第7話 戦国時代は辛いよ
「はぁぁ~~~……。」
行灯のかすかな明かりでは届かず、薄暗い天井を見上げて、思わずため息がもれる。
前方の縄で編まれた丸座布団の隣には夕飯の膳が置かれている。
まだ半分以上残っているが、食べる気にはなれなかった。
食欲が極端に落ちているのもあるが、それ以上に味が合わない。
山盛りの白米は甘みが薄く、味噌汁や大根の漬物はやたら塩辛い。
メインのニジマスらしき焼き魚は三口で諦めた。
箸を口に運ぶたびに、身体が拒否するのがわかる。
「俺……。川魚、苦手なんだよね。
食わず嫌いってわけじゃなくて、そもそも食べる機会がほとんどなくてさ……。」
しかし、これが戦国時代における最高のご馳走だということは、知識として知っている。
食事ですらこれなのだから、この先、好みに合わないことや不便なこと、不都合なことが数多く待っているはずだ。それを思うと、少し不安になる。
「……にしても、俺の家って、実は武田家の血を引いてたりするのかな。
……で、遠い昔の血が現代に蘇って、信玄そっくりになったとか?」
武田信繁と山本勘助の二人が、俺を武田晴信の影武者に仕立てようとしていることは、想像に難くない。
だからこそ、晴信が着ていた甲冑を俺に着せたのだ。
道中は痛みや苦しみの演技をし、口を絶対に開くなと厳命され、この生島足島神社に着いた途端、奥座敷に閉じ込められたのも、そのために違いない。
事実、武田晴信が討ち死にしたことは、隠されているらしい。
障子戸を閉めていても、酒盛りをしているであろう兵士たちの陽気な声が聞こえてくる。
もし公表されていたら、そんな余裕は決して許されないだろう。
「いやいや、ないない……。
もし本当にそうだったら、受験勉強であんなに苦労してないし、偏差値だってもっと高かったはずだ」
つまり、武田晴信の影武者として、俺は今後、殿様待遇を受けることになる。
川中島からここまでの道中で実感したが、戦国時代の人々は日常の不便の中で自然と体力を鍛え、足腰が強くなるのだろう。
足軽たちは、一度も休むことなく、息を切らしながら走りきっている。
バイクで走っても小一時間はかかる距離だ。
しかも、前哨戦のあった場所まで含めれば、その倍もの距離を走っているはずなのに。
「体力おばけだよなー……。
俺なんて、ただ馬に乗ってただけなのに、内ももがパンパンだ。明日は絶対筋肉痛だよ」
その光景を目にして、漫画や小説のように立身出世の夢を見られるほど、俺は能天気じゃない。
学生時代は、どんなスポーツでも比較的上位に入る実力があったが、それも昔の話だ。
社会人になってからは運動らしい運動などしていない。
そんな俺が武勲を挙げられるはずがない。
戦場にたどり着く前に脱落するだろうし、運よく辿り着けたとしても、真っ先に殺されるに違いない。
「千歯こきなら、作れそうだけど……。
あれは作業を楽にするためのもので、収穫量を増やすものじゃないんだよなー……。」
だったら、現代の知識を活かして内政革命や技術革命を狙う、という手もあるかと思ったが、それも無理だ。
高校は普通科、大学は文学部を卒業した俺には、専門的な知識はほとんどない。
持っている知識といえば、趣味の熱帯魚飼育に関するものと、家具会社の工場で七年かけて培った木工の知識くらいで、戦国時代で役立つとは思えない。
「そう考えると……俺って、かなり運がいいよな。
出世なんて望まなくても、最初からトップに立ってるんだからさ」
文明社会でぬくぬく生きてきた俺にとって、戦国時代の生活はきつすぎる。
殿様待遇でも、これが限界ラインだ。
これより下の環境に置かれたら、間違いなく耐えられないだろう。
だが、予想どおり殿様待遇が許されたとしても、それだけで安心していいわけがない。
武田家は平安時代から続く、由緒正しき清和源氏の名門。
その当主が『実は偽物でした』なんて話が一度でも広まれば、数百年受け継がれてきた血統の重みも権威も一気に瓦解する。
そうなれば、用が済んだ瞬間に後ろからブスリ、なんて展開も十分あり得る。
いずれ、武田信繁と山本勘助の二人がこの部屋を訪れるだろう。
その時には、しっかり交渉を行い、約束を取り付けて、将来の自分を守らなければならない。
殿様待遇と命の保証。
この二つを約束してもらえたら、俺は二人の立派な傀儡として振る舞ってみせる。
「んー? この頃の武田信玄って、結構年齢いってたはずだけど……。
高校の頃から『老け顔』って言われてきたけど、俺ってそんなに老けてるかな?」
それともう一つ。俺は、できることなら天寿を全うしたい。
俺の記憶が確かなら、武田信玄は五十歳前後で病死し、それをきっかけに武田家は坂を転げ落ちるように一気に滅亡へ向かった。
そんな未来は、絶対に駄目だ。
健康第一の生活を徹底して、武田家の滅亡は何としても阻止する。
ただの戦国時代オタクの知識がどこまで通用するかは分からないが、使えるものは遠慮なく使うつもりだ。
それこそが俺の価値になり、ひいては命の保証にもつながるはずだから。
そんなことを考えていると、板張りの廊下をドスドスと歩く足音がこちらに近づいてきた。
「あっ!? ……来た!」
俺の将来を左右する面接が、いよいよ始まろうとしている。
慌てて床の間がある上座とは反対の下座に正座し、頭を出入口の引き戸に向けて深々と下げた。




