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再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
林の章

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第20話 荒れ果てた花の都




「ええっと……。ここが本当に?」

「はい、間違いありません。あそこにもそう書いてあります」



 桃が呆然としたまま、こちらに振り向いた。

 信君が立てられた案内看板を指さし、『ここが目的地だ』と説明するものの、その顔にはやはり信じがたいという色が濃く残っていた。



 いくつもの野を抜け、山を越え、川を渡り、ようやく辿り着いた花の都。

 これほどの距離を自分の足で歩いたのは生まれて初めてで、そのぶん胸に満ちる達成感はひとしおだった。


 旅の道中で味わった苦しみも楽しさも、今ではどれも懐かしく、まるで宝石のように輝いて思い出される。



「えっ!? えっ!? えっ!? ……花の都?」

「分かります、すごく分かります」



 ひときわ心に残っているのは、やはり織田信長との出会いだ。

 清洲城の城下町で、彼が商人に扮してこちらへ近づいてきたあの瞬間、それが信長だと、俺は一目で悟った。


 理由は単純だ。信長のそばには、豊臣秀吉が控えていたからである。


 信長が最初にそう呼んだとされ、のちに秀吉自身が力を得てからは揶揄としても使われた『猿』という愛称。

 その名のとおり愛嬌のある猿顔は、何よりもわかりやすい目印だった。



「……道、間違えていません?」

「間違えていません。あの看板にも『祇園神社』と書いてあります」



 さて、肝心の信長について触れておこう。

 現代で語られる数々の考察の通り、彼は常識や固定観念に縛られず、なおかつ頭の回転が異様に早い。



 ただ、人とはまるで違う角度から世の中を見ているせいで、周囲からはどうしても理解されにくい。

 そのうえ性格はせっかちときているのだから、家督を継ぐ前に『うつけ』と呼ばれていたという逸話も、今となっては腑に落ちる話だ。


 もっとも、俺は未来の知識を持っていたおかげで、彼の革新的な発想をすんなり理解できた。

 だが、この時代の人々にしてみれば、その先進性はあまりに突飛で、受け入れがたいのも当然だろう。



「……実は、偽物とか?」

「それは……。否定できません」



 そんな俺は、どうやら信長にずいぶん気に入られたらしい。

 信長があまりにも得意げに楽市楽座を語るものだから、つい旅の高揚感もあって未来の知識を交えて『欠点』を説教してしまったのだ。


 当初、信長は、歯ぎしりするほど悔しがっていた。

 だがその後は一転、夜更けまで酒を酌み交わすほどの上機嫌となり、挙げ句の果てには『俺が尾張を案内してやる!』と言って旅立ちを二週間も引き延ばした。


 俺たちが借りていた宿に居座り、尾張を離れる時には国境まで見送りに来るほどの入り込みようだ。

 さらには『京からの帰りは清洲に必ず立ち寄れ! 絶対だぞ!』と、何度も念を押された。



「花の都……。花、どこにもないよね?」

「木の皮を剥いで食べるほどの有り様ですから……。まあ……。」



 それにしても、未来の知識を武器にした『説教』が、あれほど胸のすくものだとは思ってもみなかった。

 信繁さんにやれば、調子に乗るなと拳骨の一つも飛んできそうだが、やみつきになりそうな感覚だった。


 かつて読み漁ったネット小説の異世界転移や異世界転生ものの主人公たちが、やたらと『説教』にハマる理由も、今では素直に理解できる。



「……美味しいのかな?」

「苦いに決まっています。食べたくありません」



 ところが、京都へ足を踏み入れた途端、それまで積み重ねてきた旅の思い出が、一気に色褪せてしまった。


 山科に入ったあたりではまだそれほどでもなかったが、北西へ抜ける山間の道を進むにつれ、景色は急速に荒れ果てていった。

 ここが本当に『千年の都』なのかと疑いたくなるほどで、遥々やって来たというのに、この有り様では落胆も大きい。


 桃も信君も、京へ近づけば近づくほど口数がめっきり減っていった。

 昨夜の宿で『明日はいよいよ花の都!』とあれほど浮かれていたのが嘘のようだ。



「お二人が落胆なさるのも無理はありません……。

 ですが、ここにはかつて 『西楼門』 と呼ばれる、それは見事な朱塗りの桧皮葺の門がそびえていたのです」


「ほら、あちらをご覧ください。

 僧たちが並んでいる、その向こう側に残っているのが名残でして……。」


「今、義輝様が再建の寄進を募っているのですが……。残念ながら、なかなか集まらず……。」



 その一方で、これでもかというほど饒舌になったのが藤孝殿である。


 上洛を要請した当人として、期待で胸を膨らませていた俺たちがここまで落胆しているのが気まずいのだろう。

 京都までの道中では、こちらが求めない限り決してひけらかさなかった知識を、今や必死に場を繕うかのようにペラペラと喋りまくっている。



「うっ……。そ、そうだ! い、稲荷神社!

 少し寄り道になりますが、稲荷神社に参りましょう!」

「あっ! それ、大殿が言っていたお稲荷さんの神社!」

「ええ、千本鳥居でしたよね!」



 だが、藤孝殿がどんなに薀蓄を重ねようが、耳の前に目が心を萎えさせる。

 帝が住まう御所へ近づくに伴い、その割合を徐々に減っているが、粗末な掘っ立て小屋ばかり。

 辛うじて、ここが京都と認識が出来るものは、この地を日本の都にすると決めた時から計画的に造られて、現代に至るまで残された碁盤の目状の町並みくらい。



「い、いや……。そ、その……。げ、現在は千本もなく……。

 で、ですが、健在なのもあります! に、二十本ほどですが……。」



 そして何より、まず目につくのは人の多さだった。


 しかし、それは歓迎すべき賑わいではない。

 街が本来抱えられる数をとうに超えてしまった、明らかに『過密』というべき多さだ。


 戦乱や圧政、流入の理由は様々あるのだろう、

 だが確かなのは、生産も商業も追いつかず、街全体がどうしようもない悪循環に沈んでいる。その現実が、ひしひしと伝わってくることだった。



「……ここでしばらく暮らすんですよね?」

「はい……。憂鬱になりますね」



 誰もが粗末で汚れた肌着をまとい、腹だけが膨れているが、全身は痩せこけていて、まるで餓鬼のようだ。


 モラルも底をついていた。

 大小を問わず、道端で用を足す者の姿を何度も目にし、それがそのまま放置されているのだから、たまらない。


 もう鼻は慣れたが、それでも街全体がひどく臭う。

 特に点在する林のそばを通ると、鼻が曲がりそうになる。


 その理由を藤孝殿に聞いて、愕然とした。


 穴を掘る必要もなく、都の外へ運ぶ手間もかからない。

 そこに放り込めば、それだけで目隠しになる林は、亡骸を捨てるにはうってつけなのだという。



「ま、待ってください! す、朱雀大路まで進みましょう!

 す、朱雀大路は立派です! お、大店が軒を連ね、活気に満ちています!」



 戦国時代の発端となった応仁の乱から、すでに100年。

 日本の中心たる京を奪い合い、覇権を巡る戦いが幾度も繰り返されてきたのだから、荒廃が進むのは当然の理だ。


 しかし、最後の一線までは越えていないと信じていた。

 人は人であるがゆえに最低限の倫理を持ち、戦乱の渦中でも立派に在り続けていると、俺はそう信じていた。



「嘆かわしい……。ただ、その一言だな」



 焦る藤孝殿を尻目に、俺は深いため息をついた。


 俺の期待は、あっさり裏切られた。

 目の前の光景は、俺が戦争を知識やテレビの中でしか知らない人間に過ぎないことを、痛感させてくれた。


 明治の神仏分離令によって『八坂神社』と名を改めた祇園神社。

 千年の歴史を誇り、全国に数えきれないほどの分社を持つ総本山が、目を覆いたくなるほど荒れ果てていた。


 現代では、朱色の楼門が見事な観光名所として知られ、夜間でも参拝客を拒まず常に開かれている。

 今は、その楼門が打ち壊され、施し目当てに集まった者の侵入を防ぐ防柵が張られ、数人の僧兵が門前に立っている。現代とは逆に、参拝客を拒む有様だった。



「信玄様の嘆きも、当然のことです……。

 京を守る役目の一端を担いながらも、まことに……。」



 今回の上洛の旅では、俺は街道沿いやその近くの神社に立ち寄るのを、ちょっとした娯楽にしていた。


 御朱印自体は存在していたらしいが、現代のように簡単にはいただけないものだった。

 それでも、現代の神社と今の神社の違いを感じるだけで十分に楽しめた。


 桃に『日が暮れちゃいます! 早く行きましょう!』と急かされたのは、一度や二度ではなかった。



「しかし、先ほども申し上げましたが、この実情を義輝様も常に憂いておられることは、どうかご理解ください」

「ああ、分かっている。分かっているとも……。」



 だが、ここは駄目だった。

 神社特有の、人々が敬う神聖な気配を感じられない。


 上洛を要請した将軍『足利義輝』が待つ二条城までの道中にあるとはいえ、絶対に立ち寄ろうと考えていたほど期待していた分、落胆もまた大きかった。


 祇園神社でさえこのありさま。

 京都各所の有名神社も、きっと似たような状況なのだろうと思うと、気分は完全に沈んだ。


 それを荒い鼻息でフンスと吹き飛ばす。



「だが、興は冷めた。

 立ち寄るつもりだったが、今日は先を急ごう」



 こうなったら、むしろ良い機会だ。


 たとえ実権が薄くても、建前上は日本を支配しているのは将軍『足利義輝』だ。

 その義輝に、ガツンと言ってやると俺は決意した。




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