第9話 刃の届く距離で
「……で、鳥居を抜けた先に、我々が居たと?」
「その通りです」
俺が戦国時代にタイムスリップした経緯を話すと、武田信繁はあからさまに怪しむような表情を浮かべた。
当然の反応だろう。
常識で考えれば、遥か未来から突然やってきたなんて話は、荒唐無稽以外の何ものでもない。
だが、俺には十分な勝算があった。
経緯を聞けば自然に湧く疑問を、武田信繁か山本勘助のどちらかが口に出す。それさえあれば、俺の勝ちはほぼ決まったようなものだった。
「勘助、あの辺りに神社なんてあったか?」
そして、心の中でガッツポーズ。
面接が始まって以来、緊張と焦りでハラハラしっぱなしだったが、ようやく初めて一息つけた。
なにしろ、かつては迷信が真剣に信じられていた。
現代では科学や化学で簡単に説明できる現象でさえ、当時は不可解であれば神仏や妖怪の仕業とされていたのだ。
そう考えると、現代でも解明できないタイムスリップのような超常現象は、現代人よりも当時の人間のほうが信じやすい土壌があると言える。
「はて? あの時は、我々も正に必死でしたからな。
それに、あの霧です。仮に神社があったとしても、気づくのは難しかったでしょう……」
「……だな」
ただし、信じてもらうための大前提となる問題が一つあった。
俺がタイムスリップした場所には、未来で『川中島古戦場』と呼ばれる地に神社が今も存在していなければならない。
もし神社があれば、タイムスリップの話と結びつけやすい。
しかし、神社がなければ二人を説得するのは困難を極める。
下手をすれば、この場で命を落とす可能性すらある。
「ただ、あの辺りは確かに八幡原と呼ばれています。
……となれば、八幡様を祀った社があるかもしれません」
だが、その問題に関しても、俺には十分な勝算があった。
武田信繁の問いかけに山本勘助が応えた通り、一度定まった地名は、そう簡単に変わるものではないのだ。
ましてや、川中島古戦場の神社が祀る八幡大神。
その総本社である大分県宇佐市の宇佐神宮は、戦国時代よりもはるかに古い歴史を持つ。
日本各地には、宮司が常駐しない小さな社や、鳥居だけが立つ神社が数え切れないほど存在している。
戦国時代の今、まだ『川中島古戦場』と呼ばれていなくても、その場所に八幡神社が、小さくとも存在している可能性は極めて高かった。
「恐らく、まだ小さな社なのではないかと……。
……と申しますのも、第四次川中島の戦いが、この地を一躍有名にしたからです」
俺は、ここぞとばかりに用意していた『爆弾』の導火線に火をつけた。
「第四次だと? 我ら武田が長尾と北信濃で相対したのは、これまで三度のはず。それを……。」
効果は、絶大だった。
武田信繁の視線が、山本勘助から俺へ鋭く戻る。
「なるほど……。お前は四百年後の世から来たと言ったな。
つまり、結果を知っているというわけか。
ならば問おう。この戦国の乱世で、勝ち鬨を上げたのは……。我らか、長尾か?」
一方、山本勘助はさすが戦国時代を代表する軍師だ。
俺の言わんとすることを正確に理解すると、眉間に深い皺を刻みながら、鋭い眼差しを俺に向けた。
すでに犬猿の仲となっている武田家と、後に上杉家と名を改める長尾家。
両家の勢力は拮抗しており、東日本の戦国大名の中でもどちらも群を抜いた存在だ。
どちらかが相手を打ち破れば、比類なき力を得て、天下を狙う道が明確になる。
だからこそ、領土を接した武田信玄と上杉謙信は、川中島を舞台に五度も刃を交えている。
その未来を知る者が目の前にいる以上、武田家に仕える忠臣として、その未来を知りたくなるのも当然だった。
「それを教える前に、約束してください。
何を言われても、絶対に怒ったりしないと……。」
しかし、そう簡単には応えられない。
織田信長によって、武田家は滅んでいるのだ。
上杉家の没落ぶりなら喜んで聞いてくれるかもしれないが、自分の家が滅びたと聞けば、面白くないどころか、冷静でいられるはずがない。
家系の断絶に対して、人々の考えがようやくおおらかになったのは、現代の高度経済成長期を過ぎてからのことだ。
職を求めて皆が都会へ集まった結果、家と家の結びつきは薄れ、お見合いより恋愛結婚が当たり前になったのは四十年、五十年前の話。
それ以前は、庶民であっても家の断絶は一大事と考えられ、結婚して三年子どもを授からなければ女性は石女と蔑まれ、一方的な離縁の理由にさえされた。
「それから、お二人の刀は部屋の隅に置いてください」
それだけに、こちらも慎重に慎重を重ねなければならなかった。
たとえ日本刀を部屋の隅に置いても、二人のどちらかがその気になれば、武芸の心得などない俺にはどうすることもできない。
だからこそ、事前に心構えを作ってもらうための『警告』が必要だった。
もし武田信繁と山本勘助が、理屈より感情を優先する猛将タイプなら、この手は通じないだろう。
だが、俺は二人が冷静に物事を判断できるタイプだと戦国時代の知識で知っている。
「ああ……。分かった。勘助」
「御意」
案の定、二人は眉をピクリと跳ねさせ、すぐに表情を引き締めた。
これから俺が話す内容が愉快なものではないと、瞬時に察したのだろう。
「この神社の二柱、生島大神と足島大神に誓って下さい」
「よかろう。二柱様に誓おう」
「山本様もお願いします」
「分かった。儂も誓おう……。必要なら、誓紙を用意するが?」
その上、二人が部屋の隅へ日本刀を置くのを確認してから、しつこく念を入れた。
先ほども言ったが、今は迷信がまかり通り、誰もが神仏を本気で信じていた時代だ。
神仏に対する誓いの重みは、現代の比ではない。
ここまでして駄目なら、もうお手上げだ。
まさか、まさかだ。
半日前の自分が、命の心配を本気でする未来なんて、想像すらしていなかった。
正直、もし本当に神様というものがいるのなら、俺の方こそ問いたい。
『なぜ、俺はこんな場所にいるのか』
『戦国時代にタイムスリップしたのは、何か目的があってのことなのか』
しかし、神様は何も答えてくれない。
二人がこの部屋を訪れる前、俺は何度も祈りを捧げ、問いかけ続けた。
だけど、返ってきたのは、やはり沈黙だけだった。
「いえ、そこまでなさる必要はありません」
準備をするだけで、ずいぶん疲れた。
俺は汗ばむ掌を軽く握り直し、心をもう一度引き締めた。




