第8話 劇団武田入団面接
「止してくれ。お前が頭を下げていると、居心地が悪くて堪らん。
それに、もし誰かが急用でここに現れたら、どう説明するつもりだ? 頼むから頭を上げてくれ」
足音が部屋の前で止まり、胸がドキリと跳ねる。
一拍の間のあと、立て付けの悪い戸がきしみながら開く音を合図に、頭をさらに下げ、額を畳に押し付けた。
すぐに、気さくな第一声が頭上から降りてくるが、態勢は崩さない。
面接官が着席し、面接開始の言葉をきちんと発するまでは、用意された椅子の傍らに立って待つ。
それが、失業保険を受け取るために出席した再就職支援セミナーで教えられた、面接のマナーである。
無論、俺が正座する下座とは反対の上座には、部屋の隅に重ねて置かれていた縄わらの丸座布団二つが、すでに上座に設置されていた。
あとは、謙虚でありながら堂々とした態度を保つことだが、その点は問題ない。
幸か不幸か、失業してからの面接経験は二十社を超える。
今の世の中、正社員採用は厳しく、すべてが残念な結果に終わっているが、場慣れだけは十分にある。
「むっ!? あまり手をつけておらぬな? 口に合わなかったか?」
「申し訳ございません。私には少々辛すぎたようでございます」
「ふむ……。こんなものだと思うがな?」
「拙者は少々物足りないですな。やはり、漬物は塩辛いほど飯が美味い」
出入口の脇に寄せておいた夕膳の食べ残しに、どうやら気づいたらしい。
大根の漬物を頬張る、歯ごたえのある音が響き、俺は二人の感想に伏せた顔を引きつらせる。
海を持たぬ甲斐と信濃において、塩は貴重品である。
武田信玄は、時に深刻な塩不足に喘ぐこともあったらしく、それを見かねた宿敵の上杉謙信が塩を送ったという、ロマンあふれる逸話さえ残っている。
それだけに、甲斐と信濃では塩辛いものがご馳走という認識があるのかもしれない。
もしこれが正しいとするなら、武田信玄が早逝した理由も、なんとなく納得できる気がする。
現代感覚で見る俺からすれば、毎食塩辛いものを食べていれば、塩分過多で早死にする確率が高まるのは当然だ。
「さて、話が長くなるかもしれん。足を崩してくれ」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
武田信繁と山本勘助の二人が上座に座った気配を感じ、ここでようやく頭を上げる。
さらに気さくな言葉が飛ぶと、俺は正対する武田信繁の、少し右斜め後ろに控える山本勘助へ視線を送り、その顎先が小さく動くのを確認してから、正座を崩し、胡座に座り直す。
「本当に良く似ている。……いや、兄上そのものと言って良い。
この儂ですら、そう感じるのだから、他の者なら尚更だ。兄上と疑わないだろうな」
歴史において、武田信繁の知名度はそれほど高くない。
だが、武田信繁は紛れもない英雄である。
武田二十四将の一人に数えられ、武田家の副大将として、武田信玄を公私ともに支えた右腕的な存在だ。
一方、山本勘助も、武田二十四将はもちろんのこと、武田五名臣にも数えられる武田家の大功臣である。
知名度は戦国時代を代表する軍師の一人として高い。
その敵を見事に翻弄する軍略は『摩利支天』と讃えられ、当てずっぽうなことを『山勘』と言うのは、山本勘助の名前が語源であるという説さえある。
その二人が目の前に居り、真剣な眼差しで俺を探っている。
今こそ人生最大の勝負どころだ。
負けられない戦いに心を奮い立たせ、目に力を込める。
「だから、単刀直入に聞こう。お前、親父殿の隠し子か?」
「へっ!?」
ところが、第一問目があまりにも予想外だった。
この部屋に閉じ込められて以来、どんな質問にも平気で答えられるように、様々な回答を用意して待っていたが、この問いかけだけは想定外だった。
いや、よくよく考えてみると、これが最も現実的な質問である。
未来がどうの、タイムスリップがどうの、平行世界がどうのと、SFファンタジー的思考に囚われていた自分が、少し恥ずかしい。
今の心境を表すなら、限界までパンパンに膨れた風船がパンッと割れるのではなく、空気が注ぎ口からプシュ~ッと漏れて縮んでいくような感覚だ。
ずっこけるまでには至らなかったが、緊張のあまり自然と力が入っていた右手が、置いていた膝の上から滑ってしまい、慌てて崩れた姿勢を元に戻す。
「あまり褒められた話ではないが、うちの親父殿は大の女好きでな」
だが、その反応が意外にも功を奏したらしい。
武田信繁の強い眼差しが緩むと同時に、俺の緊張もほぐれ、そのわずかにできた余裕の中で気付く。
山本勘助が座ったかのように見せかけつつ、腰を微かに浮かせながらも、隣に置いた刀から左手を未だ手放していないことに。
「種をあちこちにばら撒いておきながら、畑の手入れは放ったらかしだ」
冷や汗が背筋を伝い、これが戦国時代というものかと痛感する。
知らず知らずのうちに、俺は死地へと引き込まれていた。
もし対応を誤っていたら、今頃は首と胴が分かれていただろう。
その証拠に、武田信繁が視線を右奥に軽く送ると、それを合図に山本勘助が左手を刀から離し、同時に腰を落とした。
「最近はとんと見かけなくなったが、『私はあなたの兄弟です』と名乗り出る者が、一時期は絶えなかった」
今の問いかけにどんな意味があるのか、頭を懸命に働かせる。
常識的に考えれば、血縁を問うているのだから、双子の可能性を疑っているのだろう。
双子にまつわる迷信は、世界中に見られる。
日本でも偏見が薄れてきたのは近代になってからであり、双子は長らく忌み嫌われてきた歴史を持つ。
理由は簡単だ。長子が親のすべてを継承する社会において、双子は問題を生じやすい。
双子が生まれた場合、片方は養子に出されるか、生まれた時点で闇に葬られるかのいずれかだ。
双子が双子として育った例は、極めて少ない。
特に武家など、身分の高い家ほどその傾向は強い。
それこそ、双子の出産に立ち会った関係者は、その事実を口外することを堅く禁じられ、時には口封じのために命を奪われることさえあったという。
「誰にも言えんから、兄上と二人で頭を何度も抱えたものだ」
そこまで考えが至り、さらに逆の立場になって思考を巡らせると、ようやく答えが見えてきた。
元服前ならまだしも、元服をとうに過ぎた双子がいきなり姿を現したとなれば、それはもう、タカリ以外の何者でもない。
甲斐と信濃の二国は四方を山に囲まれ、平地はわずか。
流れる川は氾濫が多く、米の石高は土地の広さに比例しない。
ゆえに、支配者たる武田家には浪費を抑える強い自制が求められる。
しかし、タカリを目的として近づくような者に、自制など期待する方が誤りだ。
影武者に仕立てたが最後、『これ幸い』とばかりに財を食い潰していくに決まっている。
「私は違います」
「今の様子を見る限り、そのようだな」
「はい」
だったら、最初に殺しておいた方が手っ取り早い。
つまり、俺はどうにか第一関門を突破したという事になる。
「だったら、お前は何者だ?
箸を使えるのだから、タヌキやキツネではないだろう。
妖かしかと疑ったが、この神域で平然としている。なぜ、そうも兄上と瓜二つなのだ?」
だが、この『面接』の難易度はベリーハードどころか、ナイトメアを越えたヘルレベル。
少しでも踏み外した瞬間に死が転がり込んでくる、冗談抜きのデスゲームだ。
「それはただの偶然としか」
「その偶然を、信じられんと言っている」
こうなったら、作戦を変更する。
武田信繁と山本勘助、この二人が求めているのは、回りくどい説明ではなく、『明確な結論』だ。
余計な御託は後回しにして、まずは核心から入らねばならない。
スマートフォンで二人の姿を撮り、その動画で度肝を抜くのは最終手段だ。
下手に振りかざせば、陰陽師だの妖術師だのと騒がれ、そのまま斬り捨てられる未来しか見えない。
「では、単刀直入に申します。
そもそも、私は室町の世に産まれた者ではございません。
今から約四百年後の未来。数えて第126代令和天皇の世に生きていた者です」
「……はっ!?」
その結果、俺の選択は間違っていなかった。
二人は揃いも揃って口を半開きにし、目をパチパチと瞬かせたまま、しばらく固まった。




