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再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
山の章

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第42話 一句詠んだら置き去り




「うむ、そうだな……。

 夏草や、兵どもが、夢の跡……。と言うのはどうだ?」



 今の季節、この場所にこれ以上なく相応しい一句を、俺は知っていた。


 俳句が馴染み薄くなった現代。

 だが、義務教育の国語の教科書で採用されている可能性が高く、大抵の者が知っている有名な一句だ。


 江戸時代の歌人、松尾芭蕉の俳句集『奥の細道』の中でも、一、二を争う名句。

 それをまるで自分が詠んだかのように、青空を見上げ、遠い目で詠み上げた。その瞬間だった。



「素ん晴らすぃぃぃぃぃいいいいいっ!」

「のわっ!?」



 勝頼とは逆側の、すぐ左隣から咆哮が轟いた。

 この唐突な出来事に、俺はもちろんのこと、勝頼も、周囲の者たちも驚き、行軍がピタリと止まった。


 動いているのは、驚いた馬だけだ。

 前足を持ち上げ、宙を掻きながら激しく嘶いている。



「夏草や、兵どもが、夢の跡……。

 素晴らしい! 素晴らしい! 実に素晴らしい!」


「ここは信玄様と輝虎殿が覇権を巡って戦い、数多の兵士たちが武功を夢見て戦った、散った場所!」


「しかし、今は夏草が青々と生い茂っているだけ!

 その静けさの前では、胸を焦がした野望も一炊の夢のように思えてならない!」


「つまり、人の考えることや成すことは儚く消えるが、自然はどんな嵐に遭おうとも、いつも変わらず逞しく存在している! 

 ……という意味ですよね!」



 ところが、人騒がせな張本人である藤孝殿は、一人興奮しまくり。


 鼻息をフンフンと荒くさせ、強く握った両拳を大空に掲げながら、さらに咆哮を連発する。

 俺がパクった松尾芭蕉の一句を解説すると、その確認を血走った肉食獣のような目で問いかけてきた。



「い、いや、それよりもだ……。

 な、何故、ここに藤孝殿が居るのだ? ま、まずはそれを……」

「そんな些細なこと、今はどうでもいいでしょ!」

「い、いやいや、些細じゃないだろ? わ、我々は軍事行動中であって……」

「だから、そんな下らないことよりも早く応えてください! 今、私が言った通りですよね!」

「う、うん……。ま、まあ、そうかな?」



 藤孝殿に色々と確認したいことはあった。

 だが、藤孝殿の凄まじい気迫に圧され、俺は疑問を飲み込み、顔を引きつらせて頷いた。



「くぅぅ~~~っ! やはりっ……。やはり、そうでしたか!

 んっ!? んんっ!? ……ややっ!? もしや、もしやっ!?」


「なるほど、そうですか! 分かりましたよ!

 明国の古の詩聖、杜甫の『春望』ですね! 

 国破れて山河在り、城春にして草木深し! この一節を置き換えたのですね!」


「ますます素晴らしい!

 詩聖たる杜甫ですら、八節を必要としたのを……。なんと、なんと三節に凝縮するとは!

 それが分かると、今まで一字一句を変えようがない完璧さを感じていた春望の遠き故郷を思った部分が、まるで蛇足のように……。」


「素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしすぎる!

 特に『夢の跡』です! ……夢の跡っ! 

 ああっ……。ああっ! 信玄様の嘆き、哀しみがひしひしと伝わってきます! この余韻が実に素晴らしい!!」



 もはや、藤孝殿の独壇場だった。

 その身振り手振りを交えた猛烈な勢いを、誰も止められずにいた。


 この間に、俺たちの前を行く者たちとの距離がどんどん離れていく。

 きっと後続の者たちは、俺たちがいきなり行軍を止めて何事かと思っているに違いない。



「そ、そうか……。ふ、藤孝殿にそう言ってもらえると、儂も嬉しい」



 俺も、勝頼も、周囲の者たちも、歩き出せずにいた。

 藤孝殿の熱弁を黙って拝聴しなかったら、烈火のごとく怒られそうで怖かった。



「そして、何と言っても今の世の中を如実に風刺している点が素晴らしい!」


「しかも、それを覇者として名を馳せた信玄様が詠っているところに、また意味があります!

 室町を蔑ろにし、三好に尻尾を振る木っ端どもに、今すぐ聞かせてやりたいくらいです!」


「間違いなく、これは歴史的名句の予感! 

 それが道々の暇潰しだけに消えてしまうなど、実に耐え難い! 日の本の損失です!」


「信玄様、お願いがございます!

 今の一句、私にお預けいただけませんか?

 来春、帝が御主催なされる歌会始めにて、ぜひとも詠み上げたいのです!」



 しかし、これ以上は駄目だ。とても黙ってはいられない。

 大絶賛に次ぐ大絶賛の末、藤孝殿から持ち掛けられた提案に、俺は目をギョッと見開き、慌てて口を挟んだ。



「だ、駄目だ! そ、それは困る!」



 ちょっと前の自分に、馬鹿、アホ、止めろと罵りたい。

 勝頼に少しでも良いところを見せようと、下らない見栄を張った結果がこれだ。


 ただでさえ、影武者である俺は、晴信が本来得るはずだった名声を奪っている身である。

 この上さらに、松尾芭蕉が約百年後に得る予定の名声まで先取りして奪うなど、恥知らずにも程がある。


 藤孝殿を、何が何でも止めなければならなかった。



「なぜ、なぜ、なぜっ! なぜえええええっ!

 どうしてです! 理解できません! これほどの名句、帝に献上すれば……。」



 だが、駄目だった。

 こちらが提案を拒否した途端、日頃の洗練された雅さはどこへ消えたのか。


 藤孝殿は、結った髷が解けるほどに顔を左右に激しく振り、血走りきった目で唾を飛ばしながら怒鳴りまくった。



「はっ!? ……そ、そうでしたか!

 申し訳ございません! 信玄様の御心を理解できず……。」


「しかし、ご安心を!

 今の一句で、私の心は今日の空のように、どこまでも青く澄み渡りました!

 この上はご期待に、一命を賭して必ずやお応えしてみせます!

 この細川藤孝に、すべてお任せを!」


「さあ、島風よ!

 その名のごとく、風となって走るんだ!

 さあ、急げ! はいよ、はいよ! おっそーいー!」



 挙げ句の果てには、何やら謝罪したかと思えば、何やら一人で納得しての自己完結。

 藤孝殿は、意味不明ながらも並ならぬ決意を瞳に宿して輝かせると、馬に何度も鞭を入れ、その背中をあっという間に小さくしていった。



「何だったんだろうな?」

「何だったんでしょう?」



 置き去りにされた俺は、茫然とするしかなかった。

 救いを求めて隣へ顔を振り向けるが、勝頼もまた、茫然とした間抜けな顔を晒していた。




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