第四話
「キャイィィィィィン!!」
と絶命する叫び声を張り上げ、その獣は息絶えた。だが周りには、まだ十数匹の獣が龍輝に向かって、威嚇のうなり声を上げていた。
突然の出来事であった。真夜中の森の獣道を歩く中、物凄いスピードで何かが近づいて来る多数の足音が龍輝の後方から聞こえてきた。剣を構えて振り向いた瞬間、ソレはもう龍輝に向かって飛びかかってきていた。
獣の正体は『ウルフ』だった。他のモンスターに比べて、素早い動きが特徴だ。
「ッ!!」
そのウルフが飛びかかってきた瞬間、すぐに龍輝は体をひねって、ウルフの攻撃をかわしながら剣を右上に振り上げ一気に斬り捨てた。無理な体勢をとったので転びそうになるが、とっさに剣を地面に突き刺して、転倒するのを防いだ。
炎舞は弱めの炎を、明かりの代わりに出しているので、周囲の状況は見えている。前述に述べた通り、数十匹のウルフに囲まれていた。
赤い光に照らされているものの、彼らの姿形を龍輝は確認した。体毛の色は黄土色に近く、目は炎に照らされて強く赤く光り、口内に収まりきらないほど大きく生えた牙からヨダレが垂れ流れている。とてもあんなもので噛みつかれたくはなかった。
「ガゥ!」
一匹のウルフが、龍輝に向かって飛びかかる。大剣で叩き落とそうとするが、直ぐに別の方向からもウルフが襲いかかってきた。彼は両手で持っていた大剣の左手を放し、その手で別の方向からやってきたウルフの鼻先にタイミングよく勢いの良いパンチを叩き込んだ。同時に右手で持った剣を振り下ろし、正面からやってきたウルフを叩き潰す様に斬り倒した。
「がッ!!?」
しかし突如、腰に強烈な衝撃を受け、龍輝は地面に転がった。どうやら襲いかかってきたウルフは、二匹だけではなかったようだ。
体当たりを受け、ゴロゴロと地面を転がり、仰向けになって止まった時、龍輝の目に映ったのは、追い討ちをかけようと、喉元目がけて飛びかかってきた、三匹のウルフであった。
「…っ!!!」
内心焦りながらも、転がりつつも放さなかった炎舞に力を込め、大きな爆炎をまとわせると、それをウルフ達に目がけて薙ぎ払った。爆炎は爆風となってウルフを吹き飛ばし、さらに炎でその身を焼き焦がしていく。龍輝が立ち上がった時には、すでにウルフは動かなくなった火だるまと化していた。
剣を構え、目の前の敵をにらみつける龍輝。正面には鼻血を出したウルフがいる。さっき彼が殴り飛ばした奴だった。
そのウルフを正面にして、彼らは龍輝を囲む様に、ゆっくりと広がっていく。数が減ったので何匹いるか確認できた。その数、残り八匹である。
「バゥ!」
鼻血を出したウルフが龍輝に向かって突っ込んできた。目はいつもより更に赤く、血走っていた。どうやら、かなり頭にきているらしい。
反比例して、龍輝は冷静に目の前に向かってきたウルフを睨むと、ゆっくりと剣を構えた。そして、ウルフが龍輝の顔に飛び掛かった瞬間、龍輝は剣を素早く前に振り下ろして、刀身の先でウルフの首をすっ飛ばした。
ズッという鈍い音と共に血飛沫が舞う。ウルフの体は、首から先がなくなっていても、龍輝に向かって飛んできたが、龍輝は直ぐに剣を構え直すと、ありったけの力で裏拳を叩き込み、その体を吹っ飛ばした。すでに機能しなくなった頭は、勢いのままに数メートル飛ぶと、茂みに落ちて転がっていった。
止まってはいられない。すぐに別の方向からもウルフが襲いかかって来ていた。腰に向かってきたウルフをミドルキックで押し返し、足に食らいつこうとしてきた奴には剣を突き刺し、頭をかち割った。これで残りは六匹。ミドルキックの奴は倒せなかった。
さらに三匹のウルフが多方向から龍輝に襲いかかる。二匹までなら何とかなるが、三匹以上は炎舞の力を使わないと、今の彼にはどうしようもなかった。
龍輝は再度、炎舞の炎を大きくすると、素早く振り回して、炎の膜を形成した。ウルフは膜に包まれた瞬間、瞬く間に燃え上がり、ギャウギャウと断末魔の叫び声を上げながら、地面を転がり回ったが、やがて、ぐったりと動かなくなって息絶えた。
残り三匹、ずでに龍輝には勝機があった。このまま三匹で向かってきても、爆炎をまとった炎舞の一振りで何とかなるだろう。それくらいの自信だ。
「……来んな……」
そう言ってみるものの、目の前の獣は逃げる素振りなど全く見せなかった。
仕方がない、走って逃げれる相手ではないのだ。そう思うと、龍輝は大剣を両手で構え直し、強く握り締める。同時に一匹のウルフが走り出し、大きく跳躍する。狙いはもちろん龍輝だ。
顔を見上げなければいけない程の跳躍。龍輝にはスローモーションのようにも見えた。星空に浮かぶ、赤い目のウルフ。龍輝に向かって落ち、口を大きく広げている。
それは、自分が真っ二つに叩き斬るはずのウルフ……のはずだった……。
突然の轟音。木と木の間から大きな黒い影が飛び出し、落ちてきたウルフへと噛みついた。そのまま地響きを起こして着地すると、片手で噛みついたウルフを豪快に引き千切り、ポイッと投げ捨てる。そして、口内に残ったウルフの肉を、グッチャグッチャと汚らしく咀嚼しながら、ゆっくりと背筋を立てると、龍輝達の方へと振り向いた。
二メートル……いや、三メートルはあるだろうか。目の前に現れたのは馬鹿でかい熊、正しくは馬鹿でかい熊のモンスターであった。名前は『ワイルドベアー』。ここらの森では敵無しの強さを誇り、食物連鎖の頂点に立っているモンスターであった。
巨体がこちらに振り返ると、ウルフはたじろいで怯えながらベアーから距離をとっている。どうやら、こいつがここら一帯では最強だという事はウルフ達、モンスターにも知れ渡っているらしい。
その内、一匹のウルフが、一目散に逃げ出そうとした。しかしベアーは、その巨体からは考えられないくらいのジャンプをすると、そのウルフに向かって、勢いよくボディプレスを繰り出した。
ズシーン! というけたたましい音と共に激しい地響きが起こり、龍輝は大剣を地面に突き刺してバランスを整えた。ウルフは声を上げる暇もなく、パンクした様に血を噴き出して絶命していた。
ベアーは地面に腰を下ろし、血みどろになって絶命したウルフを掴み上げると、バリバリと頭から齧り始めた。それと同時に、残った最後の一匹のウルフがその場から逃げ出した。
龍輝は、えっ!?という顔しながら、逃げるウルフを見つつ、再びベアーへと目を向けた。ベアーは逃げたウルフなど全く気にせず、獲物へと齧りついていた。
「あぁ……」
そこまで見ると、全てを理解した龍輝はそれ以上深く考える事などなく、大剣を担いでベアーに背を向けて、全速力で逃げ出した。方向はどうでもよかった。一刻も早くこの場から離れるのが先決だった。
本来なら、ワイルドベアーはこの森の最強とは言え、ここは<Another world>の初心者がうろつく様な場所である。すでに中堅以上とも言える龍輝と比べれば、能力値は全て彼に劣っていた。彼なら倒せる相手だったのだ。しかし『熊』というあまりにもリアルな存在が、彼にとってはとんでもない恐怖の対象へとなっていた。龍輝は実物の熊を見た事がなかった。彼が動物園に遊びにいったのは幼稚園の頃であり、それが最初で最後だった。
ベアーはウルフを食べ終えると、次の獲物へと目を向けた。その獲物は、ぼんやり赤く光っている。狙われたのは龍輝だった。
龍輝の後ろから、ズシン…ズシンと何かが近づいて来る音がしていた。彼は振り向かなくてもその正体はわかっていたが、振り向かずにはいられなかった。
来た。三メートルあるであろう大きな熊が、前足と後ろ足で地面を蹴りつけながら、彼に向かって走って来ていた。
龍輝は逃げ出した時、炎舞の炎を消そうと思った。が、消すと地面が見えなくなってしまい、転ぶ可能性が出てくる。それだけは勘弁したかった。今、転べばどうなるかはわかっている。あのウルフと同じ末路をたどる事になるのだ。
それだけは嫌だと、龍輝は今までにないぐらいの全力疾走で、森を駆け抜けていく。木と木の間をすり抜け、倒れた木は飛び越えた。それは、ワイルドベアーを振り切るほどの速さであった。
ベアーを振り切った事に気づかないまま、龍輝は真っ暗な森を闇雲に走り抜けていくと、なんと森から抜け出す事に成功した。だが、夜空の星明かりに照らされた龍輝の視界に広がったのは、横一面に広がる岩の壁。どうやら切り立った崖の下に出てしまったらしい。しかし、よく見るとすぐ近くに洞窟の様な穴が空いていた。
龍輝は一度炎を消すと、脇目もふらずに洞窟へと駆け込んだ。他のモンスターの巣、という可能性もあったのだが、今の龍輝は身を潜めようとする事で頭が精一杯だった。
洞窟は階段のような段差があり、そこを龍輝は駆け下りていった。やがて光が届かなくなってきたので、炎舞に再び火を灯した。
と、目の前に見えたのは大きな扉。龍輝はその扉を押し開けると、力尽きた様に倒れ込み、炎舞を放り投げ、ゴロゴロと回転して大の字になると、そこでようやく深い息を吐いたのだった。もうあの大きな音は聞こえていない。体は強烈な肉体疲労で限界を超えていた。龍輝の顔にはそれだけの疲れが滲み出ていた。
しかし、次の音で龍輝は再び我に帰った。
突然、ゴゴゴゴゴ……という音と共に、龍輝の開けた扉がひとりでに閉まり始めたのだ。
「ちょ…!!? 待って…!!」
待ってはくれない。
龍輝は重たい体を叩き起こして扉へと走るが、疲労の重なった足がもつれてすっ転んでしまった。そしてちょうど彼が転んだところでその扉はズン!と重たい音をたてて閉まった。
次の瞬間、扉に魔方陣が、ブォンと音を立てながら浮かび上がったかと思うと、まるで鍵をかけたかの様に回転し、ガチャリと音が鳴って、消えた。同時に彼の倒れている真っ暗だった場所が徐々に明るくなり、周りの状況が明らかとなっていった。
そこは真四角な通路が続いている洞窟だった。結構広く、地面は手入れのされていない岩だった。
すっ転んだ龍輝は、ずるずると体を引きずりながら閉じた扉の前に近寄ると、扉の前でゆっくりと立ち上がった。
彼は目の前の扉を押してみる。両手で押し込むが、びくともしない。扉にはドアノブがないので引く事ができない。
「………………………」
閉じ込められた龍輝は扉に背をつけるとそのまま、ぺたんと腰を下ろした。彼はこの世界に来てから半日、ロクに休憩もせず足を歩ませ、そして命懸けで慣れない戦闘をしてきた。もう彼の体力は限界に達していた。
自分のまぶたが重かった。龍輝は大きなあくびをして、すぐそばに転がっていた炎舞を抱き寄せると、
「寂しいよ……」
と一言呟き、ゆっくりと目を閉じた。その瞬間、彼は死んだ様に深い眠りへと落ちていった。余熱を放っている炎舞が、彼には心地よく感じていた。