第31話 凛と咲く椿
「もう……。こういう時は、椿って呼ぶ約束でしょう?」
これは、三日後の話になる。
俺はこの屋敷を訪れた信繁さんに怒鳴った。
『どうして、高坂昌信が実は女だって、教えてくれなかったんですか!』
『んっ? 言ってなかったか?
……というか、気づいてなかったのか?』
信繁さんは軽く返した後、高坂昌信が性別を偽っている事情を長々と語ってくれた。
『元は男だったのだ』
『……どういうこと?』
元々、高坂昌信は春日虎綱の名で呼ばれていた。
甲斐のとある村の名主の嫡男として生まれたが、相続争いに敗れ家を追放される。
ところが、武田家当主となる以前の晴信に運良く拾われ、武士としての人生を歩み始めた。
だが、武士社会では血統が重視される。
そのため、追放された身では味方は一人もおらず、逆に衆道的な意味で晴信に気に入られたことから、やっかみを受けることも多かった。
『兄上、一番のお気に入りでな。
嫉妬に狂ったある小姓が、刃傷沙汰を起こしたこともあった』
『へ、へぇーー……。』
だから、春日虎綱は努力を積み重ねた。
他者が一の努力をするなら、春日虎綱は二の努力を積み、同僚たちが酒や女、賭け事にうつつを抜かす中で三も四も五も積み重ねた。
その甲斐あって、25歳で百騎持ちの侍大将にまで出世。
翌年には、当時の北信濃を支配していた村上家を睨み付ける重要拠点、小諸城の城代を任されるまでになった。
しかし、その努力と引き換えに全てを犠牲にしてきた姿勢が災いした。
生い立ちに起因する人付き合いの悪さから、コミュニケーションに支障をきたし、同僚や同世代はとっくに結婚して子供もいるというのに、彼は未だに童貞だった。
女性とまともに会話すらできず、嫁の宛ても一人もいなかった。
『まあ、驚いたな……。
二十を半ば過ぎて、女と交わった経験がないというのだから』
『げ、現代では普通だし! ど、どうってことないし!』
この事態に、晴信を含めた武田家重臣たちは揃って頭を抱えた。
もし春日虎綱が戦死や不慮の事故で果てたら、虎綱の部下たちは忠誠を捧げる対象を失うことになる。
侍大将なら影響力は一軍の一麾下に過ぎないが、城代となれば影響力は一地方に及ぶ。
その混乱が武田家全体に影響するのは目に見えており、虎綱の嫁探しは武田家総力を挙げての急務となった。
ところが、ここで虎綱の出自が再び問題となる。
晴信は虎綱に唯一足りない箔を付けたかったが、対象に挙げられた武田家重臣は、元農民の虎綱を分家ならともかく本家の婿として次期当主に迎えることを嫌がった。
『……ずいぶん苦労したな』
『身分か……。何だかんだで、現代社会にもあるよなぁ」
そんな中、名乗りを挙げたのが高坂家だった。
当時、味方だったはずの村上家に奪われた領土の奪還を渇望していた。
しかし当主は、村上家との戦いで膝に矢傷を負い歩くのが困難になり、兄弟はおろか嫡男と次男も戦死していた。
残った血族は姫一人のみで、戦場で武勲を挙げられない以上、領土の奪還は届かない夢に過ぎなかった。
だが、春日虎綱という猛将には、夢を確かな現実にする期待があった。
高坂家にとって、領土奪還の渇望の前では出自など問題にならず、晴信の腹心であるという事実もあって、嫁探しは渡りに船だった。
『実は高坂家は由緒正しい家でな。遠く遡れば、帝の血筋に辿り着くのだ』
『えっ!? ……じゃあ、候補に挙がらなかったのは、なぜなんですか?』
ただ、一つだけ問題があった。
十二歳の姫は、初潮をまだ迎えていなかった。
『月のものを迎えていない女に手を出すなど、獣の行為だ。
だが、二十の半ばを過ぎた男に、妻となった女に手を出すなとは言えまい?』
『うーーーん……。どこかの前田さんに、ぜひ聞かせたやりたい』
しかし、春日虎綱は高坂家の申し出を受け入れた。
『奥手の自分には数年くらいの時間があった方が丁度良い。
貴女が大人になる頃、私達はきっと似合いの夫婦になっているでしょう。……と言ってな』
『なに、それ……。男前すぎ』
名前を『春日虎綱』から『高坂昌信』に改めたのは、この時のことだ。
武田家に受け継がれている自身の名の一字『信』を贈っている点から、晴信が高坂昌信の結婚を大いに喜んでいたことがよくわかる。
そして、結婚から二年後。
第二次川中島の戦いにて、高坂昌信は高坂家の悲願を達成する。
犀川を挟んだ約200日にわたる睨み合いと小競り合いの末、武田家は長野盆地南半分を支配下に置き、高坂家の手に故地が戻った。
『おおっ! 胸熱な展開!』
ところが、肝心の高坂昌信が、まさかの戦死を遂げた。
初潮を迎え、ようやく妻としての役目を果たせると喜び、夫の帰りを今か今かと待っていた姫のもとに届いたのは、夫の遺体だった。
『ええっ!? ……マジで?』
この時、姫には二つの道があった。
一つは、仏門に入り尼となり、夫である高坂昌信の菩提を弔う道。
もう一つは、姫と高坂昌信が閨を交わしておらず、本当の意味での夫婦になっていないことは誰もが知るところである。
籍を晴信の裁可で祝言前に戻してもらい、高坂家に婿を改めて迎える道。
しかし、姫が選んだのは、誰も予想すらしていなかった第三の道だった。
その決意を、訃報を届けに来た晴信と、その場に居合わせた高坂家前当主、さらに家臣たちを前にして宣言した。
『再婚など言語道断!
高坂家の悲願を叶えてくれた旦那様に対する、裏切りでしかありません!』
『ですが、私は尼にもなりません!
それを、旦那様が決して望まないと分かっているからです!』
『旦那様が望んでいたのは、武田の天下!
そして、『武田に高坂あり』と知らしめること!』
『だから、私が旦那様になります!
旦那様の名を継ぎ、『高坂昌信』になります!
今日から、私が『高坂昌信』です!』
通常、こんな無茶は通らない。
冗談だと笑い飛ばされるか、気でも狂ったかと怒鳴られて終わるのが常だ。
だが、なんと晴信は了承した。
晴信もまた、高坂昌信の武名がそこで潰えてしまうのを酷く惜しみ、第三の道に明かりを照らした。
高坂家の家臣たちは、その場で誰一人欠けることなく姫に忠誠を誓った。
姫の気高さと高坂昌信への大恩、それに武田家最高権力者の認可、その三つが揃ったため、怖いものなど何もなかったのである。
『いい話だなー……。」
やがて、姫が率いる高坂軍団は、武田家随一を誇る精鋭へと変貌した。
これは、姫自身が意外にも高い指揮能力を天性として備えていたこともあるが、姫を守り支えようとする鉄の結束力が、高坂軍団をさらに強くした。
先の第三次川中島の合戦でも、高坂軍団は誰よりも早く殿となり、長尾軍の苛烈な追撃を受け止めてくれたおかげで、俺は生を繋ぐことができていた。
『……って、あれ?
でもさ……。結局、晴信様は椿に手を出したんだよね? いい話じゃない?』
さて、ここまで語ったら分かるだろうが、敢えて言おう。
今、俺の目の前にいる、自分を『椿』と名乗った女性こそが高坂家の姫である。
しかし、今語った諸々の事情を、今の俺は知る由もなかった。
「う、うむ、そうだった。で、では……。つ、椿?」
「はい、何でしょう?」
もしや、俺はキツネか、タヌキに化かされているのだろうか。
それとも、これが噂に聞く天狗の仕業か。妖怪は本当にいたのか。
こうなったら、真実を確かめるしかない。
今の時代にホルモン注射が存在しないのは当然だが、男性でも極々稀に胸が女性のように膨らむ症状があると、何かで読んだ記憶がある。
しかし、下はどう足掻いても無理だ。
男の大事なものをちょん切ってしまう去勢技術は、仏門の秘術に存在するらしいが、ただ切除するのみ。
現代のような整形手術までは存在しない。
椿の方を向き、右手を使命感に燃やしながら伸ばす。
「えっ!? い、いきなり何を……。あぅぅっ……。」
たちまち、高坂昌信が悲鳴をあげ、身体を弓なりにビクッと跳ねさせた。
湯の中でも分かるほど、そこはすでに準備万端だった。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」
たちまち、今まで必死に逃げ回っていた恐怖の仕返し心から、俺の感情は爆発した。
「キャっ!?」
「ふんぬ!」
まず勢いよく立ち上がると、椿を突き飛ばした。
次に、先ほどまで絶対最終防衛線だった褌の前垂れを尻に回した右手で一気に引っ張る。
椿が正真正銘の女性である証拠を確かめる間に、元気ハツラツとなったソレを大開放した。
「あ、あの……。ほ、本当に、どうなさったのですか?」
「ふんがああああああああああああっ!」
間一髪を入れず、露天風呂の縁に倒れてうつ伏せになっている椿の元へ、湯を激しく掻き分けながら歩み寄る。
椿が茫然とした顔をこちらに向けるが、気にしない。
猛る心の赴くままに、左手で椿の背中を露天風呂の縁に押し付けた。
「あっ!?」
そして右手で、椿の湯浴み着の裾を豪快に捲り上げた。
「……えっ!? 違っ……。
えっ!? お、大殿っ!? そ、そっちはっ!?」
「何を今更っ!」
白日の下に晒される、丸いお尻。
復讐の時が遂に来た。
何やら慌てふためく椿の両腰を力強く掴み、最後の一歩を踏み出す。
「痛っ!?」
だが、これがとんでもない大失敗だったと、三日後になって知ることになる。
先ほど語った信繁さんからの話には、もう少し続きがあった。
「あれ? これって……。ええっ!?」
夫を亡くして傷心する女と、それを慰める男。
椿と晴信のことである。
二人が心を寄せ合って結ばれるまでには、そう時間はかからなかったらしい。
なにせ、二人が主に出会うのは戦場である。
衆道が武士の嗜みとされる理由を考えれば、それも当然と言えた。
しかし、お互いに後ろめたさを拭いきれなかったのだろう。
椿と晴信は決して男女の関係には至らず、椿はあくまで高坂昌信として、二人は戦場における衆道の関係に留まった。
「嬉しい……。子種をようやく頂けるのですね。
この時を、ずっと……。ずっと待っていました」
つまり、俺の大失敗とは、そういうことだ。
復讐心から一気にズブリとやってしまったため、椿の中に残っていた夫に対する最後の未練を断ち切ってしまったのである。




