第三話
龍輝は片手で大剣を持ったまま、その場に大の字でぶっ倒れていた。吐く息はゼエゼエと荒く、視界は霞んでいる。無理もない、さっきまで自分はここで、激闘を繰り広げていたのだから。
すぐそばには真っ二つに切り裂かれ、黒焦げとなった人の形をした遺体と、熱で溶段された片手剣、血飛沫の舞い散った赤い草原が広がっていた。焼死体のそばの草は完全に焼けていて、焦げた黒い地面が顔を出していた。
ゴブリンと剣を交えた瞬間、自分の大剣が炎に包まれている事に龍輝は気づいた。ゴブリンの剣は交えた場所が溶けたかと思うと、そのまま大剣の剣圧で叩き割れ、ゴブリンを袈裟に真っ二つに切り裂いた。斬撃は切り口から一気に発火して、舞い上がった炎はゴブリンに悲鳴を上げる時間も与えぬまま焼き払っていった。
その一瞬の出来事に龍輝はついていく事ができずに呆然とした。そして、あれほど激しかった激闘が終わった事に果てしない安心を得た彼は、とてつもない疲労感に腰を落として草原へとぶっ倒れたのであった。
しばらくすると身体が落ち着いてきたので、龍輝は片手でゆっくり立ち上がると、周りの有様に目を移した。時折、風の吹く方向が変わって、焦げ臭い匂いが鼻を刺激した。
ゲームで倒したモンスターは、真っ黒に染まっていきながらボロボロと崩れ落ちて、空間に消えていった。だが目の前には一向に消える気配のないゴブリンの死骸が、この世界が現実だという事を痛感された。
ひと回りすると、彼は自分の持つ剣へと目を向けた。あれほどの激闘を繰り広げたというのにも関わらず、その刀身は刃こぼれひとつしていなかった。刀身の先と柄の側には金色の炎の様な紋様が浮き彫りされており、峰の部分には深紅のガラスの様な物質が、峰全体を覆う様に取り付けられている。
先の戦闘で大剣は血みどろに汚れていた。拭き取る物は持っておらず、着ている服でぬぐうのもためらわれた龍輝は、周りに生えている草に血まみれのそれを押しつけた。
値を被った大剣が少しだけ綺麗なったあと、龍輝は大剣に取り付けられた深紅のそれを、割れ物でも扱う様に優しく指を触れた。
『魔法石』。<Another world>の世界にある魔力を含んだ石の事を指す。これは魔法が使えないプレイヤーにも、魔法とほぼ同じ力を使う事ができる優れたアイテムであった。龍輝も『戦士』や『武士』だった頃はこれを使用していた時代があった。
その中でも質の良い魔法石は永遠に使い続ける事のできる優れ物が存在した。そういった魔法石は、ただ持って使うアイテムだけでは留まらない。武器に使う事で更なる力を発揮してくれる。剣に炎の魔法石を付ければ、その剣は炎を纏い、杖に氷の魔法石を付ければ、MPの無い者でも、氷塊を放つ事ができる魔法の杖へと変化する。
だが、質の良い魔法石が手に入るのは冒険の間でも稀で、大概の物は魔法を何度か使うと粉々に砕け散ってしまう消費アイテムとしての印象が強い。そういった物は戦いとしてだけでなく、ランタンや火種などの身近かな生活用具に使われていく。
そんな便利な道具である魔法石は、この世界の色んな場所で採る事できる。また、場所によって採れる魔法石の種類も異なる。例えば、火山の噴火する山々には、赤く光る、炎の魔法石が採れる。冷たい海の深くには、青く光る、水の魔法石が採れるのだ。
魔法石がどうやって出来ているのかは不明だが、便利なおかつ強力なのは、間違いない。今、龍輝の持っている剣も、上質な魔法石を贅沢にあしらった業物だ。あの炎も、この剣の魔法石が発揮したのである。
しかし今の龍輝には、そんな事はどうでもよかったのだ。
龍輝はしばらく剣に目を向けると、ふと思いついた様に『MPB』を取り出し、自分の武器が載っているページを開いた。
<装備>
<武>
爆炎刀・炎舞
<防>
闇龍のコート
<副>
心眼の腕輪
<名前>
爆炎刀・炎舞
<能力>
・防御無視
・炎攻撃
・攻撃速度上昇
・攻撃回数増加
<説明>
『轟炎刀・炎舞』に、上質な『爆炎石』をふんだんに使い、強化した大太刀。爆炎石は推進力の役割を果たし、剣速を速め、同時に剣の威力を高めている。扱いには慣れが必要だが、使いこなせば鉄板すら叩き切る程の威力を持つ。
そこまで見ると、龍輝はMPBをしまって、再び自分の持っている大剣に目を向けた。
確かに炎舞は振る度に刀身から炎が上がり、剣の威力を高めている……という設定がある。だがあくまでそれは設定にすぎなかった。システムのデータ上は、炎などあってもなくても剣の威力は変わらない。飾りの様な物なのである。パソコンの画面に映る、炎を出しながら敵を次々倒していくもう一人の自分。今まではそんな光景を見て、炎舞に惚れ惚れしていればよかったのかもしれない。
だが、今は違った。あの炎は名前通りの爆炎となり、龍輝を包み込むほどの炎を起こしたのだ。目の前で剣を交え合ったゴブリンは、炎舞の熱に剣を折られ、炎に包まれた。草は一瞬にして灰となり、地面は黒く焦げた。
龍輝は炎舞を真っ直ぐに前へと向け、自分なりに力を込めてみた。さほど苦労もせずに深紅の魔法石から、ボゥっと赤い炎が上がった。それをまじまじと観察しながら彼は力を込め、炎を大きくしていく。力を送り込むというイメージはなんとなく理解できたようだ。
炎が大きくなるに連れ、剣が下へと動きそうになるが、腕の力でそれを押さえた。爆炎石が推進力として働いている様だ。炎はバチバチと音を立てながら盛んに燃え続け、剣を包み込もうとしている。龍輝は剣を両手でもって、自分の前へとゆっくり近づけた。顔の周りと柄を握っている両手が熱かった。下手に扱えば自分も火傷しかねないじゃじゃ馬の様な剣。はたして自分に扱えるのだろうかと龍輝は今になって不安になっていた。
龍輝は剣を持ち直し、ゆっくりと構えた。風は踊る様に吹き荒れている。
一歩踏み込み、横薙ぎに剣を振った。剣は深紅のブースターで勢いを増し、振り払った跡を残す様に炎が流れていって……消えた。
続けて二回、三回と前進しながら剣を振る。ブースターの勢いに、体が振り回されそうになるが、地面を踏み締めて、それに耐える。何度か繰り返し、ブースターの勢いを調節していく。
そして少し大げさに剣を構えると、龍輝は炎舞へ更に力を込めた。一気に周りの空気が熱くなった。炎の勢いが更に強くなり、刀身を包んでいく。そして、彼は炎をまとった大剣を、ジャンプで一回りしながら地面を豪快に切り飛ばした。
風の吹く草原に、二度目の爆炎が舞い上がった。
爆炎の音を耳で塞いでしまいたかった龍輝だが、我慢した。これからは何度も、この轟音を聞く事になる。そう思ったからだ。
爆炎は、龍輝の右側を、焼け野原にしていた。どうやら剣の振り方で爆風の向きが変わり、力の込め方で炎の威力も変わるらしい。応用はいくらでもできそうだった。
龍輝は考えを巡らす。パソコンの時では、こんな事はなかったからだ。『炎舞』はただ炎を出して、敵を斬っていく剣だった。こんな大きな爆炎は見た事がなかった。だが、この剣は爆発を起こし、草原を焼いた。爆発したのは、この目で見た通り、紛れもない事実なのである。
設定と現実の疑問が交錯する中、龍輝は一つの結論を出した。
この世界は、<Another world>にそっくり似た、もう一つの世界だと考えた。今、自分が踏み締めている草の大地も、手に握り締めている大剣も、全て現実なのである。
だとすると、なぜ自分はこの世界にいるのだろうか。それも、パソコンで使っていた装備の姿で。という疑問が浮かんだが、これ以上の考え事はキリがないと判断して、龍輝は考えを止めた。
まだまだ魔法の事が頭に残っていたが、こちらはなんとかなりそうだったので、今は考えなかった。炎舞の時と同じ要領で、今度は魔法をイメージすれば良いと思ったのだから。
気がつくと太陽はもう西に傾いて、空は橙色が混ざり始めていた。いったいゴブリンとの戦闘から休憩まで何時間かかったのか、彼にはわからなかったが、こうしてはいられない。まだゴブリンしか見ていないが、こんな所で寝たらモンスターのエサになるかもしれない。龍輝は大剣を肩に担ぐと、大急ぎで草原を走り出した。
それにしても、初戦ならあんな恐ろしく強力なゴブリンなんかよりも、もっと弱い雑魚モンスターと戦いたかったと、龍輝は今更ながらに嘆いていた。
走りはいつの間にかまた歩きに戻っていたが、草原の終わりが見えたその先には木々の生い茂る森が広がっていた。この森を抜ければ、龍輝の知っている『ユグドラシア』に着く筈だ。
しかし龍輝は苦笑いをして、その森をじっと眺めていた。既に日は暮れ、夜空には幾つもの星が光り輝いていた。森からは獣の鳴き声こそ聞こえないものの、数メートル先は真っ暗で、獣道が口を開けたかの様に龍輝を迎え入れようとしている。
恐いのだ。右手は担いだ剣を、しっかり掴んでいるが、左手と両足は僅かに震えていた。
龍輝は悩み始めた。ここで夜が明けるまで起きて待つか、意を決っして森を突き進むか……。もしこの森に入れば暗闇の中を進む事になるだろう。炎舞は灯りの代わりになるが、そんな事をしたらまだ見ぬモンスターに見つかる可能性が倍以上に跳ね上がるのもわかっている。だがここで待っていても炎舞には火を灯すつもりだったし、ジッとしていると眠くなってしまう危険も考えていた。
本格的に悩もうとしたその時、龍輝のお腹から、ぐぅ…と音が鳴った。
「…………………………」
思えば、彼はこの世界に来てからまだ何も食べ物を口にしていない。大剣を振り回してゴブリンを倒した上、一時間以上歩き、走ったのだ。喉も渇いていたが、それ以上にお腹が空いていた。
「………………ハァ……」
龍輝は炎舞に火を灯すと、暗い森の中へと足を踏み入れた。やはり背に腹は変えられない。変えている物が間違っている様な気もするが、彼は一刻も早く町へ着く事を優先したのであった。
風は既に止み、静寂だけが、森と草原を支配していた。