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再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
火の章

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第36話 背中に刻まれた武士道




「これは信繁しか知らぬ事実だったが、ここに至っては皆にも話さねばなるまい」



 高坂昌信の嗚咽を耳にしながら、俺はそっと目を閉じ、頭の中で台本を諳んじていく。



「先の長尾との戦いで、儂が討ち取られたというデマが流れたことは、皆も憶えていよう」



 もし勘助さんが台本通りに高坂昌信と同じ発言をしても、こうはならなかっただろう。

 俺と高坂昌信のような独壇場の掛け合いにはならず、周囲の反発で小さな一悶着は必ず起こったはずだ。



「実を言うと、あれは正しくもあり、間違ってもいる。

 儂は景虎に斬られ……。信繁によれば、生島足島神社へ辿り着いた時にはもう虫の息だったそうだ」



 何故なら、勘助さんは皆から好かれているとは言い難いからだ。


 駿河の生まれで諸国を転々とし、四十歳になるまで歩き続けた勘助さんは、無実績ながらも高い才能を晴信に認められ、いきなり足軽大将に大抜擢された。

 外様の中の外様でありながら、その後も晴信の右腕として重用され、最終的に武田家の軍師に至ったことが、周囲の強い妬みを買っていた。


 しかも勘助さんは、それを甘んじて受け入れている。


 政治も戦争も、綺麗事だけでは済まない。

 特に冷酷な判断を下す必要がある時、本来なら晴信が浴びる筈だった罵声を、自らに集めていたのだ。



「しかし、たまたま優れた医者が滞在しており、九死に一生を得ることができた」



 俺が影武者修行を終えた後、諸国見聞のために武田家を離れたのも、鉄砲に関する情報収集だけが理由ではない。

 晴信の強い影響力を一刻も早く塗り替え、義信の新体制下で武田家が纏まるために、自分が居ては邪魔になると考えたからだ。


 勘助さんは今年で六十歳を超える。

 一箇所に長く留まらない旅暮らしの日々は、決して楽ではなかっただろう。



「もっとも……。今、昌信が言った通りだ。

 もう刀も槍も弓も……。そして、馬も……。以前のようには扱えなくなってしまったがな」



 俺はゆるりと立ち上がった。

 皆に背を向けながら、両腕を着物から抜き、上半身をはだけさせる。


 現代に生きていた頃と比べれば、毎日の鍛錬で逞しさは増した。

 だが、戦場を駆け抜けるには、まだ並程度の背中だ。


 肩から左脇まで走る大きな傷跡が白日に晒されると、場の空気が一瞬凍りつき、高坂昌信が悲鳴をあげた。



「大殿ぉぉ~~~っ! ううっうっ……。」



 しかし、この場に景虎が居たとしたら、絶対に首を傾げただろう。


 晴信が致命傷を負ったのは首だ。

 より正確に言うなら喉元であり、背中ではない。


 この背中の傷は、今日のような日に備えて、影武者修行中に敢えて負ったもの。


 もちろん、虫歯になってもギリギリまで歯医者へ行かない俺に、進んで斬られる度胸などあるはずもない。

 勘助さんが用意してくれた、現代では使用も栽培も絶対に禁止されている葉っぱの煙に燻され、意識がらりぱっぱーな状態のうちに斬ってもらった傷である。


 その傷跡を合わせ鏡で一度だけ見たことがあるが、正に匠の技。

 治療中は俯せでの就寝を強いられ辛かったが、痛み自体はさほど感じず、二週間程度で立派な傷跡を残して完治した。



「立って、歩き、馬にも乗れるなら、それで十分ではありませんか!」

「……信春」



 静寂を打ち破り、咆哮をあげたのは、武田四天王の筆頭『馬場信春』だった。

 思わず顔だけを振り向かせれば、信春の頬を涙がハラハラと伝っていた。



「大殿が復帰せぬ理由にはなりません!

 もし、戦場に不安があると言うのなら、我らが大殿をお守り致します!

 それとも、大殿は我らの力をお疑いなさるのですか!」



 信春の言う通りだ。

 背中の傷だけでは、俺が当主に復帰しない理由としては、あまりにも弱すぎる。


 戦場における総大将とは、陣地の奥深くで指揮を執る者を指す。

 決して、刀や槍を振り回して最前線を駆ける者ではない。長尾景虎のような存在は、例外中の例外だ。


 この場に居合わせる者たちは、いずれも歴戦の猛者ばかり。

 大小の戦場傷を持たぬ者はいない。勘助さんに至っては隻眼である。



「それは違う! 断じて違うぞ、信春!

 今日まで武田を共に大きくしてきたお前達を、どうして疑えるか!」

「ならば、何故です!」



 だから、盛る。盛って、盛りまくる。

 今はまだ名前すらない概念だが、その心は確かに存在する『武士道』を、気高く、美しく、華やかに。


 ポイントは、垂らした両拳の握りを徐々に強めていくところだ。

 この工夫によって、背中の筋肉が引き締まり、傷跡はさらに鮮明に、強調される。



「良く考えて欲しい。我々は武士と呼ばれる存在だが……。

 そもそも、武士とは何だ? 血筋か? それとも生業か?

 いや、違う。儂はどちらも違うと断言する。武士とは……。生き様だ!」


「どんな敵にも刀を持って立ち向かい、刀が折れれば槍を、槍が駄目なら弓で矢を射る!

 それでも歯が立たぬのなら、次に相見える時は必ず勝つと誓い、今は屈辱に塗れようとも、馬で苦境を脱する!」



 数多の戦場で命の煌めきを輝かせてきた猛者揃いの武田家重臣たちに、この独白は抜群の効果を発揮した。

 振り返らずとも、皆の感動が背中にひしひしと伝わってきた。



「これこそが武士だ!

 ……違うか! 違うか! 違うか! ええ、違うか!

 信春、儂の言っていることに、何か間違いがあるか!」



 トドメの一撃として勢いよく振り返り、全員を次々と睨みつけていく。


 そして最後に、反論してきた馬場信春をこれでもかと強く見据えた。



「仰る通りにございますうううううっ!」



 その瞬間、馬場信春は感情の堤防を決壊させるかのように大号泣。


 言質は取った。

 武田四天王の筆頭が納得したのだから、他の者たちも納得せざるを得なかった。


 熱く迸る感情を剥き出しにした捲し立てから一転、天井を見上げながら悟りきった微笑みを穏やかに零す。



「ところが……。ところがだ。

 黄泉路から帰ってきた直後、儂は立ち上がろうとして膝を付き、その瞬間に直感で理解した。

 最早、儂の刃は景虎へ届かないどころか、景虎の豪剣を受け止めることすら出来ぬとな……。これが隠居を決意した一番の理由だ」

「なんとお労しやあああああ!」



 完全に決まった。

 着物を着直して振り返ると、誰もが顔を伏せ、幾つもの嗚咽が場に響き、哀愁に満ちていた


 影武者家業四年目。

 俺の演技も、なかなかサマになってきた。


 戦国時代にタイムスリップした直後、狼狽えに狼狽えまくって無様な姿を晒したのが、まるで嘘のようだ。



「だが、お前達が、まだまだ海の物とも山の物とも付かぬ若き勝頼を主と仰ぐ不安な心は、儂も承知している。

 正直に胸の内を明かせば、儂もまた不安だ。義信の二の舞いは、絶対に避けねばならぬ」


「よって、武田の次の当主は勝頼が継ぎ、その常なる傍らに儂が相談役として就く!

 これに伴い、本拠地を躑躅ヶ崎館から諏訪へ移し、統治方法も北信濃、中信濃、東信濃、南信濃、甲斐の五つに分けた軍団制へと改める!」



 こうして、勘助さんのアドリブで多少の混乱はあったものの、舞台は台本通りに進行し、武田家の新たな支配体制は無事に決定した。




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