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再就職は武田信玄! ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~  作者: 浦賀やまみち
林の章

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第18話 蕎麦、諏訪制覇!




「でも、籠城戦でいよいよとなったら、馬でも何でも食べるでしょ?」

「それは……。まあ……。」



 たちまち、信繁さんは返答に窮した。


 武士にとって、馬は友であり、宝であり、戦場を駆ける大事な足だ。

 戦場で武勲を上げるには、チャンスに誰よりも早く辿り着ける馬が必要不可欠である。


 そのため、馬を持たない下級武士は、必死になって馬を手に入れようと躍起になる。

 すでに馬を持つ武士はより良い馬を求め、入手すればその健康を維持するために大枚を投じる。


 しかし、そんな大事な相棒でさえ、厳しい籠城戦で兵糧が尽きれば、食料となる。

 もちろんこれは生き残るための措置だが、怪我をしたり病気にかかった際に体力を回復させる目的で、猪や鹿などの肉を食べる日常的な習慣も存在する。


 事実、生島足島神社から諏訪までの道中、猪や鹿が献上され、みんなで鍋を囲んで盛り上がった思い出がある。

 その点を、俺はすかさず突いた。



「そもそも、猪は食べて、豚は食べない。その方がおかしいですよ」

「いやいや、猪と豚は違うぞ? その昔、帝が……。」



 返ってきた反論に、俺は『やっぱり、そうきたか!』と内心でほくそ笑んだ。



「はい、残念でした!

 天武天皇が禁じたのは牛、馬、犬、サル、鶏の五種類です!

 豚はそこに含まれていません! 藤孝殿にちゃんと確認しました!」



 信繁さんは伝家の宝刀で一太刀浴びせるつもりだったのだろう。

 だが、その刀は最初から斬れない木刀だった。その事実を告げる瞬間が、たまらなく痛快だった。


 俺が言う『藤孝殿』とは、あの戦国時代のリアルチート『細川藤孝』のことだ。


 室町幕府十三代将軍『足利義輝』の側近中の側近。

 武芸、和歌、茶道、蹴鞠、囲碁、料理など、何でもござれの当代一流の文化人であり、説得材料としては、この上ない存在である。


 では、なぜそんな文化人と知己を得ているかといえば、つい一週間ほど前にここを訪れていたからだ。


 訪問の目的は、足利義輝からの上洛要請だった。

 隠居した俺に言われても困ると答え、義信に丸投げしている。そろそろ甲斐に到着した頃だろうか。



「何っ!? ……細川様が? 

 うむむ……。だったら、本当なのか?」



 さすがは藤孝殿のネームバリューの力は絶大だった。

 信繁さんは目を丸くさせ、腕を組みながらウンウンと頷き、持論をあっさりと覆した。



「酷い……。俺のことは信じていない発言だよ」



 狙い通りではあるが、狙い通り以上の効果には、少し面白くない気分になる。

 この手の未来知識を相談すると、説得には時間がかかるのに、今回はあまりに簡単すぎる。


 俺が唇を尖らせると、信繁さんは肩を震わせて笑った。



「馬鹿者。信じているからこそ、色々と用立ててやっているだろうが」

「だったら、今度も信じてくださいよ! 豚は美味しいんですって!」



 俺が信繁さんに披露する未来知識は、圧倒的に不採用が多い。


 その理由を例えるなら、お湯を入れればカップラーメンが美味しく食べられるのは分かっていても、カップラーメンそのものを作る方法が分からないのと同じだ。

 結果は分かっていても、その過程が分からなければ、実現は不可能ということになる。


 しかし、中には採用され、すでに大成功している例もある。



「まあ、確かに……。今ではお前が作った『蕎麦切り』は、すっかり諏訪の名物になっているな。

 元々、東西南北の荷が集まる場所だったが、それを食べたいがために人も集まっている。短い間でずいぶんと栄えたものだ」

「でしょ、でしょ? そうでしょ?」



 それが信繁さんが今言った『蕎麦切り』である。

 今の時代の蕎麦といえば、団子状の蕎麦を親指で軽く潰した『蕎麦がき』が一般的であり、区別するために『切り』と付けられた。


 去年、風が冷たくなってきた秋の終わり頃。

 桃に『今夜は新蕎麦ですよ』と言われ、夕飯をうきうきと楽しみにしていたところ、出てきたのは『蕎麦がき』だった。


 現代を知る者なら、そのがっかり感は分かるだろう。


 翌日、納得がいかなかった俺は、『蕎麦切り』作りに挑戦した。

 もちろん、蕎麦打ちの経験がない俺が最初に作った『蕎麦切り』は、見よう見まねのなんちゃって蕎麦だった。

 現代で暮らしていた頃、よく食べていた乾麺の袋に『山芋入り』と書かれていた記憶を頼りに、擦った山芋をそば粉に混ぜて打ち、それを不揃いながらも麺状に切っただけのものだ。



「……と言っても、最初のは酷かったですけどね」

「あれはあれで悪くなかったぞ?

 食べると、ブルブルと切れたが、蕎麦の味は強かったしな」


 

 俺の一口目の感想は『ボソボソして、何かがちょっと違う』だった。

 だが、この屋敷で働く者たちに振る舞ったところ、意外にも好評を博し、その評判は諏訪の住人たちに口コミであっという間に広がった。


 諏訪の有力者たちが連日この屋敷に詰めかけるようになり、毎日蕎麦を打つのが面倒になった俺は、なんちゃって蕎麦のレシピを公開した。

 すると、これが諏訪の新しい名物になってしまったのだから、驚きである。



「それが年を超えたら、ちゃんとした蕎麦になっているんですから」

「兄上がよく言っていた。競い合うことが、高みに至る道だと」



 しかも、人間の食に対する追求とは恐ろしいものだ。

 今年の春、南諏訪にある上原城からの帰り道、諏訪の街をぶらりと散策していたところ、たまたま目に付いた屋台で蕎麦を食べ、驚愕した。


 なんちゃって蕎麦が、たった一冬の切磋琢磨で改良され、俺が『これだ!』と満足する蕎麦に仕上がっていたのだ。

 あまりの美味さに、たまらず三人前をぺろりと平らげてしまったほどである。



「おおっ、名言だ。深い……。

 俺も機会があったら、使わないと駄目だな」



 恐らく、蕎麦がこれほど爆発的に流行った理由は二つある。


 一つ目は、蕎麦が米よりも低く扱われ、安価で手に入りやすかったことだ。

 それでいて、甲斐や信濃のような山間の寒冷地や、土地が痩せている場所でもよく育つため、晴信は過去に何度も蕎麦の栽培を奨励していた。


 その結果、どの家庭にもある米の代用品である蕎麦が、美味いと分かり、人々が飛びついたのだろう。



「ふっふっ……。それと、醤油だ。

 お前の言った通り、刺し身にわさびと一緒に付けると美味いな!」



 次に二つ目だが、これが大きい。


 麺つゆを成す材料の一つである醤油だ。これがなければ、蕎麦の楽しみは始まらない。

 藤孝殿の話によると、京都周辺には流通量は少ないもののすでに存在しているらしい。


 しかし、ここ甲斐や信濃にはまだ伝わっていない。



「俺としては刺し身にわさびと醤油以外はあり得ないんですけど?」



 無論、俺は醤油の作り方など知らない。

 だが、味噌が醤油の原型であること、大豆が発酵する過程で溜まる上澄み液が醤油の元になったことは、とある美食料理漫画を読んで覚えていた。


 この醤油という新感覚の味が、大ヒットの要因であることは間違いない。


 今や諏訪にあるすべての味噌屋が、味噌の上澄み液を少しでも多く作ろうと躍起になっている。

 俺が知る本物の醤油が味わえる日は、もしかすると近いかもしれない。その日を思うと、楽しみで仕方がない。


 そんな今の俺の大いなる野望は、『カレーライス』を作り上げることだ。

 俺が知る歴史通りなら、そろそろヨーロッパ各国の船が九州へ盛んにやって来る頃であり、やれないことはない。



「それにしても、お前は食い物ばかりだな。

 だったらだったで、農作物を増やす知恵は持っていないのか? 儂はそっちの方こそ知りたいのだが?」

「いやぁ~……。俺って、残念なことに文系ですから」



 そのためにも、豚の畜産計画は是が非でも成し遂げる必要があった。

 カレーの肉は豚こそ至高と決めつけている俺にとっては、なおさらだ。




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