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僕は校門の前に車を停める。車は黒光りの高級車、三メートルはある無駄に長いリムジンである。中は黒革のソファーに真紅の絨毯。小型の冷蔵庫やテレビまで完備されている。ここで本日最初の溜め息。七月、季節は夏、決して燕尾服を着るような季節ではない。時間は日を跨ぎ、夜の時間帯だが正直暑い。
彼女の通っている学校、名前は忘れてしまった。教えて貰ったかさえ定かでは無いのだが……。山の中の中、鬱蒼と生い茂った木々の中にぽっかり開いた穴のような場所。何故こんなところにあるのだろうと思いたくなるほど山奥に作られた巨大な、富を持った家系の者が通うお金持ちの学校。
僕は彼女から返信が来るのを諦め、暑さに苛立ちを感じながら校舎を見る。僕よりも大きい、二メートルより少し不足する西洋風の等間隔に隙間のある鉄の校門は外的の者を決して寄せ付けない黒々しい雰囲気を放っているように思える。校舎までは一キロ以上離れている。外壁は門よりも大きく、その上に有刺鉄線が張り巡らされていてとても人間が通れるとは思えない。電気が付いている部屋は三階に二つ。どちらかに彼女がいると思って良いだろう。
「ばれませんように」
ジャンプして、ギリギリのところで門を上部に掴んでぶら下がる。そのまま鉄棒の要領で体を上げる。後は足を門に掛け飛び降りて--着地。着地した僕は成功した安堵よりも足の予想以上の衝撃に耐えることが必要だった。意味もなく屈伸しながら、周りに変化の無いことを確認する。
屈伸を終えて、校舎との距離を測る。此処から歩いて四分ぐらいか……。此処からだと、上から漏れてくる光で辛うじて入り口が解る。
大体三分の二に来たところで、走らざるをえなくなった。入り口の前の微かな人影、それが彼女と酷似していたからだ。見つけた人影は矢張り彼女だった。
髪は黒というよりブラウンに近い。日本人特有の艶もある。髪型は首筋の上までしかないショートカット。前髪はシャギーが入ってギザギザ。マッチ棒が簡単に乗りそうな長い睫毛。大きく開いた目の中には褐色の瞳が此方に向いている。教えて貰った年齢なら高校生なのだが、体躯は中学一生、いや、小学生の高学年ほど。成長期の筈なんだが、以前と何ら変わりない。膝上の藍色ジーンズ。七分袖の白の生地に真ん中には矢でハートを射抜かれたマークがあしらわれている。ファッションには疎いがカジュアルで無難な格好だと、僕でも分かる。
「遅い」早々に彼女が文句を言ってくる。「いつまで待たせる気よ」
「すみません」
「まぁ、良いわ、行くわよ」
彼女は手招きして、校舎の真ん中にある階段を登り始める。彼女に呼び出され、理由も聞けず。無理矢理連行されて着いた場所は三階。六つあるうちの左から三番目、二の三の教室。彼女は後ろのドアを開ける。教室は八席五列の四十席の机が規則正しく並び、カーテンが外された窓は完全に閉じている。
そして、そこにあったのは死体。それは四肢の無い死体。つまり五体不満足の死体。死体は黒板の上、時計の上に打ち込まれた杭からロープで少し太めの首を括り、宙に吊されている。
口はだらしなく開き涎が垂れ、目は不思議にも閉じている。普通は見開いている筈なんだが。
服装は足首まであるであろう、ロング丈の青色のスカート、ピンクの半袖のシャツに黄色いカチューシャ。袖に通っているはずの両腕は存在しない。その証拠に袖は有り得ない方向に曲がっている。スカートから出ているはずの足は無い。透明になっている。なんて有り得ない訳では無いが、今はそんな現実を考えたくない。死んでから長時間経ったのか、血の滴は落ちていない。血は服を染め、黒板に飛散。床に池が出来ている。
殺されてから吊された――いや、僕は自分の考えを否定する。それなら血は黒板に飛び散ったりするはずがない。ロープの絞殺か。傷口からの出血死か。はたまた自由の利かない身を引き裂く痛みのショック死か。
一般人からしてみれば、汚物を口外にまき散らしたくなるほどの残骸にも動揺することも無い。僕は静かに合掌を残骸に向ける。
「私の友達、東雲杏奈ちゃん」
僕は少し驚く。彼女に友達と呼べる人がいたことにだ。と言っても、彼女の日常は良く知っている訳ではない。全くと言っていいほど知らない。
「呼んだ理由は分かってるわよね」
「分かってますよ」
分かってる。それが僕が呼び出された理由。此処に存在する理由。必要とされている理由。
「分かっているなら、さっさと行くわよ。はいこれ」と彼女がそれを投げてくる。
明るい赤の首輪。首輪、ペットとの主従関係を形で表した物。それを渡されるのは初めてではない。呼び出された時は必ず渡される。それは赤の時もあれば、青、緑、黄、白、茶、黒。色とりどりの首輪をしている。手際良く首輪を付けると、無言で前の彼女を少し後ろを歩く。これは彼女の命令では無い。決して彼女の前を歩かない。忠誠心でも何でもない、単なる癖だ。
ついて行った先は二年五組。彼女はスライド式のドアを勢い良く開ける。ドアは一度縁に衝突すると、少しだけ戻ってきた。
触らぬ神に祟りなし。正にその通りである。彼女の感に触らないように気配を消す。残念だが、彼女の苛立る心を静める方法を心得ていない。彼女は態とらしく足を踏みならしながら教壇の上に立つ。僕は真逆に足音をたてないように教壇の上に立つ。