで聞き取りながら片膝を立てて立ち上がり、体勢を整えると再びその大剣を前に突き出した。


 「だが、道具の力だけでは私には敵わんなッ!!」


 そう叫びながら大蛇は龍輝に向かって再び牙を振り下ろす。彼は炎舞を素早く横向きに構え、その反り返った刃を受け流そうとした。刃と刃が掠れ合い、小さな火花と共に強い衝撃が彼の足下へと伝う。彼はそれを両足で踏ん張り、目を細めて大蛇を刮目していた。


 「甘いわッ!!」


 「あっ、!」


 だが大蛇はすでに次の攻撃に移っていた。径の太い巨大な体をとぐろを巻く様に勢い良く捻ると、回し蹴りの要領で体躯の尻尾を龍輝へと薙ぎ払ってきたのだ。彼は咄嗟に炎舞で防御したが、ガリガリと地面を削りながら放たれた尻尾の一撃は防げる様な威力ではなかった。


 「ッ!! ガぁあァあッっ!!!」


 ズドン! と巨大な杭を打ち込む様な衝撃を食らった龍輝の体は大蛇の尻尾に吹き飛ばされ、フロアの隅の壁へと背中を叩き付けられた。全身の筋肉と骨がミシリと軋む痛みに、彼の体が悲鳴を上げ、壁面には大きな亀裂が走る。剥がれた岩肌の欠片と共に彼の体は重力に従って、頭から地面に落ちた。


 「ぁガ……ッ!」


 倒れ込んだ龍輝の視線の先に、大蛇の一撃に耐え切れず手放してしまった炎舞が、重たい金属音をあげて地面に転がった。その近くにはパイソンの群れが舌を出しながら、じわりじわりと彼を追い詰めてようと近付いて来る。彼はすぐさま立ち上がろうとしたが、全身の感覚が朦朧として言う事を聞かなかった。


 「……?」


 ふと、龍輝は自分の頭から生暖かい液体が肌を伝う感触に、思わず右手をそこに押さえた。手が液体に濡れる感触がした。


 離した手を見ると、そこには自分の肌の色が見えなくなる程、赤黒い鮮血で染まりきった自分の右手が淡い光沢で鈍く光っていた。手の平に集中した血の塊が手首を伝い、コートの中へと流れていった。


 「……ッ!!?」


 途端、ハンマーで叩かれた様な激しい頭痛と猛烈な目眩に襲われた龍輝は、四つん這いになっていた自分の体をゆらりと横たえる様にして、倒れた。真っ黒に黒ずみ始めた彼の視界に見えたのは、体躯をしならせてこちらに近寄ってくる青い大蛇の腹だけだった。


 「終わりか……やはり道具に頼り切っていた様だな……」


 大蛇はそう呟きながら龍輝のそばまで近寄ると、その頭を彼の下まで落とした。そして口先から伸ばした長い舌で彼を絡み取ると、今度は頭を持ち上げながらゆっくりと大口を開いた。彼は縛られた大蛇の舌を振り解こうとしたが、もう彼には体を動かす程の体力も気力も残ってはいなかった。

 龍輝の視線の先、頭から流血しながら半開きの目で見えたのは、弧を描いた一対の牙と気持ち悪く光る淡紅色の口内。その奥のぽっかりと空いた穴、大蛇の喉の中へと彼は舌に引き込まれていってしまった。


 生臭く、生暖かい肉壁の内側から龍輝は大蛇の筋肉に体中を圧縮された。体に巻き付いていた舌からはいつの間にかに開放されていたが、この状況では身動きは取れなかったし、取る体力も残ってはいない。ドクン……ドクン……と自分の全体をなびいていく様に脈動する大蛇の脈拍が彼には心地よいと思える程、完全に衰弱しきっていた。


 狭い狭い深淵に包まれ、呼吸も小さく、弱々しくなっていった時、龍輝は走馬灯を見た。ぼんやりと白く染まっていく視界には何が映っているのか見えなかった彼は、目を細めてそのモヤモヤを見遣った。

 視界には水色の肌に片手剣を携える、あのゴブリンの姿が見えた。流れる様な剣さばきで振り回した刀身は龍輝の目の前へと振り下ろされ、彼は咄嗟に身を引かせようとしながら目を閉じた。

 次にまぶたを開くと、そこには数匹のウルフの群れと、一頭のワイルドベアーが咆哮をあげている姿が見えた。数匹のウルフに体当たりをされ、地面に転がった目の前にはベアーの鋭く太い爪を生やした大きな腕が振り被っている瞬間が映り、彼はキツく目を閉じた。


 思い返してみると、龍輝はここまでロクな出来事にしか遭っていない。何で自分がゲームの世界に居るのか。何で自分がこんな目に遭っているのか。何ひとつ理解も出来ないまま、彼は殺し合いと言う名の戦闘を続け、今まさに絶命しかけていた。死にたくない。死にたくない……これを運命だというのだろうか? 仕方ない事なのだろうか……?


 こんな所で蛇に丸呑みにされて終わる自分があまりにも惨めで……理不尽で……馬鹿みたいで。



 そこに怒りすら覚えた時、彼の中に抗う勇気。彼の日常だった現代の生活の中では、まず考える事もなかっただろう、生への執着心が湧き上ったのだ。



 彼は両手を粘膜に包まれた肉壁に爪を立てて食い込ませると、力強く踏ん張りながらその壁を押し広げようとした。開いた隙間に足を折り曲げ、思いっきり肉壁をブーツの踵で蹴りつけた。

 すると、龍輝が腹の中でもがき始めた事に大蛇が気が付いたのだろう。突然、緩んでいた肉壁が一気に圧縮し、彼は筋肉の軋む音が聞こえる程、全体を強く締め付けられた。

 しかし、彼は諦めずに手を再び踏ん張らせ、大蛇の腹からの脱出を図った。だが、腹の中の粘液がヌルヌルと滑り、思う様に這い上がる事が出来ない。おまけに、龍輝は気付いていなかったが、彼の手の平は大蛇の消化液によって溶解が始まっていた。


 このままでは溶かされて蛇の栄養分になる事を察知していた龍輝は炎舞を手放した事を悔やんだ。もし、あれが手元にあったら、こんな柔らかい肉の壁など簡単に突き破れる筈なのだから。

 だが、彼はその炎舞がない今ももがき続けている。何としてでもここから脱出し、自分を飲み込んだ青い大蛇に一撃でも喰らわせてやりたいと思っていた。


 そのとき、龍輝の手の平からどす黒いマグマの様な物質が現れた。物質から揺らめく真っ黒な炎とカビの様な微粒子は真っ暗な大蛇の腹の中を照らし、その肉壁を勢い良く焼き焦がしていった。

 その瞬間、龍輝の体は空気に押されるかの様に大蛇の腹の中を滑ると、勢い良く喉から外へと吐き出された。大蛇の粘液だらけの彼は、わけのわからないままドチャリと地面に転がった。


 「ゴッ! ッハッッ!!」


 龍輝の視界の先には、酷くむせ返っている青い大蛇の姿があった。大蛇は息切れを治めると、怒りのこもった目つきで彼を睨みつける。


 「グゥゥゥウ……!!? 貴様……何をした!!!」


 龍輝は自分の両手を見た。肉壁に爪を立てていた腕の周りからは真っ黒な微粒子と炎が渦巻き、光の感じられない黒の稲妻が飛び散っていたのだ。一見、禍々しさの拭えないそれは不思議な事に、彼の身を焼き焦がす事はなかった。


 「魔法だと!? しかも、闇……こんな人間が……!!」


大蛇は龍輝の腕で踊り狂っている漆黒に驚愕していた。だが龍輝も龍輝で驚愕していた。大蛇の言った通り、自分の腕で巻き起こっているこの現象が魔法だと言うのなら、どうしてパイソンの群れの時は何も起こらなかったのだろうかと、彼はこの魔法とされる力を眺めながら、その力の発動となる源を探そうとした。


 しかし、龍輝に悠長と考えている暇はなかった。その漆黒の力を魔法と断定した大蛇は警戒を強め、その力で暴れだす前に始末にかかろうとしたのだ。


 「私の腹の中でゆっくりと溶かされていれば、楽に死ねたものを……覚悟しろッッ!!!」


 そう叫びながら大蛇は口を大きく開くと、その口の周りからイナゴの大群の様にうごめく黒い微粒子、龍輝の腕に現れている微粒子と瓜二つの物が現れた。龍輝が呆気に取られている中、黒い粒子は大蛇の口元へ集結すると、真っ黒な雷と炎をまとった球体へと変貌した。


 「カァッッ!!!」


 大蛇が雷の様な怒鳴り声と発すると、黒い球体は微粒子を撒き散らしながら龍輝のもとへと発射された。


 「うわッ!!」


龍輝は咄嗟に自分の身を守ろうと、腕を交差した。すると、黒の粒子は彼に呼応するかの様に、彼の前で膨張して広がり、自身の姿を隠してしまう程の大きな盾を形成した。


球体と盾がぶつかり、大きな爆発が起こる。爆風に巻き込まれた数匹のパイソンが吹っ飛び、血飛沫を散らしながら壁にめり込んだ。龍輝は爆風こそ盾によって守られてはいたものの、腕に伝わった衝撃に尻餅をつき、痛めた腰を押さえる。それと同時に、盾は消滅した。


その盾が消え、辺りには爆発の砂煙が巻き上がったが、その中で大蛇は大口を開けて龍輝にかぶり付こうと、煙の中から飛び出した。


「ハァッッ!!!」


「うわああああッッ!!!!」


 腰を落として動く事が出来ずにいた龍輝は、叫び声を上げながら漆黒に塗れた両手を前に突き出した。


すると、腕から伝っている闇色の物質は再び真っ黒な粒子を吹き出し、収束しながら形を形成してゆく。今度は盾ではなく、大蛇が見せた物と同じ、球体として。


そして大蛇の牙が龍輝の脳天を捉えようとした瞬間、球体だった漆黒の塊は大蛇に向かって爆散した。散弾と化したその漆黒は大蛇の鱗を貫き、肉体に安々と風穴を開けていく。数匹のパイソンも巻き込まれ、その体には空洞が空いた。


 「グッッ!! ……ガッ…!!?」


 龍輝の視界を埋め尽くさんばかりに発射された散弾は大蛇の身体を一瞬にして、血を流す事もなく削り取っていった。後に残ったのは大蛇のおぞましい牙が二本生えた上顎と、尻尾だけだった。


「…………」


 龍輝は呆然としていた。この数秒間の間に自分が起こした奇跡……魔法の力をまだ自分がやってのけたとは信じられなかったし、思ってもいなかったのだ。


「ガアアアアァァアアッッッ!!!」


 しかし、大蛇はまだ絶命してはいなかった。飛びかかった勢いをそのまま利用し、上顎のみの姿で龍輝の懐へ飛び込み、自身の牙を彼に押し当てようと、全身全霊の体当たりを仕掛けたのだ。


「……ッっ!!!」


炎舞を手放していた龍輝は、咄嗟に腕を交差させた。彼の身にまとっている黒いコートの防御能力はゴブリンとの戦いで彼は身を持って知っている。青アザぐらいの威力で済むなら、受け止める覚悟でいた。


上顎だけとなった大蛇の鼻先が龍輝の腕に衝突する。彼は体当たりを受け流そうと、腕を振り上げようとしたが、大蛇の牙が彼の鎖骨の辺り、コートに守られていない部分を掠っていった。


「あッつ……ッ!!」


 コートの中、白地のワイシャツは大蛇の牙で簡単に切り裂かれ、龍輝の地肌に到達する。鋭く、熱の篭った様な痛みが走り、彼は顔を歪めたが、それでも両足を踏ん張らせ、大蛇の上顎をぶん投げるかの様に振り払ってみせた。

 そして龍輝は大きく膝を付いた。彼のすぐそばに転がった上顎だけの大蛇が呟いた。


 「……クッ……、……様……っ……申し訳、……ありません……」


龍輝の耳がそんな言葉を捉えたその瞬間、周りでうろたえていた何十匹、数百匹のパイソンの群れが、未だ片膝をついたまま動く事のできない龍輝に向かって一斉に飛びかかった。雨あられのように襲いかかる蛇達。

 しかし、龍輝は疲れ目で蛇を睨むと、圧縮した力を、蛇に向かって一気に解き放った。


 瞬間、彼の両腕から漆黒の嵐が現れ、飛びかかる蛇を飲み込んだ。

 凄まじい爆音と共に表れた闇の炎と雷は、刃となって蛇の体を削る様に切り裂き、消失していく。

 

 嵐が消えた後には、無惨な姿となった蛇の屍の山が残っていた。そして龍輝は、その惨状には目を向けず、吐血して前のめりになって崩れ落ちた。激しくむせ返る彼の口からは血のあぶくが溢れ出た。


 彼は蛇の群れに勝利した。だが、龍輝は全身の力が抜ける様な感覚を受け、地面にガクリと片膝をつき、反射的に前に出した両手で体を支えながら前のめりに倒れた。

 自分の体が言う事を聞かない。視界がネガフィルムの様に暗転し、まばらになって、歪んだ。悪寒とも恐怖とも違う体の震え、全身そのものが悶え苦しんでいる様な震えが止まらず、彼は片膝から立ち上がる事ができなくなっていた。頭の流血は止まらず、皮膚も粘液で爛れている。


 しかし、ここに倒れていてはまた蛇に丸呑みにされてもおかしくない。龍輝は過呼吸も整えぬまま、地面から引き剥がれる様に立ち上がる。そして、遠くに転がっていた炎舞を引きずりながら、フロアの階段からダンジョンの奥を目指した。彼が歩むたび、血の足跡が残っていた。


 唾液と痰が混ざり合った血潮を吐き捨て、彼は一歩ずつ身長に段差を下りていく。視界も真っ赤に霞んでハッキリとしない今、彼は自分の足の感覚だけを頼りに道を進んでいた。

 そんな危険極まりない階段の下りを終え、なんとか通路を抜けたその先には、見上げんばかりの大きな扉が見る者を圧倒する様に佇んでいた。

 更に、その直ぐ傍。大きく壁と岩が抉られた窪みには、七色に輝く幻想的な泉が彼の視界に入ったのであった。


 それを見た直後、炎舞を無造作に手放した龍輝は、足取りもままならないまま泉に駆け寄った。後ろで炎舞が転がったのと同時に、彼は力が抜けた様に膝を付けると、地面を這いずりながら泉の縁にずるずると近付いて、水面へ口を付けようとした。

 だが、そこで遂に力尽きた彼は、顔を近付けた泉の中へと頭から落ちてしまった。そして、浮き上がってはこなかった。


 真っ暗になったフロアの中、泉の明かりだけがむなしく揺らめいていた。

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