第七話 真似しない日
その朝、
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
理由はない。
体調も悪くない。
ただ、
いつもより、
少しだけ静かだった。
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支度をしながら、
いつもの動作をなぞる。
歯を磨く。
顔を洗う。
シャツを選ぶ。
全部、
問題なくできる。
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でも、
ふと思った。
今日は、
何も決めていない。
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会社に向かう電車の中で、
人の流れを眺める。
皆、
それぞれの顔をしている。
不安そうな人。
眠そうな人。
苛立っている人。
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そこに、
正解はない。
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それが、
少しだけ、
救いに見えた。
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午前中、
特に問題は起きなかった。
仕事は進む。
指示も通る。
昨日までと、
何も変わらない。
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それでも、
僕は、
意識していた。
誰かの言葉を、
借りすぎないように。
無難な意見を、
先に探さないように。
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「これ、どう思う?」
また、
聞かれる。
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少し、
間が空く。
頭の中に、
答えは浮かばない。
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でも、
焦らなかった。
沈黙を、
無理に埋めなかった。
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「……今は、
まだ、
ちゃんと言えないです」
正直に、
そう言った。
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一瞬、
空気が揺れる。
でも、
崩れない。
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「じゃあ、
後でいいよ」
それだけだった。
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胸の奥が、
静かになる。
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完璧じゃなくても、
許される。
それを、
頭じゃなく、
体で理解した。
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昼休み、
一人で外に出る。
特に行きたい場所はない。
でも、
歩く。
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風が、
少し強い。
髪が乱れる。
直さなかった。
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不格好でも、
いい気がした。
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午後、
小さなミスをした。
資料の数字が、
一つだけ違っていた。
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「ごめん」
すぐに、
そう言った。
言い訳は、
浮かばなかった。
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怒られなかった。
誰かが、
「直そう」と言った。
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それで終わった。
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帰り道、
夕方の空を見る。
きれいでも、
特別でもない。
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それでも、
今日一日を思い返す。
大きなことは、
何もしていない。
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でも、
一つだけ、
はっきりしている。
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今日は、
誰の真似もしなかった。
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うまく言えない瞬間も。
黙った時間も。
間違えたところも。
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全部、
自分のものだった。
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それが、
少し怖くて。
でも、
確かに、
生きている感じがした。
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完璧じゃない。
不器用だ。
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それでも、
これが、
僕の一日だった。
第八話:それでも選ぶ




