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【BL】春時雨  作者: 雨傘 はる
その後
9/9

夕立ちの人。


打ち合わせのため訪れたのは、いくつかの会社が名を連ねる総合ビル。

エントランスは広く、普段ならあちこちで名刺の交換や挨拶の声が飛び交っているが、土曜日だからか人は疎ら。


何気なく辺りを見渡し、目を引いたのはゴージャスな巻き髪の美女だった。

豊満な体躯をセンスのいいスーツで包み、品のある化粧が派手な顔立ちを引き立てている。

目立つが、決して下品ではない。仕事ができそうだな、と誰もが思うような所作がある。


来客を見送り、カツカツと早い足音の彼女が通り過ぎた時。


知華(ちか)


聞こえた声に、菊野は心臓が止まるかと思った。

疑うはずもない。想い人の声だ。バクバクと一気に鼓動が早くなる。


このビルに勤めていたとは、付き合い始めた今でも知らなかった。

そして、先ほどの美女を名呼びするほど親しいことも、当然のように。


「何よ、どうしたの」


「手を借りたい」


「今度は何」


つっけんどんな言葉に聞こえるが、彼女の声には笑みが混じっている。

対する夕も、普段よりずいぶん砕けているように思えた。


「打ち上げの景品」


「やーだ、すっかり忘れてたわ。夕、さすがだわね」


「買いに行くか、取り寄せるか。選ぶのは一緒にやってくれると助かる」


「そうねえ。来週以降の私のスケジュール、適当に押さえといて。夕、これから外なら、傘持って行きなね。折り畳みある?」


「あ、デスク」


「ほら」


「ありがとう、助かる」


「はいはい。行ってらっしゃい」


気さくに女性と別れた夕の気配が近づく。知らず、菊野の肩に力が入った。


「あれ、菊野さん?」


バクン、とひと際心臓が跳ねる。

慌てて顔を上げると、女性物と思しき折り畳み傘を手に、夕が目を丸くしてこちらを見ていた。


なんとか笑みを貼りつける。彼とは、夜に会う予定だったが。


「夕くん、奇遇だね」


「こんにちは」


律儀に向き直って礼をしてくれるが、菊野は彼の持つ折り畳み傘と、何より外への用事が気になって仕方ない。

今日は土曜日だ。本来なら、休日のはず。急ぎでないわけがない。


「夕くん、俺は構わないから。ね、お仕事中だし」


「ありがとうございます。では、夜に」


「うん。気をつけてね」


彼を見送ってほっと息をついた頃、菊野の打ち合わせ相手も姿を表し、仕事モードへと意識を切り替えた。







「あら」


「あ」


想定よりも打ち合わせが長引き、もうすぐ17時になるかという頃、いくらか照明の落ちたエントランスに降りると二人の女性がいた。

片方は、あの美女だ。彼女も菊野と夕が挨拶していたのを見ていたのだろう、なんとなく会釈し合う。


そのまま出口に向かうと、パタパタと急いた足音がして、夕が入ってきた。

頭を振って髪についた雨粒を散らし、菊野と美女たちを見てきょとんとする。


「夕くん、今戻り? 俺も今終わったんだ」


「お疲れ様です。菊野さん、ちょっと待てますか? すぐ戻ります。知華たちも、駅まで送る」


「私たちは先に帰るわよ」


「だめだ」


言い切って、夕が駆け足で去っていく。

苦笑した美女が菊野に向き直り、綺麗な所作で一礼した。


「長谷川知華と申します。夕とは、同期で」


「ああ、長谷川さん……」


「我が社には、長谷川が五人おりまして。実は、こちらも長谷川です」


なるほど、名呼びにも納得だ。ちょっぴりほっとしつつ、菊野も名乗った。

なんとなく座りが悪い。いや、一方的にだが。


ほんの少し女性たちと距離を保ったまま、彼女たちの話を聞くともなしに耳に入れる。


「夕さん、女の人には優しいって聞いたよ。飲み会帰りは、必ず男性に駅まで送らせるって」


「何言ってんのよ。あれはフェミニストでも何でもないわ」


「どういうこと?」


「確かに飲み会の時は、女一人では帰さないんだけどね。前に『さすがのおまえでも女には優しいな』って絡んだ同期がいて」


「うん」


「すっごい怪訝そうに眉間に皺寄せて『夜道を歩く際の危険度に性差がないと本気で思っているなら、人間をやり直すべきだ』って」


「あー……『おうちに帰るまでが遠足』って人なのね」


「そう。あいつはフラットよ。本っ当に、贔屓も差別も一切ない、ただのフラットな人。腕力に差があるから手を貸す、身長差があるから手を貸す、みたいな。男女問わずね」


「面白い人だね」


「だから、困った時に手を借りやすいのよ。女を全面に出して甘える奴には『それくらいご自分でどうぞ』とか普通に言うし」


「わあ。気持ちいいね」


「本当に困った時に断ることはないわね。それが年上だろうが年下だろうが、男だろうが女だろうが同じ。夕も、困ってますって素直に言うわよ。不器用なので、って私も頼まれたことあるわ」


「何しようとしてたの?」


「社用車のキーリング通し」


「ちょっ、そこまで!?」


「びっくりするわよ。不器用もここまでか、って見てて苛々するから奪い取ったわね」


「意外すぎる……」


本当に。思わず頷いてしまうほど、彼女たちの話は興味深い。

駅までの通りには、繁華街がある。土曜日の今日は、この時間でも賑やかだろう。


ああ好きだなと性懲りもない気持ちに、菊野はときめく胸を押さえた。




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