4
白石、黙ってしまった。これで彼の負けだ。此処からはもう彼女が語り続ける。他人には止められない。彼女の独壇場だ。止める術は一つ、止められるのは彼女自身だけ……。
「人間差別? じゃあ、あんたは何故召使いを雇うの? 良く考えてみなさい。それは人権を金で買ってるんじゃ無いの? 自由も時間も肉体も、金で買ってるでしょ。召使いと奴隷の違いは何? 結局、元は同じでしょ。要はお金。奴隷だってそれ相応のお金貰ってたら文句も言えない。あれ、もしかして、自覚症状無し? 有るわけ無いわよね。じゃなかったら人に説教出来るわけないもんね。自分がやっといて人には批判するなんて、人間の屑よ。それにあんた、人間差別云々の前に動物差別はどうなのよ?」
「動物差別なんてするわけ無いだろ!」
「……ぷっ、あはははははは!」
白石の否定的な言葉に彼女は腹を抱えて笑う。白石は彼女の笑い声に激怒し、机を乱暴に殴る。
「何笑ってんだよ!?」
「あんた、今自分が言った意味分かってないでしょ」
彼女は白石の声紋を真似て、あの言葉を復唱した。
「動物差別なんてするわけ無いだろ! って言ったわねあんた、じゃあ、自分は何も食さないと言いたいわけね。ま、そんな訳無いわよね。食べなきゃ生きてけないもんね。動物を殺さなきゃ生きてけない。けど、それも差別でしょ。人間に動物を殺す権利なんて無いんだから。そんな権利も無いのに、殺すことを許されるわけないもんね。けど、あんたは殺してる。たとえそれが直接的で無くても。自分達の私利私欲のために殺すことは差別じゃ無いの? その関係は対等?」
彼女の長い語りが終焉を迎えた。そして、長い沈黙の幕が上がる。
誰も何も話さない。
誰も何も語らない。
沈黙を破る役目、沈黙を破る権利、それを持っているのはたった一人。
「文句有る奴はいないみたいね。これに懲りたら、私に逆らうのを辞めなさい」
長い長い沈黙を破る役目を果たした彼女は白石に指差す。その顔、その指、その姿勢、その態度、全てが、勝ち誇った優越感に浸っている。
白石は顔をうなだれたように見えた。しかし、下では拳を作っていた。
「お前は一体何様なんだよ!?」白石は叫ぶように、大声で彼女の正体を問う。それはあまりに無関係で無意味な問いだ。
「何様か? 私は女神様よ、女神様。あんた達とは住む世界が違いすぎたかしら?」
女神、誰が付けたかそれは付けた人物しか分からない。どこにいるかさえ、付けた人間が覚えているかさえ、生存しているかさえ、分からない。
「女神ってお前は神でも気取ってんのかよ!?」
「まぁ、似たようなもんね。聞いたこと無いかしら? 幸運の女神、小与木明斗ってね」
彼女は気に入っているのか、自分の渾名と共に自分の正体を明かす。
「小与木明斗ってあの世界最大の大金持ちのか!?」
白石が驚きの声を上げる。
「他に誰がいるっていうのよ?」
幸福の女神、僕が彼女と出会った時には既に付いている。
彼女がこう呼ばれるようになった理由、それは彼女のまだまだ短い生涯に関係している。彼女が生まれたのは、極々普通、平々凡々の家系だ。そして、彼女の始まりは幸運の混ざった不幸からだった。今から十五年前、一九九三年。僕が五歳の時、最近になって知った事件。
銀行立てこもり爆破事件。
強盗に入った犯人達が警察に追い込まれ、人質を捕って銀行に籠城し、最終的には銀行を爆破し、人質諸共心中した。彼女は両親と共に事件に巻き込まれた。その時の生き残り、唯一の生存者、それが彼女だ。当時、彼女は一歳程。事件の実際の記憶があるかは知らない。有るかもしれないし、無いかもしれない。
知っているのは彼女だけだ。そして、不幸を経験した彼女の幸福な人生はここから始まる。孤児となった彼女は、程なくして孤児院に送られる。そこで彼女は継父となる真野源藏に出会ったのだ。
真野源藏、世界最大級の大富豪。一代で巨万の富を築く。今では医療や介護、IT、様々な業界に手を出し、全て成功の結果を打ち出している。そんな真野は自らが園長を務める孤児院で彼女を見つける。真野が彼女の何に惹かれたかは分からない。気紛れかもしれない。それは彼女にも分からないらしい。真野が彼女を養子として引き取った時、彼女が三歳の時だった。真野は独身で彼女を迎えた時には、七十歳を越えていた。真野は彼女を後継者として、経済学や帝王学などを学ばせる。
そこで彼女の才能が目覚める。
彼女が最初に手を付けたのは株。当時、彼女は七歳だったらしいが、小遣い稼ぎなんて物ではなかったらしい。中小会社を潰しかねないほどの株を動かしていたらしい。彼女の才能を見た真野は直ぐに曾孫会社の任せる。正直、それは余りに大胆過ぎると思うが、彼女はそこでも才能を発揮する。従業員十名だった曾孫会社を二年で従業員千名の子会社にまで成長させたらしい。そして、彼女が幸運の女神と呼ばれる最大の理由、それは彼女の運だ。彼女の幸運の鱗片を見せたのは、彼女が五歳の時だ。
彼女が気紛れで買った宝くじ、それが一等に当選したのだ。そして、彼女の幸運は留まることを知らない。競馬、競輪、競艇、じゃんけんを含めても、賭事に関しては彼女は負けを知らない。そして、その幸運が話題となり、いつしか彼女は幸運の女神と呼ばれるようになったらしい。
これが僕が知っている彼女の過去。彼女が僕を飼う前に聞いた最大限の過去の話、嘘か真か、僕には分からない。分かるのは、全ての真相を知っているのは彼女だけ。
それに僕には過去という言葉が分からない。
彼女が僕と出会った時。彼女が僕を死に神と名付けた時。
彼女が僕を死に神と名付けるきっかけになったあの事件。彼女が僕を飼うきっかけになった事件。
「あんたといたら、しばらくは飽きないわね」
彼女が事件の後に言った言葉。彼女が暇つぶしのために言った言葉。
あの事件、それが僕が記憶を失った事件らしい。僕は彼女と出会う前の記憶を失っている。何時何処でどうやって失ったかさえ失った。だから、僕の記憶は彼女と出会った、正確には初めて再開した瞬間から始まっている。前の記憶は戻らない。それが医者の見解。精神的な物らしく、治療法は無い。強いて言うなら、自然に戻るのを待つしか無いらしい。
さて、今は過去に浸っている状況では無い。そろそろ視点を現実に戻そう。
彼女の正体を知った白石と安藤は明らかに度肝を抜かれている。
しかし、笑い始めたのは彼女では無く、白石。
「それは嘘だろ! そんな奴が学校にいる訳ないだろ! 大体、証拠はあんのかよ!?」
証拠、証拠、と白石が彼女をはやし立てる。全くもってみっともない。こんな状況で疑心暗鬼になるのは分からなくもないが、全くもってみっともない。正体に嘘をついて何になるというのだろうか。
「別に信じたく無かったら信じなくていいんじゃない? それはあんたの自由でしょ」
彼女はあっさりと、軽くあしらうように手でひらひらと白石を払う。彼女にとって、自分が何者かなんて関係無いのかもしれない。恐らく彼女は自分自身しか信用していない。地位など関係無い。他人を信用していない。それは最大級の疑心暗鬼にも思えるが、彼女が元々人間に興味が有るのか分からない。僕の場合は人間として見られていないので論外だ。
それでも、彼女は最大級、最大に匹敵していない。自分を信じているだけまだマシだ。最大の正疑心は自分すらも信じない。信じられない。それは僕のように。記憶が信じられない僕のように。
話を変えるため、少し強めに手を叩く。注目が僕に集まる。
「この話はもう終わりにしましょう。次に聞きたいのは、皆さんの東雲さんとの関係です」
正直、これもどうでもいいことだが、聞いておいて損は無いと思う。いや、思いたい。快楽殺人か外部犯で無ければ役に立つかもしれない。
「私はさっき言った通り、彼女とは友達だったわ」
彼女は語尾を過去形にする。改めて彼女が無情だと思う。彼女の言葉の意味を気付かなかったのか、怒りそうな白石は何も言わなかった。
「ぼ、僕は演劇部で一緒でした。彼女が後輩です」
安藤は先輩だったのか。恐らく白石も先輩だろう。安藤は未だにどこか不自然だ。いつもこんな風なのか、何か疚しいことが有るのか。それにしても演劇部か。そもそもこんな学校に部活動という概念が有ったことが驚きだ。
残るのは白石だけだ。白石に聞こうとした彼の表情を見て、戸惑う。何かを思い悩んでいる顔だ。明らかに今の話を聞いていない。声を掛けようか悩んだ僕に彼女が耳打ちする。
「あいつは東雲の恋人なのよ。最近上手くいってなかったみたいだけどね」
そうだったのか、彼女はきっと東雲さんから相談に乗っていたのだろう。部活動の仲間、不仲になってきた恋人、相談出来る友達。脈絡の無いようにしか思えない。知り合いでも無い知り合いを集めて、無残に殺された彼女。
彼女は一体何がしたかったのだろう。それも今となっては藪の中。
僕が時間を見ると、既に一時を回っている。他に聞くことはあっただろうか。考えてみたが、彼女に経緯を聞くこと以外思い当たらない。
「僕が聞きたいのは以上です。これからどうしますか?」
このまま、帰らせる――という訳にもいかないだろう。犯人が不明なのに帰った後で証拠を隠滅されたら元も子もない。
「帰る、っていう選択肢は無いんだよね?」
安藤は半分諦めた顔で僕に問いかけてくる。彼も今がどういう状況かは理解しているようだ。
「当たり前でしょ。あんた馬鹿でしょ」
彼女が僕の代わりに安藤の希望の芽を摘む。侮辱のオマケ付きで。